ドーナツを見ないでドーナツの穴を見てた
こんにちは。
マキです。
今日は、悲しみに負けてなかなか書けなかったことを書きます。
今年の1月に父が亡くなりました。
親近者が亡くなったことは、私にとって初めてで、
こんなに泣いたことなかったし、今までの人生で一番悲しい出来事でした。
喪失感が強くて、ふとしたことで泣いてばかりの日々が続いていました。
父に会いたい。
父の影ばかりを探している。どこにも居ないのに。
父のことを話したり思い出すと、途端に涙が溢れてきて、感情の波にのまれてしまう。
暗い自分
弱い自分
面白くない自分
悲観的な自分
そんな自分がイヤで、どうにか抜け出したい。
父のことを思い出さないようにして何かに夢中になっているうちに抜け出せるかな。
でも、無理やり父を思考から追い出したら、父が悲しむかな。
まだ悲しみの中にいた方が、父は喜ぶ…?
いや、そんな筈はないか。
納骨式の時、叔父さんは言ってくれました。
お墓にお線香をあげに来るよりも、明るく前向きに生きてる姿を見せてあげることが、心配させないように生きることが、供養になるんだぞ。生きてる人を大事にするんだぞ。
頭ではわかっていても、気持ちは、どうしても暗い方に向かって、自分の中で綱引きを繰り返していて、苦しかった。
今日、不動産コンサルタント長嶋修さんのYouTubeにてある言葉を聞いて、気持ちの前進ができたように思います。
その言葉は、
悲観主義者は、ドーナツの穴を見る
楽観主義者は、ドーナツを見る
ああ、私、完全にドーナツの穴ばかりを見ていた。
優しくて可愛いこどもたちや旦那様、友達。周りに居てくれるのに(ドーナツ)。
ドーナツの穴(無いもの)を見ていたな。
悲しい気持ちから立ち直れない私を見守ってくれていた娘。
今日の母の日、娘は私を励まそうとしてくれた。
『父が会社員だったころ、よくTOPSのチョコレートケーキを買ってきてくれて、嬉しかった。』
という話を聞き覚えていて、母の日のプレゼントに決めたそうです。
そのケーキを買ってきてくれました。
ドーナツを見る意志を持って生きていくよ、お父さん。