「大局観(羽生善治)」を読む
拝啓 奥さんへ
将棋界には、「反省はするが、後悔はしない」という言葉があるそうです。確かに反省は必要ですが、それが済めばいつまでもうじうじ後悔する必要はなく、その経験や体験を自分自身の実力を上げるうえでの必要不可欠なプロセスとして受け止め、消化し、昇華させることが大切です。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。
これは、昔から勝負の世界でよく言われている格言です。
勝負事には幸福な勝利はあっても、不運な負けはない。負けには何かしらの理由があります。いったん、何が負けの原因だったのか、きちんと検証し、反省する必要があります。
体力や手を読む力は、年齢が若い棋士の方が上ですが、「大局観」を使うと「いかに読まないか」の心境になるそうです。将棋ではこの大局観が年齢を重ねるごとに強くなり進歩します。同時に熟練になり精神面でも強くなると六十歳、七十歳になって、この大局観は戦うための柱となります。これは将棋に限らず、人生そのものに関しても言えるのではないかと夫は思います。
集中力とは
大局観とは具体的に、全体を見渡す、上空から眺めて全体像がどうなっているかを見ることです。例えば、道に迷ったとき、空からその地形を見て、右に行けばいいとか、左にいけば近いとか、また、この道を行けば行き止まりだとかを瞬時に把握することです。大局観とは、全体像を見て、どんどん行ったほうがいいということを確認することです。
特に判断するときに、集中力は、どんなことをするにしても必要不可欠なポイントです。集中とは余計なことをあれこれ考えず、ただひたすらに一つの考えを進めている状態です。この状態をある程度積み重ねていけば、深くものごとを考えることにも慣れるでしょうが、今すぐこの場で深く集中してくださいと言われても、急にはできません。
やはり、それなりの助走期間が必要で、準備のための時間があって、初めて深く集中できます。そうやって集中することは、海に潜る感覚に似ているそうです。少しずつ、少しずつ海底に向かって潜っていく感じです。
正確に記憶できなくても悲観しない
認知心理学の世界には、記憶に関してマジカルナンバー7という言葉があります。この言葉は、心理学者のジョージ・ミラーが、短期記憶の容量が7±2であることを発見したことに基づいています。
記憶は時系列に並んでいるわけではないので、時として、それが混乱を引き起こすこともあります。いわば、近々にあった出来事の断片が組み合わさって、つじつまの合わない荒唐無稽な夢を見るのに似ています。
いろいろな学説を見ていると、ものごとを正確に記憶するのは難しいものだと思うが、もの忘れに関して、あまり神経質になることはないと思います。
生物学者の福岡伸一さんが書かれた「動的平衡」の中に、こんな一説があります。
ビデオテープの存在を担保するような分子レベルの物質的基盤は、脳のどこんをさがしてもない。あるのは絶え間なく動いている状態の、ある一瞬を見れば全体としてゆるい秩序をもつ分子の淀みである。そこには因果関係があるのではなく、平衡状態があるに過ぎない。
この文章を読むと、忘れるほうが自然で、覚えていることのほうがむしろ不思議なくらいだと思うようになりました。そして、多少のことは忘れても、それも当然と随分と気が楽になりました。多謝。