酒を飲んでから仕事しろ
私の職場には、ちょっとした伝説がある。ある営業マンが、新規営業に行く前にビールを1缶飲んで出かけ、案の定怒られたという話だ。
この話を聞いたとき、私は感動した。彼(もしくは彼女)は、常識に反逆しながらも先に勝利を掴んでいたのだ。
仕事中に酒を飲んではならないという職業倫理は、確かに一般的な常識だ。しかし、それは慣例に過ぎないのだ。これに反逆したその営業マンは、実際に契約を獲得したらしい。これはまさに武勇伝に相応しい話だ。勇敢な行動は、固定観念を打ち破り、成功を掴み取るのだ。飲酒と仕事の二律背反を一度に、彼は克服した。
その営業マンがビールを一口飲んだ瞬間、たぶん「今日の私は、普段の私とは違う。」と思ったのだろう。そして、その勢いでクライアントの前に立ち、堂々と契約を取り付けた。その姿を想像すると、私も少し勇気が湧いてくる。勇気ある行動が、我々に新たな成功とその道を示す。これは、その最良の例のひとつだ。
だが、世界は残酷だ。WHOは、飲酒に関する厳格なガイドラインを設けている。そしてそのメッセージは明確だ。
WHO「酒やめろ」
アルコールは、次のような病気の主要因とされる。肝硬変、心血管疾患、精神障害、そして癌だ。WHOによる報告書によると、これらの病気は、年間300万人以上の死者を出しており、全世界の全死因の約5.3%を占めている。
しかも健康だけでなく、社会的な問題も引き起こすのがアルコールだ。
アルコール関連が引き起こすものとして、交通事故、家庭内暴力、労働生産性の低下が一般に挙げられる。これらは社会全体に大きな経済的負担をかける。WHOは、各国政府に対して、これらの問題に対処するための政策を強化するよう求めている。そして実際にWHOは、アルコール価格の引き上げ、広告の規制、購入可能な場所と時間の制限、飲酒運転の取り締まりを要求しているのだ。
外国の取り組みを見てみると、スウェーデンやノルウェーなどの北欧諸国は非常に厳格だ。アルコールは政府直営店に専売特許が与えられ、その上非常に高い酒税が書けられている。これに対して日本、アメリカやイギリスなどは、飲酒運転に対する取り締まりが厳格である。
アルコホリック・ラバーズ
されど人は酒と踊る
だが、意外と民間経済は時流に逆行するようだ。
Googleでは、オフィスの中にあるカフェテリアや休憩スペースで、適度な飲酒が許容されている。社内にある飲食施設では、ビールやワインが提供されている。WeWorkのオフィスでも、定時後にビールが提供されていた。社員同士の交流を深めるだけでなく、仕事とリラックスのバランスを取ることで、従業員の生産性や創造力を高める効果があるとされている。ドラァグクイーンもステージに立つ前にウォッカを入れてリラックスし、自信を持ってパフォーマンスに臨むことができると語っている。
このような事例を見ると、飲酒が必ずしも仕事のパフォーマンスを損なうものではないことがわかる。
酒によって人は死ぬ(社会的にも)
しかし、現代のビジネス環境では、酒を飲んでから仕事をすることは一般的に推奨されない。
少なくない企業で、これに基づいて勤務中の飲酒を禁止する規定が設けられている。当然、違反すると懲戒処分を受けるのだ。ある大手企業では、勤務中の飲酒が発覚すると即時解雇という厳しい罰則が科されることもあるらしい。
仕事中の飲酒が問題視される理由は多岐にわたる。
一般論として、飲酒は判断力や集中力を低下させるとされる。飲酒によって判断力が低下すれば、反応速度が低下し、業務効率や安全性が損なわれる可能性がある。また、飲酒によるトラブルや、他の社員に対する悪影響が懸念される。
社会的には、飲酒はリラックスや社交の場で楽しむものであり、仕事中に飲むことは不適切と見なされる。日本の文化においては、仕事とプライベートの境界が厳格に分けられており、飲酒は後者に属する行動とされる。飲み会や宴会での飲酒は許容されても、業務時間内での飲酒は厳禁とされるのだ。
