超大企業の会社員だったアラフォーの私が、複業フリーランスになった理由とは。
こちらは、私がコミュニティマネージャーとして運営をする「スラッシュワーカーズ」における、イヤーエンドカレンダーの取り組みだ。テーマは、「2023年度の新しいスラッシュワークを振り返る」。
スラッシュワーカーズとは、/(スラッシュ)で区切るように様々なお仕事をする複業実現コミュニティ。
実際に今の私の仕事は、コミュニティマネージャー/コミュニティ運営統括/プロジェクトマネージャー/オンラインイベント・カンファレンス企画設計/ファシリテーター/インタビューライター/広報など、多岐にわたる。
そして、2023年度の最も大きな出来事は、新卒から勤務した会社を退職し、フリーランスとして独立したこと。
今日は3月31日の年度末。前職の営業時代は、年度の数字の締めで最も忙しかった日だな、なんて思い出しながら、アラフォーで会社を辞めた想いや経緯を振り返ってみる。
幸せな会社員生活が、奈落の底に
私が新卒から勤めていた会社は、超大企業。従業員15,000人を超え、就活生の人気ランキングでも上位に入る。業界のリーディングカンパニーでもあり、資本体制も日系企業の中でもかなり強く、いわゆる給料が良いことでも有名な会社。ちなみに高給取りと有名なので、男性は合コンでモテモテらしい。
企業名の信用もかなりあるし、収入面も全く困らない。もちろんその分ハードな仕事も沢山あるけれど、待遇的には、かなり恵まれていた自覚はある。
そんな会社に新卒から在籍していた私は、準備に準備を重ね、意を決してアラフォーで会社を辞めた。つまり、数年在籍して辞めたわけではない。かなり長い間業界に身を置き、役職もついていた状態である。
前職の会社は、中途採用をほぼ行わず、人の入れ替わりがあまりない。終身雇用が当たり前で、待遇が恵まれていることもあり、退職者や転職者が圧倒的に少ない。そして、「大企業で働いてこそ勝ち組」的な固定観念をもっている社員も多く、リーディングカンパニーである以上、同業他社へ転職する理由もない。
そんな会社で、第二新卒でやり直しがきくと言われる世代でもなく、アラフォーで「フリーランスで独立するから辞めます!」なんて特殊な人間は存在しない。歴代の全従業員を調べればいるかもしれないが、私が知っている限りは皆無。実際私の考え方は、会社の中での異色で変わった人だと思われていただろう。
人の入れ替わりがないからこそ、少し時代に取り残されている独自の文化が形成されている実情は否めず、ずっと違和感自体は持っていた。
とはいえ、長期連休は思いっきり旅をして、ボーナスも好きに使え、それなりに幸せに会社員をしていた私が環境を変えようと思ったきっかけは、大きく2つある。
1つめは、コロナ禍の鬱屈した世の中で上司が変わり、その方がナチュラルボーンのパワハラ体質だったこと。ここでは内容は省くけれど、1年間にわたる人格否定は相当に自己肯定感を削られた。けれど、逃げることを知らない私は真っ向から耐え続け、生きる意味を毎日問い、泣きながら仕事をし続けた。
2つめは、当時新規開拓の営業をしていたのだが、得意ではないことを自覚し始めたことだ。私のストレングスファインダーの1位は、「適応性」。どこにいても、空気を読んで何となく場に合わせられる。初対面で人と話すことも出来てしまうし、むしろ割と得意ぐらいに思っていた。だからこそ営業職にアサインされているのだが、のちにこの適性は大きな間違いだと分かる。
ポータブルスキルが何もない、空っぽな自分を変えたくて
パワハラを受けながら、苦手なことをやり続ける日々を乗り越えた頃、会社へ抱く疑問点が日に日に大きくなっていく。そして、好きでも得意でもない新規開拓の営業を、このまま一生続けるのだろうかと恐怖に近い感情が芽生え始める。
私にも、「選択肢」と「選択権」が欲しくなった。次にパワハラ上司にあたったときに、「私、別にこの会社以外でも生きる道はあるので」と胸を張って思えたら、きっともっと強く生きていけると思ったのだ。
