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暴れたいだけ、暴れさせてあげる|ぼくの中のインナーチャイルド

こんにちは。モラハラを手放すと決めて61日目の久保だいすけです。

突然ですが、先週の土曜日に、妻の前で泣き崩れてしまいました。

ここのところ、母による加害と支配、それに伴う孤独と苦痛。支配から逃れようと助けを求めるも、家庭内の苦痛をなかなか外に助けを求められずに耐える日々。そして助けが来ない中で、どうにか自分で抱えようにも負荷が大き過ぎて自分の他の人間関係までをも壊していく現実。30年近くが経とうとしている今、ようやくこれらが言語化できつつあり、向き合えるようになってきました。

きっかけは励まし応援してくれる仲間に囲まれた息子

以前の記事でも触れた通り、息子はこの9月からぼくが通った高校に進学しました。ただし、進学先を決める直前に息子は、「A高にいる子達とはあまり合わない」「むしろB高に通う中学時代に一緒だった友達やその周辺の子達の方が気が合う」と進学先を悩み始めました。「でもどうせパパとままはぼくをA高に通わせたいんでしょ?」と半ば拗ねている時もありました。

最終的には、その状態ならどっちに進学することになっても、どこかで後悔が生まれる。あっちに行けば良かった、こっちの方が〇〇だった。誰がいるというのも大切だけど、転出・転入生の多い学校故に入れ替わりもあり、また生徒数も多い大きな学校である、元々誰がいるではなく総合的に行きたいと本命にしていたA高にしてみない?という会話を経て、息子からも「うん、そうする」と納得した様子で通い始めていました。

何がポイントかというと、どこかでぼくは父親として、息子のSOSを見逃していたのでは?友達があまりできない、仲間に恵まれない、息子自身があまり落ち着かない環境に追い込んでしまい、経緯は違えど自分と似たような目に合わせてしまっているのでは?と気が気ではありませんでした。

それが9月になり、毎日元気に学校へ通う息子を見て、また秋シーズンは何もしないと言っておきながら、同じ転入生同士で仲良くなり、彼らと一緒に男子バレーボール部のトライアウトを受け見事に合格し、とにかく楽しそうに過ごしていました。そのバレーボールの試合観戦に行くと、ポイントを獲れば全員で喜び合い、ミスをしても励ましあい、掛け声をかけ、チームとして結束力を持って試合に挑んでおり、また監督も子供達のことを信頼して一緒に励まし合いながら楽しんでいる姿を見るのがとても幸せでした。9月下旬には、息子が受けている授業全ての先生とのグループ説明会が開催され、どの先生に合っても息子くんはとても優秀で良くやっていると、先生らも目を配ってくれていることがとても頼もしかったです。

あふれ出る、名のない感情

前日に朝から晩まで土曜日にもかかわらず学校に行き、ボランティアやテニスやバレーボール部の友達の応援に明け暮れていたにもかかわらず、日曜日も友達と遊びに行くかも知れないと息子が言ってきました。

同じ学校の友達なら、週末も会いたい友達がいること。
他校に進学した旧友であれば、学校の外にも落ち着く居場所がある。

ファースト・プレイスの家庭、
セカンド・プレイスの学校、そして
サード・プレイスとなる旧友たち。

これは紛れもなく息子が自分自身で築いてきた人間関係であり、本当にそれが頼もしく、また羨ましくもあります。

羨ましさにはもちろん、妬みや嫉妬心は一切なく、嬉しい気持ちです。

そしてこのことを、どうしても共有したく、妻に話しました。
すると妻も共感してくれ始めたら、なぜか感極まり始めてしまいました。

妻との会話が終わり、台所に立っていると、涙が止まらなくなってしまい冷蔵庫の陰に隠れましたが、既に手遅れで驚いた妻が駆け寄ってきて、背中を摩り始めました。

そこで息子の頼もしさやうらやましさ、学校での応援時にも涙が溢れ出そうになったこと、そことの対比で自分の当時の「辛さ」が「助けを求めていた(求められなかった)」こと、また自分に余裕がなくなった時に妻が前日に助けてくれたこと、そしてそれが加害を受けた被害者である妻からして不快・怖いことだと想像できること、全てを話しました。

「インナーチャイルドが暴れているんだね」

妻は精神科のスペシャリストではありませんが、ぼくのこと(ぼくとのこと)やヨガのインストラクターでもあるため、この領域について勉強しています。そして元々、母との確執が全ての原因になっていることも、妻からの示唆でした。

ぼくは息子が羨ましいと思いますが、本当に妬みや嫉妬心はありません。むしろ息子が頼もしく育ってくれて、幸せな環境を得ていて、昔のぼくの接し方に申し訳なく思いながらよくここまで成長してくれたと彼の人間力に感銘を受けています。そしてそれを植え付けてくれた息子の母である妻に感謝しています。また、息子はその人間力をもってぼくにすごく深い言葉を投げかけてくれ、ぼくが逆に息子から学ぶ側になっており、感謝しています。

でも妻曰く、ぼくの中のインナーチャイルドはそんなことはどうでもよく、インナーチャイルドは「たすけてほしい」「誰かに頼りたい」「応援してほしい」といった自分のニーズが満たされている息子の姿をみることで、自分も!自分も!と暴れているのだと。

この言葉を聞いて以降、何かと自分のニーズに耳を貸せるようになってきた気がします。まだまだ自分のニーズそのものではないものの、何かしらの形で自分の中のインナーチャイルドが嫉妬して暴れている、まさにその感覚です。

そしてパターンとしては、誰かが純粋な優しさや応援を受けているのを見るときが多いことに気づきました。小さい子供がお母さんに甘えておりお母さんがそれを受け入れてくれている時、何かに向けて必死に努力している人が周りの応援を受けている時。

全てインナーチャイルドが嫉妬し、「うらやましい!」「ぼくも!」「それほしい!」と暴れている気がします。

それをヒントに、何かしらの形で癒してあげられるといいのですが、その方法が今のところ思い浮かびません。。。

これは追って宿題です。

暴れたいだけ、暴れさせてあげようと思う

孤独や不安、そんな気持ちが大好物のインナーチャイルドですが、助け・応援・支援という場面を見ると急に暴れ出します。

ぼくがどっちが好きかというと、インナーチャイルドには悪いですが、後者です。

ぼくにはそんな勇気も、仲間もいませんでした。
おそらくぼくがぼくであるが故に、そういう思いを仲間も持たなかったのだと思います。

でも少なくとも、1年間様子を見ると、この期に及んで優しく接してくれた妻がいます。彼女の喜ぶ顔がもう一度見たい。彼女を喜ばせたい。彼女の笑う笑顔が見たい。彼女を笑わせたい。

その思いで、まずは自分がどうありたいかで行動するとなると、インナーチャイルドには暴れたいだけ暴れてもらい、暴れ疲れるまで暴れてもらおうと思います。

そういやって助け・応援・支援と寄り添うことが当たり前になれば、ぼくもいつか自分から寄り添える気がします。

妻ちゃん、大切なことを教えてくれてありがとう。

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