この常識は、アルコールが脳の働きを抑制し、判断力や反応速度を鈍らせるという科学的な根拠に基づいている。アルコールが神経伝達物質の働きを阻害し、認知機能に影響を与えることは広く知られている。飲酒による事故やトラブルの発生率が高まることもデータで示されている。実際、我が国では2000年代に入ってから飲酒運転が問題となり、厳罰化された。
酒は人の枷を外す、良くも悪くも
ここまではネガティブな話だが、ややポジティブな話もしたい。
酒の酩酊効果はコミュニケーションの潤滑油になることは、多くの人が感じていることだと思う。仲間で酒を飲むことは連帯感を高めるし、取引先との酒の席は契約を長持ちさせる。適度に酒を飲むことはコミュニケーションを円滑にし、人間関係を良好にするのだ。
実際、私も過去に取引先開いた宴会にて、酒が媒体となり双方の緊張を和らげ、より良い合意に達したことがある。酒にはオープンな議論やコミュニケーションを促進する効果があるのだ。
社会哲学的には、コミュニケーションの質を高めることは社会全体の協力と信頼の基盤を強化することに繋がる。
デイビッド・ヒュームの道徳感情論に基づけば、社交の場での酒は人々の間に共感と理解を促進し、社会的結束を強化する。したがって、酒を通じて人間関係を円滑にすることは、社内や取引先のみならず、社会全体の調和と協力を促進する手段として評価できるのだ。
「生理的欲求、バッテリー、Wi-Fi」
酒の効果はコミュニケーションを円滑にすることだけではない。
National Institute on Alcohol Abuse and Alcoholism (2012) の調査では、適度な飲酒が創造的思考を促進する可能性が報告されているし、これもまたある程度経験則的にも理解されていることだ。
適量のアルコールは脳の創造的思考を刺激する。これは、新しいアイデアを生み出す助けとなる。アルコールの持つリラックス効果により、普段は抑えられているアイデアが浮かびやすくなるのだ。
Googleで検索をしてみると、実際に社内会議でお酒を出す事例は存在する。会議中にお酒を飲むことで、参加者のリラックスを促し、自由な発想を引き出すことを目的としていることは想像に難くない。
哲学的な観点からは、創造力の向上は自己実現の一部として捉えうる。アブラハム・マズローの欲求階層説によれば、創造的な活動は自己実現欲求の一部で、これを満たすことが幸福に繋がるとされる。適度な飲酒が創造力を高めるのであれば、それは自己実現を進める手段として正当化される。
有名なミームである、生理的欲求の下にWi-Fiとバッテリーを置くこの「理屈」も、酒を飲みながら考えられたに違いない。
さらに、ジョン・ロックの社会契約論に基づけば、人々はストレスの少ない環境で最も効率的に働くことができるといえる。なぜならば、個人の自由と幸福が最大限に尊重される社会が最も理想的であり、ストレス軽減はその一環として重要だからだ。
ここに酒はストレートに係る。この面でも、やはり仕事前の適度な飲酒によるリラックス効果は、個人の自由と幸福を尊重する観点からも支持されるのだ。
それでも目は回っている
適度な飲酒がもたらすリラックス効果は、仕事のパフォーマンスに直接的な影響を与える。そしてストレスが軽減されることで、心身の健康が保たれ、結果として業務効率が向上することも明らかだ。近年は健康経営などの概念も注目されているし、その上でも飲酒は効果的なのだ。
メリットがデメリットを上回る理由は明確だ。適度な飲酒を守り、自己管理を徹底することで、酒の役割を最大限に引き出すことができる。そして、これこそ我々の目指すべきところなのだ。
それでもアルコールのもたらす不健康さを無視できないという人はいるかもしれない。そんなあなたへ特効薬は愚行権かもしれない。
酒を飲むことは愚行かもしれない