ただ、モヤモヤしているのに、そこから飛び出すことが出来ない、ここを出たら何のスキルもない空っぽな自分にも気付いて絶望する。
同じ業界で働き続けることで、その業界で生きていく職能はついた。けれどこれは、この業界でしか通用しない能力だ。他の会社や業界でも通用する「ポータブルスキル」を培える業界ではなかった。だからこそ、転職も困難を極める自覚があった。
一般的に転職は、やり直しがきく年齢を超えると、知識を活かして同じ業界にスライドするか、同じ業種(私の場合は営業)で違う業界に行く選択肢になる。
私は業界自体には興味がないし、そもそもリーディングカンパニーで恵まれていたこともあり、同業他社にも一切興味はなかった。そして、営業が苦手だと自覚している中で、二度と営業職はやりたくない。だからこそ、生きていくためにはこの会社で我慢するしかない、そんな八方塞がりの状況だった。
スラッシュワーカーズとPOOLO JOBが私の転機
一旦転職は諦め、次の施策として副業をすることにした。
「こんな自分でも何かスキルがあって、副業できるのだろうか」
そう思って飛び込んだのが、スラッシュワーカーズ。今は運営に加わっているけれど、元は参加者なのだ。とはいえ、最初からフリーランスになることは、全く考えていない。
「大企業の会社員こそ正義!」という価値観は、前職の同僚や上司だけでなく、大学時代の友人や家族も同じだった。大学名や会社名などの「肩書命」の世界にずっといた私は、いい大学に入らねば、いい会社で働かねば、いい会社で働く旦那さんと結婚せねば、的な価値観でずっと育てられ、狭い世界で生きてきた。
そういう意味では、いい大学に入って、いい会社に入って、いい会社で働く旦那さんと結婚したけれど、のちに色々あって離婚することになる。人生は、そうもうまくいかない。
スラッシュワーカーズだけでなく、他にもオンラインコミュニティにたくさん参加し、狭かった世界を広げるために尽力した。
そこには、肩書きや会社名にこだわらずに、もっと自分らしく働いている人、自分の名前で仕事を創っている人、ノマドワーカー的に世界を飛び回っている人、自分のサービスを立ち上げている人、色んな人に出会って私の凝り固まった世界は大きく広がった。
そして、2023年1月から初めて、コミュニティマネージャーの副業を始めた。こんな何もない私が副業できるなんて、とすごく自信にもなった。
ただここでも、会社を辞めるなんて到底考えていない。大して好きでもないし得意な仕事でもないけど、この安定感は捨ててはいけないような気がしていた。副業で、好きなこと・得意なことをやっていけばそれで満足と思っていたし、別にその考えが間違っているとも全く思っていない。
そして、2023年4月、まさに2023年度の始まり。ここからが図らずとも大きな転機となる。
株式会社TABIPPOが主催する、「POOLO JOB」トラベルクリエイターコースに参加する。「旅を仕事のひとつ」にして複業のスタート地点にたつという、ライティングやSNSのスキルアップを学ぶコースだ。
私は、「やると決めたらやる」タイプなので、この3ヶ月のコースも本気でコミットした。かなり多くの課題が出るのだが、ただこなすだけでなく、仕事を受注できるクオリティに仕上げるために必死で努力をした。
ポータブルスキルが何もない空っぽの自分、どれだけ嫌なことがあっても会社を辞める選択肢を持てない自分を変えることが、大きな原動力になっていたように思う。
そして私はどうやら、書くことも取材することも得意だとここで初めて知り、このコースをきっかけに、色々仕事が舞い込むようになる。
元々参加者だったこのPOOLO JOBは、今ではリリースのプロジェクトマネージャー、集客責任、マーケティング、運営とコミュニティ統括など一気通貫で仕事として関わらせてもらっている。
その後スラッシュワーカーズも、元は参加者だったところから運営にならないかと声をかけてもらい、現在コミュニティマネージャーをしているという経緯だ。
