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ヤングケアラー? 私のことだ!(新しい言葉を知って、膝を叩いた私)その6
不良少年の更生に心血を注いでいた期間は、どれくらいだったのだろう。
ヤングケアラーとしての私がいなかったら、あの時家族はどうなっていたのか。
そもそも母は、そのことを覚えているだろうか? きっと忘れている。
もし私が当時のことを話したならば、
「そんなことさせた覚えない! もし、作ってもらったとしても、1回か2回!」
と言うに違いない。
まことに都合の良い、記憶装置を持っている。
それなのに、「決別の銅鑼、高らかに」にも書いたように、自分史を書こうとする時は、その少年の更生の話は大切なエピソードとして一章を費やすのにふさわしいもので、その陰で私がどれだけ涙を流していたかなど、ただの一言も書くつもりはなかったわけで。
驚く。
人のことを何だと思っているのだろう。はからずも、ヤングケアラーになってしまっている人がいたら、ちょっと立ち止まって考えていただきたい。もしもその役目が辛かったら、声をあげてください。
両親が働いていて、老祖父母の介護をするため、部活や友人との約束を断らなければならなかった時、親はどんな言葉をかけてくれていたのか。
「あなたがいてくれて、本当に助かる」
「本当は親である私がやらなくてはいけないのに、ごめんね。ありがとう」
ちゃんと労って温かい言葉をかけてくれているのなら、大丈夫。家族がちゃんと機能している証拠。
同居しているということは、幼い頃に祖父母からかわいがってもらったという良い思い出もあるかもしれないし。
でも。
私のように、
「えばんなよ」
の類の言葉を浴びせかけられているとしたら。
あなたは、ガマンしなくていい。
全然いい。
今耐えられてるから大丈夫、と思うかもしれないけれど、実はあなたの前には長い長い未来が繋がっていて、それらの日々を幸せに過ごすためには、耐えちゃダメなのだ。
耐性がついて強くなるのではなく、あちこち傷ついてポンコツになっちゃうだけだから。
どうか、その苦しい思いを一人で抱えず理解してくれる人にカミングアウトして。一人で受けとめるには、重すぎる荷物であることにも、気づいてほしい。
それが、今の私から言えること。
40年前の、
「えばんなよ」
は、だって今でも不意をついて私を攻撃してくるのだから。
こんなに長い文章を最後まで読んでくださり、本当にどうもありがとう。今苦しんでいる人がいたら、少しでも明るい希望が訪れますように・・・。
そうして、またアップしたら他のエッセイもぜひ読んでほしい。