こんな悪魔は間違っているⅠ
この世界に本当に悪魔や天使なんているわけがない。
ずっとそう思っていた僕の元に悪魔が現れたのはつい数時間前のこと。
バイト先から自宅への近道である裏路地をいつものように歩いていた時だった。
「うっ…」
すれ違いざまに人とぶつかった時、激しい痛みが腹部を貫いた。
一体何が起きたのかわからないまま僕は腹部を押さえてその場に倒れ込んだ。
痛む腹から体温が逃げ出して全身から力が抜け出していく。
「あぁ…死にたくない…死にたくないよ…」
とにかくそれだけを呟き続けた―
何もなかった僕の人生。
彼女は愚か女友達すらいないようなシャイな人間として誰かの記憶に残ることすらなくここで消えていくなんて絶対に嫌だ。
しかし、僕の願いなど迫り来る"それ"からすればちっぽけなもので、抗うことなんてできないまま意識が段々と遠のいていく。
「し…たく…な…い…」
『おい、人間』
声が聞こえた。
女の人の声。
セリフはまるで人間を見下す悪魔のようだったけれど、その時の声は僕にとって命を救いにきた天使の声のように聞こえた。
?:お前の望みを一つ叶えてやろう。
○:の…ぞみ…?
?:死にたくないのだろう?
○:し…にたく…ない…
?:ならば私と契約しろ。
お前の望みを叶えてやる。
もうすでに限界を迎えた体は微かな動きしかできず声すら出せなくなった僕は何も言わずにゆっくりと頷いた。
『ふふっ』
僕の意識は笑い声を最後に途切れたのだった―
目が覚めた。
痛みは完全に引き驚いた僕は貫かれた腹部を恐る恐る探った。
○:傷が治ってる…⁉︎
生きてる…生きてるんだ…‼︎
?:おい
○:えっ…?
声のする方へ振り向くと今まで見たこともないような美少女が僕を上目遣いで見つめていた。
?:頭が高いぞ。人間。
○:え?
?:聞こえなかったのか?
頭が高いと…
○:どちら様ですか?
僕がそう尋ねた途端に彼女は歩いてもいないのにわざとらしくその場で躓いた。
その様子が不思議でキョトンと見つめていると、顔を上げた彼女は頬を膨らませて少し怒ったような様子で話し始めた。
?:私の言葉を遮って"どちら様ですか?"とはなんだ‼︎
許さん‼︎許さんぞ‼︎
○:は、はぁ…。
?:チッ…どうしてこんな人間と…
○:あ‼︎思い出した‼︎
もしかして昨日の天使ですか⁉︎
彼女はさっきよりも大袈裟に躓いた。
?:わ、私がっ…天使に見えるのかっ…⁉︎
○:えっ…?
い、いや…改めて言うとなんか言いずらいな…
?:い、言いずらいとは何だ⁉︎
○:いや、ほら…天使に見えるか?って聞かれて素直に見えるって答えたら何だか僕が貴女のこと好きになっちゃったみたいに聞こえるかなって思いまして…
?:なっ…⁉︎
す、好きっ…⁉︎
彼女は驚いた様子で僕を見ていた。
?:お、お前っ…まさか私のことが…す、好きなのか…⁉︎
○:え?
?:何度も言わせるな‼︎
私のことが好きなのかと聞いている‼︎
○:いや…
?:いや…?
彼女は突然瞳を潤ませながら口をキュッと結んで首を傾げた。
○:なっ…⁉︎
?:ど、どうした…⁉︎
○:そ、それ…やめてください…。
?:それとは何だ⁉︎
○:そ、その…
?:その…?
だんだんと顔が近づいてくる。
それに対応して僕も一歩、また一歩と後退りをしていく。
?:どうして逃げるのだ⁉︎
○:ち、近いです…‼︎
?:近くて何が悪い‼︎
早く私の質問に答えよ‼︎
○:わ、わかりましたから‼︎
?:何がわかったのだ‼︎早く答えよ‼︎
「す、好きじゃないです…‼︎」
?:なっ…⁉︎
○:好きじゃないです…僕、いきなり出会ったばかりの人を好きになったりしませんから…‼︎
?:…。
事実を言った。
僕は一目惚れなんてするタイプじゃない。
第一素性もよくわからないような相手のことを好きになるほど僕は軽い男ではない。
だから…
?:う、ううっ…
○:え…?
