「野生の思考」とは?
拝啓 奥さんへ
「野生の思考」(La Pensée Sauvage)は、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースによって提唱された概念です。この言葉は、1962年に出版された同名の著作『野生の思考』の中で詳しく論じられています。レヴィ=ストロースは、野生の思考を「未開社会」の人々が持つ独特の思考方法として説明していますが、これは決して原始的でも劣っているわけではなく、むしろ人間の思考の根本にある普遍的なものであるとしています。
レヴィ・ストロースは、19世紀から20世紀半ばに至るまでの政治思想が「歴史」というものをめぐる合理的な思想であるように見えながら、実際には自分自身の内部に閉じこもった西洋の神話であることを明らかにしようとしました。西洋社会が自分自身の中に自閉して、その自閉的な意識を表現しちえるものが「歴史」だと考えました。文化は西洋のものだけではなく、アジアやアフリカ、オセアニア、南北アメリカんどに生きてきたいわゆる「未開社会」にも、人間は文化を形成してきました。そうした文化はサルトルのいう「惰性態」などではけっしてなく、知性によって動いています。その知性は「分析的知性」だけでなく、その中には「弁証法的理性」も働いていて、この2つが共働しながら彼らの世界はつくられてきました。なぜなら、彼らは「歴史」よりも「構造」を重視したらだとレヴィストロースは考えました。
構想主義の着想
1939年、フランスに帰国したレヴィストロースは召集され、ドイツ・フランス国境のマジノ戦の塹壕へと送られます。そこでは時々鉄砲の音がするくらいで、戦闘らしいものは何も起こりませんでした。塹壕に入ってぼおっと景色を見ていた彼は、目の前にタンポポの花を見つけます。美しい秩序をもったその花を見ているうちに、突然「構造」の考えを思いついたとレヴィストロースはのちに書いています。自然界の秩序と、人間の思考がつくりあげる秩序には連続性があるのではないか、そのことに気づいたのです。
人間の思考は自然が作りあげたものです。宇宙の全体運動の中から地球が生まれ、地球に生命が発生し、生命の中から脳がつくられ、そこ精神が出現するようになります。そしてその精神には独特の秩序がそなわっています。その秩序は、いまこうしてタンポポの花に表現されている自然界のつくりあげた秩序と連続性をもっているのではないか。しかし、そこには両者を隔てている非連続性があることも事実です。この連続性と非連続性を同時にとらえることができないだろうか。それが、最初の構造主義の発想でした。つまり、自然界の中から生み出されて生命のそのまた延長線上に生まれる人間の精神の構造。この精神の構造と自然界の構造を、ひとつの全体としてとらえることで、精神の秘密にせまれるという思想です。
具体の科学
「野生の思考」の巻頭には、バルザックのこんな言葉が引いてあります。
バルザックの言うように「野蛮人」とよばれるいわゆる未開社会の人も、物事の「あらゆる角度から徹底的に研究」し、事物を具体的に思考するからで、そこで「野生の思考」の第一章は「具体の科学」と題されることになrました。
それでは、ここで野生の思考と科学的思考を比較してみましょう。
科学的思考
概念
抽象的
正確
秩序
モデリング
野生の思考
記号
具体的
ゆらぎ・ぶれ
自由
ブリコラージュ(ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る)
科学的思考では、まず概念を組み立てることからはじめます。概念は抽象的なもので、できるだけ具体的要素を取り除いて、ある特定の用途にぴったりと合うようにつくりだされた知的道具です。科学技術者やエンジニアが用いるのが概念で、それを用いて実験室の作業や研究を行ったり、新しい製品をつくったりしています。
それに対して、先住民の思考は記号を用いているとレヴィストロースはいいます。これは大変面白い言い方で、記号とは概念と違ってはじめからゆらぎやずれが含まれています。記号ではメタファーやメトニミーが基礎となっています。あるものを似ているもので表現するのがメタファー、似ていなくてもよいから近くにある別のものをもってきたり、部分で全体を表現するのがメトニミーです。記号と対象はぴったりと合致することなく、たえず揺れ動きをはらんでいます。
縮減と呪術
人間が自然音から言語音を抽出するときにおこなっていたことを思いだしてっください。そこでは感覚の「縮減」が行われていました。縮減とは、情報のある部分を消していって、大切な部分だけを取り出して、縮小した模型模型をつくることす。レヴィストロースは「芸術品の大多数がまた縮減模型」であると述べています。人間の認識は、たえまなく縮減をおこなっています。情報の縮減を行いながら、実物の像を正確に再生することで、世界とえられています。
レヴィストロースは、先住民の野生の思考と現在の科学的思考を対比させて前者を「呪術的思考」と呼びました。先住民は現在の植物学者をときにはしのぐほどの精密さと正確さで自然観察をおこない、その観察と実験は自然科学者の情熱と同じなのです。呪術と科学が用いている知的操作はほんらい同一のもので、新石器時代の呪術によって蓄積された知識が近代科学を生み出すおおもととなったことを明らかにしようとします。
それでは、縮減と呪術についても整理しておきましょう。
縮減
本質
モデリング
離散的
呪術
現象
ブリコラージュ
連続的
最後に、「構造」についてお話ししましょう。レヴィストロースの言葉で定義すると、「構造とは、変換を行っても不変の属性を示す諸要素と、その諸要素間の関係の総体である」ということになります。ちょっと難しいですね。「変換を行う」とは、何らか構造にオペレーターが作用したとき、内部から全体の変化がおこり、しかも、変換されたあと構造が前の構造と同型の関係を持って、全体の構造が変わらずに持続していることをさしています。
さて、ここからが野生の思考の本番なのですが、時間が来てしまったので、今日はここまでとしたいと思います。野生の思考については、原文も読んでみたのですが、かなり難解な本でした。今回も100分de名著を参考にまとめてみました。本当に100分de名著は、本質がまとまっていて素晴らしいなと思います。多謝。