家を救った天狗様 『秋屋(秋葉)様』
岩戸永ノ内地区には4つの小部落に分けられる。
岩神、馬場、陣、有富。
陣や、馬場地区は桑野内にもあるように、各地戦国時代武将豪族の居住地にはつきものの地名である。
ここは、岩神地区。
天岩戸神社東本宮のある地区。
江戸時代中期頃、岩神に作り酒屋ができた。
この初代が家を建てる際、出雲大社の神札を屋敷の守護神として、祀ったということで、何事もなく家業を続けていた。
そんなある年、とある農家から火が発し各村を燃やし続けた。
しかし、この酒屋だけは炎が飛び移らず免れる事ができた。
なんと、酒屋の屋根の上に白い姿の天狗様が大きなうちわで火の粉を振り払っているのが見られたという。
これは、秋葉大明神のお使いが来て助けてくれたのだと考え、屋敷の横の小高い所に秋葉大明神をお祀りした。
その後は『秋屋様』と言って火傷の予防の神としてお祀りされてきた。
家の人は「秋屋様と聞いて子供の頃から秋屋様と呼んでいたけど、秋葉様が本当だろうね」と言われた。
その後も近くで火災は何度か起こってしまったが、ここは1度も被害を受けなかったという。
しかしながら、この酒屋も昭和8年に廃業してしまったということだ。
秋屋様の下側には井戸が現存しており、今も水があるという。
以前は水量も多く、沢山の方が水を汲みに来ていたそうだ。
これは酒屋のラベルで当時としては珍しかったようだ。
※ 高千穂町史 郷土史編より
そもそも、秋葉信仰とは。
愛宕神社と並んで火難(火伏せ、防火)の神として信仰されている。
静岡県浜松市天竜区にある秋葉山「あきはさん」を神体山とし、また秋葉権現に対する信仰と言える。
中世以降修験道の霊山となり、明治までは秋葉大権現とし、秋葉社と秋葉寺が両方存在し、両部神道であったというが、廃仏毀釈により、分離されてしまった。
三尺坊という修験者が観音の化身で火伏せの法に通じた天狗となり、越後国より飛来し秋葉山の鎮守となったという説がある。
廃仏毀釈によって、寺院の多くが神道へ転向する中で祭神を火の迦具土大神を祀り『秋葉神社』と改められた。
現在では神道と修験道が混在した信仰となっている。
九州でも九州山地中部を中心にいくつか存在しており、英彦山もあり修験道との繋がりが深く関わっているのかもしれない。
また、山村部に見られるのは、焼畑農業とも関係があるのかもという説もあるという。
いずれにしても、火災を恐れていた人たちから火伏せの信仰というものは深く関係しているのだろう。
ちなみに電気店街で有名な東京秋葉原は、江戸時代に火災が多く、明治天皇がその鎮火社を築いたところ、人々は有名だった秋葉大権現を勧請したのだと誤解し、また明治天皇はこの焼け野原を火災時の緩衝地帯としたため、人々はこの地を『秋葉の、原』と呼ぶようになり、今の秋葉原になったということである。
ここは岩戸、野方野地区にある秋葉神社
2体の鴉天狗が祀られている。
天狗化された三尺坊の影響がここにもあるのかもしれない。
参考文献
高千穂町史 郷土史編
甲斐畩常著 高千穂村々探訪
伝承 あまの いわと
米家泰作 秋葉信仰の広がり より