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きょうだい児8歳の夏(預けられた2つの家での孤独)その9
3歳まではかわいがったって?
よくもそんなこと、真顔で言えるもんだ。
「3歳まではかわいがったけれど、晴信が生まれてかかりっきりになっちゃって寂しい思いをさせたね」
どうして、これくらいのことが言えないのか。
「手術の年に伯父さんの家に預けて寂しかったね、ごめんね」
ここでも、寄り添うチャンスはあったのに。
言えないのだ。口が裂けても。まず私が苦しんでいたことが、全く理解できていない。ともすれば、
「あら、私がいなくても他の人にかわいがってもらったじゃない?」
などと言いかねない。
ふざけんな!
私は。見たくもないものを沢山見せられて、息も絶え絶えになっていたというのに。
そして目下の小さき者、つまり私なんかに謝罪するのは恥だと思っているからだ。これは、いつも感じる。
自分より下の卑しい者として私を設定することで、立ち位置を保っているから、どんなことがあっても謝るわけがない。
それどころか、
「かわいがってくれなかったじゃないの!」
と声を荒げた方が、晴信の事情も顧みず言いたい放題言う無神経な娘、という見立てになってしまうのである。
残念でならない。
どうしてこう、人の気持ちがわからないのだろうか。
読んでくださっている人の中に、きょうだい児がいるかもしれない。きょうだい児は、それだけで大変。どれほどのガマンをしただろう。それが一生続く人もいると思う。きょうだいが重い障害を持っていれば、今よりも将来親亡き後の方が、苦労も心配も多いだろう。
でも。
親が毒親だった場合は、ちょっと立ち止まって考えて欲しい。
もしかしたら、そのきょうだいの面倒を見させるために、あなたを産んだかもしれない。そのことをあなたに告げてきた場合は、間違いなく毒親だから。
そんなこと言っちゃ、ダメなのである。
たとえ事実だとしても。助け合うことは、大切だけれど、あなたに背負いきれないほどの重荷を最初から乗せてくるなんて、ひどいじゃないか。他の人の手を借りるなり、公の援助を求めるなり、違う道を見つけるべき。
その不幸は、家庭に弱いきょうだいがいることではなく、毒親が間違った判断を下していることなのだから。
友人がつきあっていた人と結婚を考え始めた時、彼氏に言われた。
「僕には身体障害者の妹と知的障害の妹がいて、将来面倒を見ないといけない。結婚相手は、やっぱり同じような障害を持つきょうだいがいる人でないと。なぜなら、僕の苦しみは同じ境遇の人しかわかり合えないから」
そうして別れてしまったけれど、負のスパイラルには、新しい風を入れないといけないと思う。皆一緒に落ちこんでしまっては、もう這いあがることはできなくなってしまう。
「理解はできないかもしれないけど、前向きに一緒に歩いていくことは出来る」
彼女は、そう言った。私も、そう思う。けれども、彼氏はそれを受け入れてはくれなかった。