音楽家 内藤希花さん
医師免許を持つアイリッシュミュージックの音楽家 内藤希花さんにお話を伺いました。
プロフィール:6歳よりバイオリンを始める。2007年にアイリッシュミュージックに出会い、フィドルやアイリッシュ・ハープ、コンサーティナなどの楽器を習得。2014年に横浜市立大学医学部医学科を卒業し、医師免許を取得後、アイルランドと日本での本格的な音楽活動を行っている。
人生の決断をする時には、どうすればやりたい事が全て潰れないようにできるかを考える
Q:どのような夢、ビジョンを持って活動されていますか。
内藤希花さん(以下、内藤 敬称略):実は私も今転換期なんです。元々小さい頃からずっと音楽をやっていて、大学に進学するときに医学の道が諦められなくてすごく迷ったんです。そして、音大を出た後に医学部に行くのは厳しいけど、医学部にいながら音楽は出来ると思って、医学部に進学しました。6年間の医学部生活の中で、音楽をやって気持ちの整理がつくかと思っていたんですが、更にハマってしまって(笑)。医学部を出て医師免許を取ったけれど、音楽の道を選択している今があります。どこかのタイミングで医者の道も歩みたい。でも音楽もやればやるほど奥が深くてなかなか抜け出せなくて悩んでいる状況です。
昔から人生の決断をする時にはどうすればやりたい事が全て潰れないようにできるかを考えるんです。欲張りかもしれませんが、諦めたくないんです。
記者:音楽と医師の道を通して、どんな未来を作りたいですか。
内藤:音楽の道に進むことを決めた時、医者という大きな仕事をストップしてまでやるからには中途半端じゃだめだと思って努力をしてきました。ただ、医者という職業と両立させるのは難しいと感じていて、軸は医者だけどそこに音楽をどこまで絡めるか。今のうちにいろんな所に行って、いろんな事を感じて、音楽をやりながらも培ってきたものが、医者としても生かされればいいと思っているんです。
自分の人生を豊かに生きたいし、患者さんの人生も豊かに大切にしたい。
記者:医者と音楽を融合するような治療を考えていらっしゃるのですか?
内藤:特に音楽療法ではないんですが、人の癒し方、治し方はいろんな方法があるので繋がる道はあるとは思います。私は、自分の人生を豊かに生きたいし、患者さんの人生をも豊かに大切にしたい。患者さんに対して私なりのアプローチが出来るんじゃないかと思っています。
記者:人間としての生き方やあり方を音楽を通して培っていらっしゃるんですね。今やいる事が全て医師となっても生かされるイメージがきました。
自分の人生に責任を持てるのは自分だけ。人のせいにはできないし、自分が後悔したくなければやりたい事をやるべき
Q:その夢やビジョンを実現するために、どんな目標や計画を立てていますか?
内藤:今はいろんな所に行って、感じて、吸収したいと思っています。実は普段インドア派なんですが(笑)。海外に行くと本当にみんな個性豊かで面白い。そんな中で、日本人でありながらどんな風に魅力的になれるのかを模索していきたいですね。
記者:自由を自ら選択しているからこそ自由なんですね。
内藤:医師免許を取って、医者にならない人って本当に少ないんです。やっぱり周りから心配もされますし、私自身も若干心配しているんですが(笑)。だけど、周りから言われているから医者になって、後で後悔するのは辛い。自分の人生に責任を持てるのは自分だけなので、人のせいにはできないし、自分が後悔したくなければやりたい事をやるべきだと思っています。
Q:その目標や計画に対して、どのような活動指針を持って、どのような基本活動をしていますか?
内藤:私がやっているのがアイルランドの音楽で、日本ではあんまり知られていないんです。大学卒業してから今までは、アイルランドで活動することが多くて、日本で演奏する事に重きを置いていなかったんですが、今日本の皆さんにも聞いてもらいたい思いが出てきているので、そういう機会は逃さないようにしたいと思っています。
記者:コンサートで弾いていらしたハープや、コンサーティーナも素晴らしかったですよね。フィドルもとても素敵でしたが、あんなにたくさんの楽器を弾けるようになるものなんですか。
内藤:アイルランドの人たちも沢山の楽器を使うので、私も初めは衝撃だったんです。でも、やりたいと思ったらやればいいんだなって思ってやっています。
Q:その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこにはどのような発見がありましたか?
内藤:今はアイリッシュミュージックをやってるんですが、元々はクラッシックで母の勧めで3歳の時ピアノを始めまして。バイオリンは母が始めて、家で弾いているのを見て「やりたい!」と言って始めたんです。まんまと母の策略にハマっちゃいました。
記者:お母さん賢いですね。それからずっと継続されているのはどんなモチベーションでやり続けてきたと思われますか?
内藤:小さい頃から転勤族で、その度にバイオリンの先生も変わったんですが。運良く素晴らしい先生方に恵まれたのも、飽きずに続けられた理由かもしれません。そして、小さいながらにバイオリンを人前で発表したりして、自分を表現するのがすごく楽しかったんですよね。アイリッシュ音楽を始めたのは、たまたま浪人中にアイリッシュ音楽を聞いて面白いなと思ったのがきっかけです。初めは遊びだったんですが、彼らの中で生きている本物を見たいという思いがあって、大学入学後の夏休みにアイルランドに行くようになって、どっぷりハマってしまいました。
記者:すごい意志と行動力ですね。もう一つのお医者になりたいと思った背景もお聞かせいただけますか。
内藤:大きなきっかけもなく、いつの間にか医者を志すようになっていて、卒業文集にも書いていました。小さい頃の医者のイメージがスーパーマンのような、魔法使いのような、人の命を助けてあげられるなんて医者にしかできないことだから、かっこいいと思ってたんです。
やりたい事を諦めず、前例がなくても自ら道を探して成し遂げた父に、自分がやりたいと思えば何でもできることを学んだ
Q:その発見や出会いの背景には何があったのですか?
内藤:父が防衛大学を出て自衛官として働いていたんですが、ある日急に「これから1年間、僕は昼は自衛官として働きながら、夜は勉強して検事になる」と言ったんです。家族みんなで唖然としたんですが。法学部を出ていないので、自衛官から検事になれる道を探して、司法試験を受けて合格して、今は検事として働いています。相当ハードだったとは思うんですが、やりたい事を諦めず、前例がなくても自ら道を探して成し遂げた姿が私の中に残っているんだと思います。自分がやりたいと思えば何でもできるんだということを父から教わりました。今、本当に楽しそうに検事をやっているので(笑)。娘から見てても、天職ですね。
記者:いいですね。道なき道を自ら人生を切り開いたモデルがお父様なんですね。
内藤:もちろんその為の努力も沢山しただろうし、大変だったとは思います。好きじゃないとできない事だし、体力、エネルギーも必要ですよね。そんな父の姿は今だに影響は受けていますし、身近で体現してくれる人がいたのはありがたいです。人生めんどくさいとか、もういいやと思う事もいっぱいあるんですが、考える事、成し遂げるために知恵を絞る事はやめないでいたいと思っています。
記者:素敵です。それでは、最後に読者の皆様に一言お願いします。
内藤:やりたい事が見つからないという方も良くいらっしゃいますが、やりたい事がある時に、すぐに諦めずできる道がないかと探すことを諦めないで欲しいと思います。
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編集後記
今回インタビューの記者を担当した口野、岸本です。
フィドルを奏でる天使のような内藤さんの裏側には、自分の軸をしっかりもって周りの声に惑わされず、考え抜いて、自分だけの人生を切り開いていく覚悟を感じました。内藤さん、素晴らしいお話をありがとうございました。
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この記事は、リライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。