3歳息子、言語遅延で療育に通うまでの葛藤
言語の遅延で悩み続けた結果、息子が3歳になる去年の7月、療育に通うことを決意しました。
療育に通うまで少しハードルを感じたことが下記です。
①支援計画書作成→受給者証の発行
受給者証を発行する為に、支援計画書というものを市役所に提出する必要がありました。支援計画書は自分で作成するか、事業所で作成してもらうものの二つがあります。
支援計画書自体は、A4一枚程度ではあるが、記入事項が多く、抽象的で同じような項目の質問が多いため、一度で間違いなく承認をもらうためにも、事業所で作成してもらうことにしました。
幸運なことに、療育に通う予定の事業所で、支援計画書を作成してくれるとのことで、二回程度ヒヤリングのために事前に通所しましたが、自分で手を動かすことはほぼなく圧倒的に楽でした。(1.2時間話をする間、乳飲子の下の子の相手を別の先生がしてくれたり、手厚い対応でした。)
ただ、支援計画書書を作成してくれる事業所自体が少なく、あったとしても人気で対応が遅くなるケースが多いようです。
支援計画書作成後、受給者証は承認に2、3週間近くかかりましたが、これを発行すると国から補助金が出て、療育に通えます。
逆にこれがないと、3歳で療育に通うことは困難なようです。
とにかく、9月から職場復帰も控えていたので7月から通うべく早く承認が欲しかったため、急いで手続きを行いました。
②障害児という言葉に対する抵抗
①はフィジカル面での大変さを書きましたが、意外と辛かったのが、市役所や書類で目にする「障害児」という言葉については、非常に抵抗感があったことは否めません。
まだ決めつけないでほしい、という苛立ちに近い思いと、不安に思っている最中で所々で目に入る「障害児」という言葉は、確実に心にジャブとして効いてました。
まず、「障害」という漢字がとても直接的で配慮を感じられませんでした。
多様性を受け入れていこう、としている現代社会において、この言葉は新しい言葉に変える必要があると感じました。
害を「がい」とひらがなにしている場面も増えているようですが、その程度だと効果は薄くむしろ腹が立つレベルで逆効果にさえ感じました。
「発達障害」ということばについても同様に、もっと婉曲した表現がないものでしょうか...。
とはいえ、心で割り切るしか方法はなかったのですが、この「障害」という言葉を目にするたびに受ける心のダメージ、確実にストレスに繋がっていました。
ただでさえセンシティブな心境で、子供のためと思って前向きに前進しだしたというのに、引っかかってくる「障害」という言葉。ここで心が折れるケースもあるのではないかと思い、
この言葉を別の言葉に変えて欲しいと切に願います。
③親の反対
療育に通うまでを夫、保健師さんと相談し決意したのだが、最後に出てくるのが母親の存在。
昔の考えのまま、「〇〇ちゃんは普通だよ?心配しすぎじゃない...昔はそんなのなかったし、言葉が遅い子たんて沢山いたよ。
療育なんて障害児扱いされるから、そうでなくてもそういう風に感じて良くないよ」というようなネガティブなことばかり言われました。
最初はいちいち苛立ち、訂正していたが、徐々に右から左に受け流し途中から相談はせず、決意してから結果報告をしました。
私は息子の言語や行動に対して、発達の遅れを少なからず感じているので、それを支援してもらいたい。それに早い方が追いつきやすいという理解のもとで療育に通うと決意し、言語の遅延や多動傾向を気にかけながら過ごすより、とても建設的で前向きな行動なんだ、と自信を持っていましたし、今は障害の有無を判断する段階でもなく、子供がこれから小学校へ通い、もっと先に社会に出てからも生きづらさを感じないように親として出来ることはなんでもやりたい、という想いを伝え、母なりに色々調べたりヒヤリングし、一応納得してくれ協力するという段階に至りました。
⑤につづきます。
以上、療育に通うまでのハードルについてご紹介しました。
支援計画書の作成や受給者証の発行など、手続きには時間や労力がかかりますが、国の補助金を受けられる大きなメリットもあります。
また、障害児という言葉には抵抗を感じるかもしれませんが、子供の成長を支えるためには早めの療育が重要です。家族の理解と協力も大切な要素です。
子供の未来を見据えて、一歩踏み出す勇気を持つのは良いことだと感じました。
お読みいただき、ありがとうございました。そして、ぜひ他の記事も読んで頂けると嬉しいです!