「なんとかなる」ではなく「なんとかする」が私だと思い出した
2023年度、とにかく私は忙しかった。とにかくずっと働いた。
年間の休日は、真面目には数えていないけど、おそらく数日。本業と副業とスキルアップのための勉強をして、月の稼働時間は、ここで書くのはやめるけど、結構おそろしい数字だ。
誰とも会わないし遊びにも行けないし、睡眠不足により何度か眩暈で倒れそうになっているので、全くこの働き方はおすすめしない。
そんな生活をずっと過ごしたことで、ひとつ思い出したことがある。
私は、「なんとかなる」という楽観主義者ではない。「なんとかする」という根性論タイプだったと。
昔から、自分の頑張りで何とかするもの、例えば受験や就職活動など、そういう類はめっぽう強くて、自分だけが頑張ればいい「努力ゲーム」で叶わなかった目標はない。要領も良いので、最短ルートでの努力ルートを戦略的に考えて実行していくタイプだ。
ただ、20代後半から、両親の癌や介護、死別、離婚など、相手ありきのことで、自分一人の努力では何ともならないことが多く、自分の性質を完全に忘れていた。この1年間、必死に準備を積み重ねて副業やスキルアップを頑張れたことで、努力ゲームに強い自分を思い出し、フリーランスになる覚悟ができたのだ。
とはいえ、フリーランスになった場所に縛られない仕事もできて、好きな仕事も選べて、ALL HAPPY!なんていう、楽観的な考えも全く持っていない。
一見キラキラ見える、旅をしながら仕事するの裏にはハードな努力の積み重ねがあるし、会社員の年収に戻すこともある程度時間がかかることも想像できている。
けれど、私は決めたらやり通すんだった。「意志強い」とか「ゆるふわ女子に見せかけた、中身ごりつよ女子」とか最近言われるけど、自分なら決めたらやれる、「選んだ道を正解にできる」から、どんな選択をしても大丈夫だと心から思えたのだ。
実際、副業でお仕事をしまくったことで、副業だけで会社員の月収にも到達していた。本業を辞めて時間が空けば、もっと稼げる算段の準備もあった。
ちっぽけなプライドより、今ここに流れる時間が大切と気付く
正直、今20代だったらもっと軽々と会社を辞めているだろう。年齢を言い訳にするのは嫌いだけど、30代後半という年齢における転職や新しい仕事をする上での市場価値のメタ認知は出来ている。そしてこの年齢から、もう二度と大企業に戻れることはない。
私は元来、そこまで慎重なタイプではない。ストレングスファインダーの慎重さも下位3位だし、何も決めずに旅に行くし、結構普段は適当だ。でも、こと仕事に関してはどうしても慎重にならざるを得なかった。それはきっと、年齢と大企業という呪縛。恵まれた年収にもいたからこそ、一旦は年収が下がる恐怖もあったけれど、それよりも、プライドも邪魔していたように思う。
世の中で大企業病と言われているけれど、前職の会社もまさにそうだった。詳細は割愛するけれど、この環境にいては一生成長できない、とも思うようになった。
ヤキモキしている間に、時間は残酷に流れていく。このままこの会社にい続けても、何のスキルアップもできない。大企業を辞めることがもったいないのではなく、「時間がもったいない」だんだんそう思うようになった。
もっともっと大きな仕事もしたいし、スキルアップもしたいのに、本業があるから時間の限界を迎える。ちっぽけなプライドよりも、目下の年収が下がる恐怖よりも、「何よりも大切なのは、今という有限な時間」そう思ったこともフリーランス転身への大きな要因だ。
苦手の自覚と得意のブラッシュアップ
有難いことに、ひっきりなしに仕事は舞い込む。私のモットーは、受けた仕事は基本どんな単価であっても、手を抜かず全力を尽くすこと。
スラッシュワーカーズ観点でいうと、私が思う仕事を獲得する方法は、下記3つあるように思う。(クラウドソーシングを除く)
1つは、コミュニケーション能力の塊で、いわゆる人たらし。オフラインの飲み会などで人脈づくりが得意なタイプ。
