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高千穂古伝記(興梠古文書より 其の1)
≪各地名について≫
槵觸(くしふる)峰より南側には、佐山大明神、高天原、逢染川、四皇子峰がある。
槵觸峰より東側には、荒立大明神(サルタヒコを祀る社である)。
光線源と仰ぎ祭ることによって、61日毎に餅をつきお供えをする祭りである。
※ 昔は数えで数えるので、本来は60日であるが、61日となる。これは陰陽五行思想に基づくものである。
北の方には、王大明神、二十躰。ニニギノミコトの軍人として据え置かれた場所である。【王の宮】という。
同じく北には桜(佐久良)森というところあり。ヒコホホデミノミコト(山幸彦)の御誕生の森である。一説には、コノハナサクヤヒメが夫であるニニギノミコトに御子、ヒコホホデミノミコトを御見せしたところ、ニニギノミコトは直ぐ赤子をこの森の中へ御入れになり、「もし、本当に我が子ならば焼死するな。しかしもし他人の子であれば焼死してしまえ」とその森に火をかけた。すると、その御子は炎の中より這い出てきた。よって、この子は我が子である、炎の中よりお出でになったことから、彦穂々出見命(ヒコホホデミノミコト)と名を与えた。別名、火々拝出見命という。
高山を越え、短山を行くと(本来は短山、高山の並び)天の香具山という場所がある。
これより、水に谷十柄の宝剣を作るための地金を掘り始めた場所があり、天の香具山のあたりにサルタヒコが御降り場所、【にがいが滝】というところがある。
コノハナサクヤヒメが御子を産み、御子を御洗いになった、桜(佐久良)谷という場所がある。神代川、藤岡山、天二上命(アメノフタノボリノミコト)、別名天村雲命(アメノムラクモノミコト)が御住みになった場所である。世界に水があるということは、天照大神(アマテラスオオミカミ)に差し上げられる水が無く、そのため、天に祈り天より申し下し受け天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上できたことにより、【天の眞名井】と名付けられた。
川下には早川瀬庄立姫命(瀬織津姫=セオリツヒメ)、秋津姫命の場所、岩長姫(イワナガヒメ)の死像の場である。
吾平山、鵜合屋葺合命(ウガヤフキアエズノミコト)の陵がある。これより北には津鏡ができる場所がある。これより西にはひばり田、ひばり川あり。さらに西には尾坂峠の麓に十柄の宝剣ができる金敷石がある。
御塩井おのころ島というところあり、上の大滝に日、月の形あり。蒔かず田、酒の泉、七つが池あり御神橋、神橋、神土橋とある。土野は大海原尾戸口、日向の鵜戸の尾土(小戸)の青木原(阿波岐原)、イザナギノミコトの禊ぎ場所、馬門は大明神の馬の育養(育て養うこと)し成長の場所により【馬門】(まかど)という。
終わり
高千穂町本組地区は「興梠」氏の発祥の地とされている。
荒立神社の宮司も務め、古い文書も多く残されている。
また過去に高千穂神社の大宮司や庄屋も務めている。
さて、この興梠氏のルーツとは一体???
鬼八を調べるうえでもかなり重要な氏族であることは確かである。
興梠、鬼八については、次号に続く。
今回の地名にまつわる話は、初めて聞いた話もあり、高千穂ではあまり伝わっていない三毛入野命の伝説も残されており面白い。
【馬門】(まかど)と読む。
三毛入野命の馬を養い育てていたという話は初めてであったし、普段通る国道でも興味が持てる。
また尾坂峠は西南戦争でも戦場となった場所であるが、この付近にはまだ見ていない「鍛冶屋様」がおられるとのこと。
川がある場所には「鍛冶屋様」がおられる。
宝剣ができる金敷石があるというのは、この付近に鉄文化を持ってきたもの、おそらく渡来系が鉄で武器や農機具等を作っていたのではないだろうか?
鍛冶の技術を持った渡来人と山の民が共存していたことがうかがえる。
本組の地名については過去のnoteをご覧いただきたい。
これはもう9年前私が舞った荒立神社祭神の猿田彦の「彦舞」という舞い。
今となってはレアな一枚である。
参考文献
神々の里 本組 たかまがはら
※ ~興梠古伝記より自分なりに訳してみた~
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