はっきりしっかり正直に言って、健康のことだけ考えれば酒を飲むことは愚行だ。それでも、我々は愚かなことをする権利がある。
人は自由である。この理念は、長い歴史を通じてさまざまな形で議論されてきた。自由とは、自らの意思で行動し、その結果について責任を負うことだ。たとえその行動が他者には愚かに見えたとしても。
ジョン・スチュアート・ミルは「自由論」で、他者に害を与えない限り、人は自由に行動する権利があると述べている。これは当然、酒を飲む行為にも適用される。適度な飲酒が他者に害を与えない限り、それは個人の自由の範囲内だ。ミルの視点からすれば、酒を飲む自由は個人の選択の一部であり、自己表現の一形態なのだ。
フリードリヒ・ハイエクも、個人の自由は自己責任に基づく選択を尊重することで成り立つと主張した。酒を飲む行為も当然、この原則に当てはまる。アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチは、人々が自分の価値観に基づいて行動する能力が重要であると主張する。飲酒もその一環であり、個人が自分の価値観に基づいて飲酒する権利を持たねばならない。
アイザイア・バーリンは、国家や他者からの干渉を受けない自由が重要であると述べた。酒を飲む自由もこの消極的自由に含まれ、現代においては企業によって飲酒の権利が取り上げられないよう戦うことができる。個人が自己の選択で飲酒することは、他者からの干渉を受けない自由の一部なのだ。我々の飲酒の自由は、個人の選択と行動が外部の圧力から守られるべきなのだ。
飲酒の権利
これらの思想家たちの理論を統合すると、適度な飲酒は重要な権利であり、その選択は尊重されねばならないことがわかる。酒を飲む行為は、個人の自己表現や自己実現の一部であることは疑いようもないのだ。
酒を飲むこと、ひいては酒を飲んで仕事をすることが個人の自由と愚行権の一部として認められるべきであり、それが他者に害を与えない限り、尊重されなければならないのだ。
だから、酒を飲んでから仕事しろ
仕事前の一杯は、仕事に大いに貢献する。少なくとも、そう信じたいものである。
例えば、我が社のあの伝説的な営業マンがビールを一缶開けた瞬間、彼の脳裏には何が浮かんだだろうか?彼の行動は一般的な職業倫理には反する行為であったが、その結果として契約を勝ち取ったというのだから、彼の行動には何らかの価値があったと認めざるを得ない。
酒はしばしば人間の枷を外し、普段は抑え込まれている大胆さや創造力を引き出す力がある。仕事の現場であっても、適度な飲酒がリラックス効果をもたらし、発想の転換を促すのだ。
酒の持つデメリットを加味しても、あるいは社会的に拒絶されたとしても飲酒には莫大なデメリットがあるし、その上で適度な飲酒を楽しむことは、個人の自由として尊重されねばならない。ジョン・スチュアート・ミルが述べたように、他者に害を与えない限り、個人は自分の行動について完全に自由であるべきだ。仕事前の一杯がその人のパフォーマンスを高め、成功を掴む手助けとなるのであれば、それは一概に否定されるべきではないだろう。
適度な飲酒はビジネスにおいても有益であることがある。飲酒が他者に害を及ぼさない限り、個人の選択として尊重されるべきであり、それが真の自由というものなのだ。
なお、この項目は、酒を飲みながら書いている。自分でも結論がよくわからなくなってきた。なんにせよ、この弾き飛ぶコルクが新たな成功への道を切り開く手助けとなることを信じ、シャンパンを開ける音に祝杯を捧げたい。
乾杯!
【おまけ】自由について定義のメモ
本項目では、本文中で触れた人(J.S.ミル、ハイエク、アマルティア・セン、アイザイア・バーリン)のそれぞれが発展させた「自由」について簡単に書いている。
自分用のメモであるため、やはり本文に対しては蛇足だ。それをわかって次に進んでほしい。
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