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先生!また明日呼ぶから来てな!
帰宅まえに、植え替えをしたインゲンの苗の様子を見に行くと、卒業生3人が学校前の道を隔てた空き地に集まっていた。
私に気づいた卒業生は「先生、話聞いて!」とこちらへ向かってきた。
一定の距離を置いて、網越しに話をした。5分ほど。
中学校も分散登校をしている。小学校と同じように学年を分けて登校しているようだ。午前中に登校し、数時間の授業を受けて下校。午後から友達と遊んでいたらしい。と言っても、集まってスマホを見ながら話を交わしていたという。
「暇で暇で仕方ない。」
「課題がいっぱい出て、また登校までにそれして提出。もう、うんざり。」
「先生。なんか面白い話してー。」
目の前にいる子どもたちの素直な意見に直面した。
もちろん、登校日を心待ちにし、学校を充実した児童生徒もたくさんいる。
しかし、目の前の子どもたちのように思っている児童生徒も少なくないのも事実だ。
しなければならない課題はある。
けれども暇を持て余す生徒。
したくないことだから、手をつけない。手をつけるものがなくなるから、暇という言葉が出てくる。
もちろん課題を済ませれば、次に何をすればいいのか再び頭を悩ませることになるのだろう。
自ら考え、今何ができるのか、どうすればいいのか。
そんな思考を働かせて行動にうつす力があれば、どんなに心強いだろう。
暇になったら、こんなこともあんなこともできるなぁ。
時間がこんなにあるんだから、こんなことやりたいないなぁ。
学校から課題が出るのは、これからの授業のここで役立つ(つながっている)んだなぁ。
こんな意見が子どもの口から聞けたら素敵やなぁ。
きっと多くの先生方が丁寧な説明と展望を伝えてくれている。
頭ごなしで「とにかくやれ!」なんてことはきっとない。
ただ今日会った目の前にいる子どもたちは飢えていた。困っていた。
どうすればいいのか。
このままでは、私は置いてけぼりになるんじゃないか、という不安にも聞こえた、
「先生!また明日呼ぶから来てな。」
の言葉。