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ここ1.2週間の話。

10/25〜27で、東京の展示会に行く機会に恵まれ、DXについてのセミナーを聞いてきた。

私が認識しているDXというのは、非同期で各人が作業をし、完結まで持っていける状態だ。通話等するのではなく、テキストでのやり取りをする。テキストでのやり取りは、時間を共有するわけではないので、個人の裁量によるところが大きくなる。zoom等で、強制的に時間の共有をせずとも、仕事が完結していく状態のことが究極系のように思う。

さて、そんなセミナーの中で、割と印象に残った一言がある。それは、「DX等の改革を始めるなら、無理にでもそれを活用する」ということだ。これは、フットワーク重め系への挑戦状とも言えそうな気がしている。

変わることは面倒くさい。それはよく分かる。理解していないことをこれから新しく学んだり、取り込んでいくのは労力がいる。今ある、使い慣れたものでやっていく方がずっと楽だ。そんな時に、良くも悪くも「言い訳」を言ってしまうのが人間なのだと思う。

私は仕事に私情を持ち込みたくない。ドライで良い。決断は感情的ではなく、合理的に考えて判断したい。しかしながら、それだけでは人は動かない。CHROが言う、人の「情理」を理解しなければいけない。これは、私がこれからしっかりと身につけていかなければいけない能力でもある。

何か、人を巻き込んで変化させるということは、一筋縄ではいかない。その集合体全員が合理的で、無駄を嫌うのであれば、話はまとまるかもしれないが、そんなわけはほとんどない。色々な考えや価値観が集まっているのが大抵の組織だ。

「無理にでも活用してもらうスタイル」は私は好きで、賛同する。11月から会社の就業規則が変わったが、今の私の立場からの発信では、就業規則をフルに活かした理想へは遠く及ばない。「会社の方針がそれを是としているのだから、それを使わない理由はないだろう」というのが私の考えだが、相手の情理を理解し、双方にとってベストな状態を提案する必要がある。

今風に変化していくのが好きなタイプと、これまでに慣れていて、変わるのがもはや億劫なタイプとでは、話が衝突するのは当たり前だ。自然の法則からすれば、変化する方が正だと考えているが、変わらないことによる安心は一方であるのかもしれない。

まだ私は、思考停止に陥りたくない。まだと言うより、これは一生である。思考停止に入ったが最後、引き返すことは困難になる。思考停止は楽だ。現状を変える必要がない。私はその現状が嫌だと感じているから、変えられる方法を考える。

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