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ヤングケアラー? 私のことだ!(新しい言葉を知って、膝を叩いた私)その4
私は一人で家族の誰かをかばってきたけれど、きっと両親には全く通じていなかったと思う。
おそらく誰かにかばわれたことも、誰かを真剣にかばったこともないので、私の奮闘する姿も滑稽に映ったのだろう。
子供が健全に育っていくには、父と母のバランスはとても大事。
母親が子供を叱れば、父親が両手を広げて迎え入れ、かばってあげる。時には、その反対のことも起こるだろう。必ずどちらかは子供の味方であることを、ちゃんと伝えなければいけないし、いつでもどんな時でも大丈夫という安心感を育むことが大切なのに、この2人はまったくもって機能していなかった。
そうでなければふつう、
「稀沙の言う通りだよ、お母さん申し訳ない」
とか、
「晴ちゃん、せっかくカレー作ってくれたのに、あんなこと言ってごめんね」
というような展開になるはず。
人の痛みがわからず、自分一人が傷ついていると思っている人の特徴、とも言える。それが証拠に、母は常に自己憐憫のモード。
私がカレーの時に晴信をかばった際も、
「何よ! こっちは学校でさんざん嫌な目に遭って疲れ切ってるのに!」
とでも思っていたのかもしれないけれど、一体どう受け答えすれば母の思惑にかなうのか。
10歳に満たない私に, どう答えれば良いか見当もつかない話をよく口にした。
「私は、毎日毎日たくさんの買い物をして、両手に荷物。スーパーの袋の取っ手が、手に食い込んで、手がちぎれそう!!」
と何度も言っていた。
私は、何と言えば良かったのか。
「お母さん、毎日大変ね。できれば私が代わってあげられたら良いんだけど」
とでも?
また、晴信が赤ちゃんの頃の思い出話で、
「晴ちゃんは、身体が弱いせいか寝てると汗びっしょりかいちゃって、真冬まだお日様が出る前から洗濯物を外に干してると、干したそばからタオルやオムツがピィーンと凍っちゃって」
と私に話す。
「それは、寒かったね。日の出前なんてどれだけ気温が低いのかな? 辛いよね」
と言えばいいのか?
一度も労う言葉を言ってくれたことのない人に? 無理でしょ。
この立場の逆転。どうして幼い私の方が、母をいたわらなければいけないのか。私は、なるべくしてアダルトチルドレンへの道を、まっしぐらに進んでしまったけれど、それでも日頃から私をいたわる言葉をかけてくれたのであれば、また別の流れができていたと思う。その類の言葉は、一切なかった。自分だけ慰めてもらおうなんて。虫が良すぎる。
けなしてばかりいるのに、私がいたわることを学べるとでも思ったのか。大間違いだ。とにかく、自分が一番辛いということは、ゆるぎのない事実で、それを認めてもらうまでは、延々と辛さを吐露。
母を崇拝する卒業生たちや、親戚が、
「偉いわねぇ、よくやっているわよね」
と言うだけでは、満足しないのか。
呆れる。
私は20代半ば頃に、母の「もっともっと病」とでも名づけたいほど異常に同情を欲しがる性質に気づいてからは、口が裂けても労りの言葉を言わなくなった。
そうすると私だけ褒めないので、私の方がおかしい、と思ったようだ。
「~さんと~さんが~って、褒めてくれたのよー」
というような誘導の言葉まで使って私の気をひくけれど、そもそも娘に褒めてもらおうという魂胆が、常軌を逸しているし、褒めてくださる他人様が、母が私に対してこのようなひどい仕打ちをしていることを知っても、同じように讃えてくれるかどうかは、大きな疑問。
本当に、厄介だ。
時折り、何が何でも自分の方が大変な思いをしていると言いたいのだな、と思うことがある。
そこまでしてアピールしてくること自体病的だと思う。
私は、結婚はしたけれど、内心子供を持つことを躊躇していた。その原因は、まさしく母のように子供をないがしろにするのが怖かったから。
どういう話のなりゆきでそうなったかは覚えていないけれど、私が仕事が忙しくて、子供のことはまだ考えられない、とやんわりと子作りの話題をかわした時だ。
その当時、私はフリーでライターの類をしていて、会社に勤めてはいなかった。
母は、それを踏まえこう言い放った。
「あんたなんか、いいじゃない。片手でゆりかご揺らしながら書けるから。私は、そうはいかなかった。さっむい校庭で何時間も授業しなけりゃならなかったんだから」
保健体育の教師になることを選んだのは、自分ではないのか?
書く、という作業は全身全霊で行うもの。ましてやそこに金銭が介入するとなれば、生半可な気持ちでは臨めないし、ある意味血を流す行為にも似ている。
自分の身を切り刻んでも、言葉を紡いで伝えていく使命感のようなものも、持ち合わせている。
それを。
さも自分の職業の方が高尚、と言わんばかりの軽はずみな発言。