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ヤングケアラー? 私のことだ!(新しい言葉を知って、膝を叩いた私)その3
それは、自分がきちんとしたしつけをしているので大丈夫、とたかをくくっていたのだろう。
冗談じゃない。
私が道をはずさなかったただ一つの理由は。
「こんなヒトのために不良になって人生無駄にしたら、もったいない」
と思っていたから。
だいたい抱きしめもせず、褒めもせず罵ってばかりいて、まともな子供が育つわけがないではないか。
甘い。甘すぎ。
いったいどこから、その自信は来るのか。もっと早くに気づいて直していれば、歩み寄る道はあったかもしれないけれど、私は何十年もかけて、母と離れることばかり考えていて、今それが成就したのだから、もう手遅れというもの。
よく、
「人は変えられない。自分が変わって環境を変えるべき」
と言われるけれど、まさに絶対に母を変えることなどできないとわかったからには, 離れるしか道はなかった。私の方が、変わったわけで。
もし変わらずに母の近くにいたら、私はもうこの世にいないと思う。パニック障害を患っているだけでも、じゅうぶんに遠回りしているのに、命まで脅かされたら、何のために生まれてきたのかと思ってしまう。
大袈裟、と思われるかもしれないけれど、毒親というものはそれほどに強烈。なにしろ「毒」なのだ。命が危ないと思うのも、あながち突拍子もないことではないと思う。
極めつけは。
そろそろ冬を迎えようという頃。
「お母さん、私毎日夕ご飯作ってんのよ」
と私が言った時。
その後私はどのような言葉を続けようとしたのか。
「遅くなる時は、せめて電話くらいしてよ」
だったか、
「勉強する時間がなくなっちゃうのよ」
だったか。もう遠い昔のことで覚えていない。
なぜなら、それらの言葉は結局発することなしに、闇から闇へと葬られてしまったから。
ひと息ついた私が、バカだったのだ。母によって、言葉がさえぎられてしまった。
「誰も頼んでない!」
私の顔をキッと睨み、一歩踏み出して挑発的な目つきになった。
そして。
「えばんなよ」
と言ったのだ。
今、なんて?
「えばんなよ」って言った? この汚らしい響き。大の大人が使う表現?
私は、またまた予想外の反撃に驚きすぎて息をのんだ。
「じゃ、誰が作るのよ!」
叫んだのは、心の中だけでだった。威圧する瞳に負け、口に出すことは出来ずじまい。
その分心のひだに入り込み、いつまでもいつまでも、今でもちくちくと私を刺してくる。
本当にこのヒトは、だめだ。
けれども、私はまだ高校生。自活できる年齢ではない。
毎日をその場凌ぎで消費して生きるしか方法はなく、絶望を服の代わりにまとっているような日々だった。
この時期の母は、相当に不安定だった。溺愛しているはずの晴信に対しても、時折り辛く当たっていた。
ある時、晴信がカレーを作った。私の帰宅が遅くて仕方なく作ったのかもしれないけれど、初めての料理で得意そうに配膳してくれた。その日は、ありがたくそれを食べ、私の負担も減って嬉しかった。
いつものように遅く帰ってきた母に、晴信が無邪気に、
「カレー作ったんだよ」
とか何とか自慢した。
母は。
「お陰で、ガス台にカレー粉が飛び散って、掃除が大変」
とか、
「具を小さく切りすぎていて、煮えてなくなっちゃってる」
とか、貶してきた。
まだ中学生の晴信が一生懸命作ったんだぞ! それは、ないだろ! 初めて作ったのに具の大きさ云々で粗さがしをするその神経。おぞましいほどの人格の持ち主。
私は思わず大声をあげ、
「そんな言い方ないじゃない! お母さん帰ってこないから、晴ちゃんが作ったのに!」
とかばった。
自分が言われた時は、あまりのショックで無言になってしまったけれど、他の人が言われている場合は、少し冷静になれるのか、反論することができた。
母は、私の叫びを無視してきた。分が悪くなったからだろう。もう少しつっこんだなら、
「子供のくせに、ナマ言いなさんな!」
といつもの口封じのセリフを言い出しそうな雰囲気だったので、私も面倒になって、それ以上は何も言わなかった。
母をかばったことさえある。
4人で、食卓を囲んでいる時、突如母がお弁当作りの自慢を始めた。母は、本当に料理が下手。好き嫌いも多く、食べることに喜びを感じないタイプらしい。外食する時も、おいしいものを食べに行く「ハレ」の日ではなく、
「疲れきって用意が面倒くさいから、外に食べに行く」
というスタンスだったので、レストランに行っても全然楽しくなかった。出てきたメニューの文句ばかり言うのも聞いていて嫌な気分になったものだ。
その頃は、父と弟のお弁当を作っていた。
「必ず卵焼きは入れるようにしてるの」
なぜか上機嫌だった。
その時。
父がヒステリックに、声を荒げた。
「うまくないよ! 卵焼きなんて!」
・・・どっちもどっちなのである。
毎日お弁当を作ってもらっていると言うのに、父のこの言い方はひどい。たしかに母の卵焼きは塩が少し入っているだけで、だし巻き卵にはほど遠く、晴信も時々残して来て、証拠隠滅のために犬に食べさせていたのを何度か見たことがある。
食卓は、ピリついた雰囲気になってしまった。私は焦って、気づいた時には声をあげていた。
「お父さん、それはひどいんじゃない? せっかく作ってくれてるのにさ」
父は鼻息荒くため息をつき、何も言わずに黙々と食事を続けた。さっきまで浮ついていた母のトーンも、ダウン。
私はただただこのどよよよーん、と暗い食卓の雰囲気が耐えられず2人の間を取りもつような言動を続けた。
まさに、アダルトチルドレン。子供が子供のままではいられないこの家は、うんざりするほど、このような事が頻繁に起こるのだった。