2つめは、SNS発信が得意で、息するようにSNSに居場所を作れるタイプ。インフルエンサーのように影響力も持てるし、SNSが名刺変わりになれる。
3つめは、職人タイプ。1度受けた仕事で着実に信用を積み重ね、継続案件にしていく。コミュニティにも貢献して参加者から運営にまわったり、紹介で仕事も増やしていく。
私は完全に、3つめだ。営業職だったので1つめが得意と思われがちだし、結構見た目も派手なので、映え重視の女子で2つめも好きと思われがちだが、正直どっちも苦手。(とはいえ、強化しなければという自覚はあるので、これは2024年度の目標)
地味な生活で地味な性格だけど、それが功を奏して3つめの方法で自分なりに仕事を獲得できている。
好きと得意を仕事をしていくためには、模索しながらの自己理解が不可欠だ。
私には、0→1の能力はない。一人で色々やってしまいがちなので、人を巻き込む能力もないし、初対面での関係構築も本当は苦手。自分の「適応性」に誤魔化されて、営業も得意!と最初は思っていたけど、ONスイッチがあればスキルとして出来るだけのこと。相手の感情が手に取るようにわかる「共感性」の高さも持つので、何かを売り込むのも苦手だ。
でも、1→10にする力はあるし、全体を見渡す鳥の目は得意だし、緻密に構成を考えたり、重要なところを要約する能力がある。
今思うと、会社員時代の新規開拓営業は、まさに私の苦手を詰め込んだパッケージのようだった。努力しても努力しても苦しみを覚えていた。
ただ、今の仕事のコミュニティマネージャーやライター、イベントの台本作成や企画は、私の得意を活かせている。ずっと仕事をしていられるし、ONスイッチ入れなくても、息するように出来ている。
そして、会社員時代の私は、ずっと自分にはスキルがないと思えていた。けれどこの長年の会社員スキルと営業スキルは、クライアントワークにとても役立つ。
営業でいうと客先、クライアントワークでいうとクライアント、そのニーズを察知してきちんと仕事を進めることは、ポータブルスキル云々の以前に最も重要なこと。あんなにスキルがないと嘆いていた会社員時代に、きちんとソフトスキルは培われていたらしい。
そして私は、人間味溢れたインタビュー記事の執筆が得意だが、これは私のこれまでの人生経験が影響している。
<ライターポートフォリオ>
紆余曲折を乗り越えてきて、全然キラキラしていない泥臭い歩みだったからこそ、インタビュー対象者が私に自己開示をしてくれることが多い。
反対の立場に置き換えた時、順風満帆な苦労しらずの相手に自分の原体験や苦労話をしたところで、分かってもらえないと思うのが人間の性だから。こんなところで私の人生経験が役に立つんだと、伏線回収された気分だ。
2024年度の目標は「手放す」こと
最近刺さった言葉がある。
「フリーランスは、いかに暇になるかだよ。」
暇な時間にこそ、次の仕事を探したりスキルアップをしたり、SNSを発信したりできる。単価が見合わない細かい仕事に追われているだけでは良い仕事はできない。
2023年度は、私には「良い暇」が全く足らなかった。私は職人気質なので、記事1本とってもかなり時間をかけるし、クオリティも重視するし、編集者の方の手を煩わせないように細心の注意を払うからこそ、暇だってなくなる。
私のこの姿勢が次の仕事に繋がっているとは思うので、手を抜くことは今後も出来ないししないけれど、私がもっと飛躍するためには、良質なインプットをすること、そのための良い暇をもつことなのだろう
だからこそ、手放す。
ずっと手放すことが怖かった。手放したら、二度と仕事も舞い込んでこないし、幸せすらどこかに飛んで行ってしまう感覚がある。
でも最近は思う。手放した分だけ絶対に「何か」入ってくる。そして私は、自分の「なんとかする」馬力だけは絶対的に信じている。
あぁ私すごく強くなったな、なんて思いながら、イヤーエンドカレンダーを締めくくります。
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