高山を通りてゆけば 面白し 改訂版
大祓詞(おほはらへのことば)に記載されている、高山、短山(ひきやま)。
高天原、四皇子ヶ峰、くしふる峰と続き、七福神山、短山、高山(愛宕山)、天香具山と続く。
また、くしふる峰の反対側、高千穂小学校付近を藤岡山と言い、その麓には神代川があり、天真名井、佐久良谷、佐久良森、筒井戸の森等があり、これらの丘陵地帯を『神漏岐山(こうろぎやま)』といったいった。
この付近が『こうろぎの里』と呼ばれ伝えられている。
猿田彦大神と天鈿女命が急いで住居を作った場所であり、祭神でもある荒立神社。
天香具山は本組地区の隣、浅ヶ部集落にあり、この山の麓を『猿伏』という。
猿田彦大神が天孫一行を迎えた所とも伝わっており、猿田彦の伝承からかなり広い範囲でこうろぎの里と呼ばれていたことが分かる。
さて、大祓詞では「国つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ」とある。
今回、それではと、高山から短山を歩いてみようと思ったのだ。
高千穂神楽の神楽歌の中でも
「高山を通りてゆけば面白し いつも絶えせぬ御神楽の音」
と高山が登場する。
愛宕山が高山でもあるのだが、愛宕地蔵尊として、愛宕信仰として、火伏せの神であり、午前中は火伏せ、午後からは戦の神に変わるらしく、登る時間の意味合いが変わってくるようだ。
頂上までは15分くらいだろうか?急な山道ではあるが、そこまで困難な道ではなく、道もしっかりあり、登りやすい。
頂上には何を祀ってあるのか分からないが、しめ縄ぎ張られた岩、そして、もう少しの所にはほこらがあった。
隣には甲斐有雄さんの石碑もある。
ここが『高山』であると知ることができる。
甲斐有雄さんの句はこう書かれてある。
『秋ふかく 時雨ごとに紅葉ばの
尊く見ゆる 高山の峯』
甲斐有雄氏について
https://note.com/kucky918/n/ne7e0014114e3
昔は川登地区への峠道にもなってたようだが、今となっては殆ど人も通らない為、ちょっと道がわからなかった。
この高山より、短山へ下る道は、以前はあったそうだが、ちょっと分かりづらく、急な下り道で、大変な個所もあったが、なんとなく道も発見し、短山へと続いて行った。
短山はこぶのように山がいくつかある。
恐らくここが頂上と思われる。
いくつかの山が木々に隠れ、外から見ると1つの山として見えるようだ。
短山を越えると、ちょうど高千穂トンネルの上付近でひらけてくる。
この写真右側が短山。左より七福神山となる。
七福神山もいくつかの小山が1つとして呼ばれているのだと思われる。
ひらけてから、さらに尾根沿いに行くと、荒立神社の後方部、そして、くしふる峰と続き、くしふる神社へたどり着いた。
高山より歩いてみて、感じたのは岩が多く見られたということ。
日州襲高千穂神跡處古庄略縁起によると、
『高山短山七福神ノ山是皆岩嶽ナリ』
とあり、納得することができる。
山信仰として、霊峰と呼ばれていただけの事はあると思う。
次は天香具山に登ってみたいと思う。
参考文献
神々の里 本組 たかまがはら
日州襲高千穂神跡處古庄略縁起
甲斐有雄翁伝 庄野の灯 冨高則夫著