「妹みたいなものだから」(いただいた言葉は宝物) その7
頼りたい人に無下に拒絶をされていたから、臆病にもなっているし、そもそも頼るという発想も湧かなくなっていた。
城石先生に初めて会った時に、
「この人なら、頼っても大丈夫かも」
という予感を抱いたのかもしれない。そして、少しずつ距離を縮めていき、「妹」と言ってくださるまでに、絆を結ぶことができた。嬉しい。本当に、嬉しい。
後日、そのことをママ友に伝えた。彼女も、卒業しても城石先生が大好きでいる。時々一緒に教会に会いに行ったりもしている仲なのだけれど、
「いーなー、稀沙さん。城石先生に妹みたいだなんて言ってもらえて」
と羨ましがりつつ、一緒に喜んでくれた。
そして今。
冷静に思い返すと、私が虐待の連鎖を断ち切り、息子2人を育てあげることができたのも、その大半は城石先生のお陰だと思う。
聖書の時間で定期的に子育てについての話を聞き、くじけそうになっている心を元に戻してくださった。いくら相当の覚悟をしていても、ギャングエイジと言われる小学3~4年のやんちゃな時期は、心が折れそうになったし、2人とも中高では色々なことをやらかしてくれた。そんな時、
「子供の未来を信じなさい」
という城石先生の言葉を思い出し、乗りこえることができた。
「子供のことで、今困っていても、今はこうでも未来はきっと立派な大人になるから、と信じることです」
と言ってくださったので、落ちついて対処することができた。その雰囲気が、子供にもじゅうぶんに伝わっていたのだと思う。彼らが中高でやらかしたことのほとんどは、今の状況を良くするための反抗、反撃であったので、先生たちも決して怒らず、基本的には受け入れてくれたし、そのことで親が責められることもなかった。そういう意味では、中高の先生がたにも、本当に感謝している。
とは言え、城石先生の言葉がなかったら、やっぱり未来への展望を描くことは難しかっただろう。ありがたい気持ちでいっぱい。 これからも私は、城石先生を心のよりどころとして生きていくつもりでいる。そんな私を決して拒絶せず、いつも笑顔で迎えてくださる城石先生に、それでも必要以上に依存しないようにと気をつけていたい。そんなことをされたら、本当に良い迷惑だろうし、頼りすぎてかえって関係がおかしくなってしまうパターンも良くある。 適度な距離感を大切にするのも、とても大切なことだと思う。
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