![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/156637568/rectangle_large_type_2_eeddfa458199b4f77d75686ba1876023.png?width=1200)
Be mindful:自分すら支配するならマインドフルに行こう。
こんばんは。モラハラを手放すと決めて51日目の久保だいすけです。
やはり習慣とはすごいもので、再び連日書き出すようになると、少しずつ脳が日中から準備を始め、夜にはこのことについて書こう、という準備ができるようになりました。できるだけ続けていきたいと思います。
明日は2週間ぶりのカウンセリングです。やはりカウンセリングに向けては、変容ど真ん中よりも、その周辺にある自分が受けてきたトラウマについて紐解く支援をしてもらう方が向いているような気がしています。
そしてまさに先日、フォローしているとある方のTwitterで読んだ内容がまさにぼくの母そのものでした。
罪を抱かせること、支配するために
Guilt trip (罪を抱かせること) は、ターゲットを心理的にコントロールするために罪悪感を抱かせること。NPDの人はこれを多用する。「こんなに尽くしたのに」「育ててあげたのに」「あなたがいなければ私の人生はもっと良かったはずだった」など、恩に着せ罪の意識を煽り、逃げられないようにする。
— 🇨🇦aira-NPD abuseからの回復 (@AiraCoaching) October 2, 2024
これは自分の加害性にもつながる部分があるのですが、あくまでも毒親である母は常にこのセリフを使っていました。
「あなたのために、〇〇してあげている」
「してもらっているのだから、感謝しなさい」
「親だからといって当たり前ではない」
そんな親に育てられたせいか、自分でも一定の事実だと思っている部分はあります。親だからって、子供は当たり前だと思ってはいけない。躾な部分はあるが、まさに上のツイートの通り『恩に着せ罪の意識を煽り、逃げられないようにする」ことは支配でした。
自らに寄り添えなかった母(なのでは?)
ぼく自身も上記考えを引きずっており、子供達にも親として「してもらうのは当たり前じゃないんだから、しっかりありがとうを言いなさい」と躾けてきました。悪いことではないと思うのですが、これが加害性を持ったり、支配的になったりするのは良くないです。
または対等な関係のはずの妻に対して、ぼくはここまでしているのだから感謝されたい、喜んでもらいたい、なんで期待した反応をしてくれない?と不機嫌になったり責めることをしてはいけないです。
(若干、話が逸れますが、↑を書いていて、ぼくは深層心理で
・【妻】とぼく(夫)→対等な関係でいるべき
・【子】とぼく(親)→対等な関係ではない(!)
と思っているのでは?!と気づきました。。。
これはこれで違う恐ろしさが込み上げてきたので、また別の機会に深掘りして書いてみます。
自分でもうまく言えないのですが、もし母が自分のニーズを自分で満たせる人で、自分に寄り添える人であれば、自分自身に何か納得感のないことが起きた時(誰かにされた時)に、いつまでもネチネチとぼく(人)のせいにして、自分自身を被害者扱いしていなかったと思いました。
また起きてしまった理不尽な(と思い・感じてしまう)ことも、全て現象として受け入れた上で、自分はどう生きるのかを考え行動してくれていれば、被害者思考(被害妄想)もなかった気がすることに気づきました。
事実、ぼくは何度も母から加害を受けた後に、自分の部屋で一人枕で顔を覆って、母は被害妄想だ!と叫んでいたことを思い出しました。
誰でも人のせいにすることはある。大切なのはその先の気持ち
人のせいにすることは嫌・良くないと思っている人でも、何か自分の許容を超えたり、想定外の斜め上から落ちてきたことに対しては「〇〇のせいだ!」と誰かのせいにすることはあると思います。
でお肝心なのは、その先にどう気持ちを自分で持っていくかです。
仮にその理不尽な状況が、誰か人のせいだとしても、ずっとそのように思っている限り、自分で自分を被害者扱いし続けてしまっているような気がします。自分で自分は被害者という支配・マインドコントロールをかけ、自分自身の可能性やパワーを奪っていることになります。
そしてそのようなネガティブなマインドで自らを支配し続ければ、自分自身に対する自信はみるみる内に失われていってしまいそうです。
なので、初動や反応で、人のせいにしてしまっても、その起きたことを現象として受け入れ(理解し)、自分はどう生きるのかを考え行動することが大切だと思いました。
これまでぼくはまだ良く腹落ちしていない言葉にマインドフルという考え方があります。これを英語で動詞として使うと、be mindfulとは心を配る、意識する、awareである(認識する)という意味です。もしマインドフルな行動・思考があるなら、それは①誰かのせいにし自分自身を被害者している自分に気づき、②その状況を受け入れた上で自分はどう生きたいかを考えて行動することのようだと感じました。
他人の加害行為が気になるようになってきた
これだけ加害加害と深掘りしていると、他人の加害行為がとても気になるようになってきました。
車が来ているのに、危険なすり抜けや飛び出しをしてくる人。
肩をぶつけんばかりに道を譲らずにぶつかる勢いですれ違ってくる人。
細かいところですが、1日家の外で過ごせば、街中にはありとあらゆるところに加害が転がっているような気がします。
そしていちいちぼくもそれに対して「おいっ!」と思ったりします。心がざわつきます。でもそこで思うのが、結局この言葉なんです。
「自分がコントロールできるのは自分だけ。
相手は相手しかコントロールできない。」
これはもしかすると上のような「be mindful・マインドフル」な信念にも通じることなのかも知れません。
まとめ
今日はこの記事を書きながら、途中で若干脱線しそうになった発見には驚きました。これはもっと深掘りが必要なので、今日は心のメモに留めておきます。
世の中、自分勝手な人が多いな。心が荒んでいる。そんなことを海外生活から帰国した直後はよく感じていました。
エレベーターという狭い空間で目も合わせようとしない。目があっても無愛想にニコリともしない。後ろからも人が来ているのにドアを押さえないどころか、自分はドアに触れずにすり抜けて通る。店員を見下すようなカスハラという言葉すら生まれる。
そんなことに腹立たしさを感じたりもしてきましたが、どこかで世界を変えられるとでもぼくは思っていたのでしょうか。自分がコントロールできる自分がそれをやればいい。他の人にいつか連鎖で繋がるかも知れない。少なくとも自分としてそういう生き方をしたい(する)。
そこに自分のニーズのケアを感じつつあります。
と母の加害や他人の加害行為について偉そうに語っていますが、まずは自分です。そのためにも、自分のニーズを自分で満たせる、セルフケアを心がけ、心に変容の余裕を持ちながら、成功体験を重ねていきたいと思っています。
1年後、あと314日でできるかわからないけど、その猶予をくれた妻ちゃんに今日も感謝しています。ありがとう。