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飽きっぽくて、すぐ他のことに興味が湧く

全日本大学駅伝を見て

昨日、昼飯を食いながらふとテレビを見ていたら全日本大学駅伝がやっていたのでなんとなく見ていました。7区の途中からぐらい。

青山学院と國學院とのデッドヒートで、8区につなぎ、トップを走っていた青山学院の塩出選手が苦しそうに走る中、徐々に國學院の上原選手に差をつけられ、3位を走っていた駒澤大学の山川選手の猛追によって最後は青山学院の塩出選手は抜かれてしまい3位となった。
トップの國學院の上原選手は逃げ切ってトップとなった。

ゴールテープを切った瞬間にジーンと込み上げてくるものがありました。選手たちのここまで積み上げてきたもの、苦しい練習を仲間と一緒に3年間こなしてきて、ようやくここに立てた時の思いと、タスキを背負った責任感と、抜かれてしまった時の悔しさと、見ているだけでいろんな思いが駆け巡りました。

こういった努力があってこそ、人はそれを見て感動するんだって。

すぐ飽きるよねとよく言われる

いっぽう私はというとこれまでの人生でそんなに一つのことを、ずっと続けてきて成し遂げたみたいなことって、ほとんどなく。。
なんだかなぁという人生でした。
妻からも、何か初めてもすぐ飽きるよねと言われることが多々あり、小さい頃から毎日何年もピアノを続けて上達している子供達をえらいなぁと横で見て感心しているほどです。
それに比べて私は何か誇れることってあるのかなって。

どんどん新しいことに興味が湧いてしまう

一時期はハマることはあって、それでやっていくんだ!みたいに熱中することはよくあるんです。
ただ、途中で別のことに興味が湧いてきて、そうなってくると、今やっていることが急に熱が冷めてしまうんです。
なので、完成しないというか、中途半端で終わってしまう。
その繰り返しです。
そんなんだから、人を感動させることもなければ、誇れることもなく、今では触らなくなった趣味のものがたくさん埃をかぶって眠っていたりします。

YouTubeを見ていると

あるときふと思い浮かんだキーワードでYouTubeを検索してみました。
「すぐ飽きる いろんなものに興味が湧く」
そうすると、次のYouTubeがヒットしました。

そうか、2種類の人がいて、私はどちらかというと、そっち側の人間だったのかと、気付かされました。
今まで、そういう考えはなかったのでとても興味深いです。

アンティークコインに興味が湧く

とかいっているうちに、この週末ぐらいから急にアンティークコインに
興味が湧き始めました。
これはいつもの傾向です。
さっそく関連図書を購入し、YouTubeも見まくり、実家に眠っていた古銭や記念硬貨を整理し出して、そのことで頭いっぱいになり始めています。
ただ、問題があります。
これはいつも遭遇する問題なのですが、アンティークコインを購入するような小遣いに余裕がないことです。

となると、どうやって資金を調達するか、何かを売って稼ぐとか、そういうのも考え始めます。
ただ、私のタイプからすると、これまで何も成し遂げていなかっただけに、人に提供できるような価値あるものを持ち合わせていないのです。
困った、、
どうやって稼いだら、、
副業系は、いままでいろんな興味を持って調べたりトライしてきているので、まあそんなにうまくいくわけがないって諦めが入ります。
ある意味その辺は理解しているのです。

物理的に無理であるならば 

自分自身に問いかけました。
というより浮かび上がってきました。
待てよ、別にアンティークコインを収集していなくても、カタログを見たり、インターネットでみたり、展示会とか行ったりして、眺めることはできるではないか。
そして、そのコインから歴史に興味が湧けば、歴史を調べたり勉強したりするという楽しみ方もできるではないか、と別の楽しみ方を思いついたのです。
何もお金をいっぱい調達して、コインを購入しなくても、同様に楽しむことだってできるのです。

イマジネーション

ディズニーに行くと、クライマックスになるとミッキーがイマジネーションってよく言いますが、イマジネーションによって目の前の世界は作られているわけで、イマジネーションこそが最強なのかもしれません。
それによって自分の欲求が満たされ、楽しむことができるのなら、分相応なやりかたはいくらでも想像することができるのです。

メディアによる効果

どこかでも書いたもしれませんが、テレビによる駅伝の放送だったり、プロジェクトXによる会社のエンジニアがこんなに苦労して作り上げましたとか、伝記による偉人の物語とか、私たちは努力や苦労によって成し遂げられたいろんな物語をこうあるべきだというように見せつけられます。
そして、自分と比べて、もっと頑張らなきゃって奮い立たされます。
ただ、みんながみんなそんなふうになれるはずもなく、ただただ、自分の
不甲斐なさに嘆くのです。

解放

そんな毎日を送るよりも、自分自身の楽しめることに囲まれた生き方をして、自分なりの方向性だったり、ゴールだったり、そういうものがあれば、誰かと同じ生き方なんてしなくてもいいんだって気づきました。
なので、例えばエベレストを登らなくても、その辺にある100mぐらいの山を登ることがゴールであっても全然いいのです。
それが私の人生なのですから。

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