?:いつもそうだ…皆私のことが嫌いなのだ…
皆私などいなくなればいいと思っているんだ…
私は…私は…‼︎
○:お、落ち着いてください‼︎
そう言う意味で言ったつもりじゃ…‼︎
?:では、どう言う意味で言ったのだ‼︎
"好きじゃない"と‼︎
○:そ、それは…
?:好きか嫌いかで答えよ‼︎
○:えぇ⁉︎
?:10秒だ‼︎
10秒で答えねば私はお前を…お前を…‼︎
○:ちょ…ちょっ…⁉︎
どうするの…⁉︎
?:いいから答えよ‼︎
残りは8秒だ‼︎
○:えぇ…⁉︎
えっと…その…えっと…ど、どうすれば…
?:3…2…1…
「好きです‼︎好き‼︎好きだから‼︎」
?:ふふっ…ふふふふっ…
○:…?
?:好き。
○:え?
?:お前、私のこと好きなのか。
○:え?
?:えへへ…えへへへっ…
突然様子がおかしくなった。
両手で自分の顔を包み込むと中からは籠った笑い声…?のようなものが聞こえる。
?:すき…すき…えへへ…
○:あの…
僕が声をかけた瞬間、彼女の頭から突然ツノのようなものが2本伸び始めた。
○:えぇ…⁉︎
?:すき…すき…えへへ…
○:あ、あの…
?:すきぃ…
○:あの…‼︎
?:ん?
○:なんか生えてきてますけど⁉︎
?:あ。
○:あ?
?:ツノ。
○:ツノ?
?:興奮して出してしまった。
○:えぇ⁉︎
驚きのあまり口元を抑えると彼女はまた瞳を潤ませて僕を見上げてきた。
?:ツノは嫌いか…?
○:へ?
?:ツノが生えた私は…嫌いなのか…?
○:い、いや…
?:いや…?
○:す、好きです‼︎ツノ‼︎かわいいですよね‼︎ツノ‼︎
できるだけ語弊を与えないように誤魔化しながらツノを強調していったはずだ。
こんなに言ったのだからきっと…
?:かわいい…えへへ…かわいい…すき…えっへへへへっ…
○:えっと…これは…
?:えっへへへ…
すると今度は尻尾と翼が姿を現した。
僕は黙って触れないことにした。
しかし、そんな決心など関係なく彼女は僕に質問した。
?:おい、この尾と翼が生えた私。
好きか?嫌いか?
○:…。
?:どうなのだ?
好きか嫌いか。
先ほどまでのデレデレタイムを回避するために嫌いなどと答えれば何をされるかわからないし、逆に好きと答えればまさにそのデレデレタイムが始まるのだ。
あぁ、こんなに恋しいと思ったことはない。
有耶無耶に…曖昧に…そんな表現が封じられた時、初めてこのズル賢い回答の有り難みを自覚した。
しかし、そんな場合ではない。
早く語弊がないように好きと伝えなければ…
?:どうなのだ?
○:どっちも好きです。
翼も、尻尾も。
?:…。
まさか…回避した…⁉︎
喜びで思わず笑みがこぼれてしまいそうになったのも束の間。
彼女は顔をまた抑えた。
?:えへっ…ぐへへへへっ…ぐへへっ…
○:…。
ドン引きである。
こんな美少女が変態のように「ぐへへ」と言っているのだ。
そのあまりにも激しいギャップに頭がついてこない。
とにかく回らない頭をフル回転させて導き出した答えは彼女が顔を抑えている間にここから逃げ出そうと。
音ひとつ立てずに回れ右をして一歩を踏み出した―
気づいた時には手首を掴まれていた。
○:え?
?:決めたぞ。
○:な、なにを…?
?:さっきまでの契約は無かったことにしてやる。
○:は、はぁ…。
?:そして、新たな契約をお前と結ぼう。
○:新しい契約…?
?:ふふふっ…それはだな…
「お前と私は今日からメオトになる―」