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きょうだい児8歳の夏(預けられた2つの家での孤独)その10
何度でも言わせてほしい。暗い気持ちでずっと過ごしたり、否定的なことばかり言う人は、たとえ家族でも離れて良いと思う。その気持ちが伝染して、心と身体に染みついてしまうと、常にネガティブな考えからスタートする癖がついてしまう。
私も、そうだった。
たとえば何か楽しみにしていることがあるとする。
「どうせ、わくわくして待っていても電車が止まったり、身内に不幸があったりして行けなくなるかもしれないから、期待するのはやめておこう。後でがっかりしたくないから」
と、とても歪んだ考え方をしてしまう。
すべて母からの、刷り込み。
めったに起こらないことを想定して最初からあきらめておく。
まぁ、現実に何度も何度も楽しみにしていた友達との外出を阻止されたことがあるので、これも自己防衛手段なのかもしれないけれど。
私が幸せに喜びを感じるのを良く思わない母の呪いも含まれているから、余計に複雑で、屈折している。毒親にはありがちだけれど、とにかく自分より娘が幸せになるのが、気に入らないからなのだ。
私が高校受験に合格した時にくれたメッセージの文章を紹介しようと思う。
父:合格おめでとう。よくがんばった。人生の喜びをじゅうぶんに味わいながら、決して満足することなく、新しい歩みを進めるように努力したまえ。
母:合格おめでとう。何事にも「自信」を、しかし、油断は禁もつ、今までがんばったあの経験をこれからの生活に生かし、もっともっと飛躍しなさい。
この文章が、不要になったカレンダーの裏に書かれているのである。カレンダーの裏。特別にカードを買う、という発想もないんだな。せめて新しい紙に書いてほしかった。どっちにしろ、そこに文句を言ったところでまた、 「ひねくれてる」 と言われるのが関の山。そういうことではなくて、もらった人がどんな気持ちになるかを考えて欲しかっただけ。それに、教師臭がむんむんと漂ってきて、モヤモヤとした気分になったに違いない。この紙が最近見つかって、改めて驚愕、笑うしかなかった。
普通に喜べばいいじゃないか。それを、「満足することなく」とか「油断は禁もつ」とか、いちいち水を差してくる。毎回。毎回だ。
私は、夫の広大と知り合って、世の中にはいちいちマイナスの考えからスタートしない人がいることを知り、その方法を採用してみたら、なんて楽に生きられるのだろう! と驚いた。
もし、私と同じような思いにからめとられている人がいるのなら、そう考えることを無言で強要する人(多くは毒母)から、精神的にも物理的にも離れることを強くお勧めしたい。
「あれ、こう考えると全然暗い気持ちにならないのね」
とびっくりすると思う。知らなかっただけで、普通の人はそうやって生きている。
母はよく、
「晴信があんなふうに生まれてきたから」
とできなかった色々なことへの言い訳に使う。卑怯。
何回も何十回も口にするので、ある時いい加減うんざりして、
「それは神様が親としてこの子を育てるように、と選んでくれたんでしょ?」
とスピリチュアルな視点から語って、口を封じようとしたことがある。もう聞き飽きているし、そちらの方向に話しが行くだけで、私はひとりぼっちの8歳の夏を思い出してしまうから。
私が声を荒げたことで、母は口をつぐんだ。けれど、決して私の意見に納得したわけではない。
「だとしたら、なんで神様はわざわざ私のことを選んだのかしら? 不公平だわ」
と思っているのだ。そういう思考回路は絶対に治らない。
だから、だから離れる。それしか方法は、ない。
こんなに長い文章を最後まで読んでくださり、本当にどうもありがとう。今苦しんでいる人がいたら、少しでも明るい希望が訪れますように・・・。
そうして、またアップしたら他のエッセイもぜひ読んでほしい。