紛争地帯においてビジネスをするとはどういうことか
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5/10 1万文の追記・日本語を修正
5/11 リベリアに関する記述を別noteとして分離
紛争地における企業展開
さて、あなたがもしも大企業の代表取締役社長で、石油事業を営むことを考えたとしよう。その際に、石油が多く取れるものの危険な地域と石油が少ししかとれないが安全な地域のどちらを選ぶだろうか。これを考える際に、おそらく安全性だけで展開先を決める人はいないだろう。ランニングコスト、展開先または自国の支援、現地から日本までの輸送費、人件費、現地の政治戦略、中継港を確保できるかなど、さまざまな情報を集めてから判断するはずだ。たとえそうであっても、必ず頭から消えない不安はある。その1つが政情不安からくる紛争だ。
もしも紛争に巻き込まれる可能性が目の前にせまっているのなら、すでに展開していても撤退もやむなしと考える人も少なくないだろうし、そもそも進出しないと結論を出す動機としては十分だ。従業員が紛争に巻き込まれて殺害され、企業インフラが破壊されれば、「あの企業は何をやっているんだ」と国内から批判は殺到し、それを防ぐために反政府勢力にみかじめ料を払えば国際社会から非難されるだけでなく、時にジェノサイドに加担したとして国際裁判所へ呼ばれるかもしれない。企業とは組織であり、組織は自分の構成員を保護する役目を負うが、その保証ができないのであれば、展開しないほうが良いと考えるのは当然だ。
もしも紛争が発生した場合の社会の反応としては、本社が置かれている国の利益団体やロビー活動団体からは安全を理由に、政府からは国民の保護を理由に、国際社会からは反政府勢力または政府勢力への資金の導線の停止を理由に撤退を迫る。紛争地域に展開する企業が存在するというだけで、戦闘員を養う結果がもたらされることがあるためだ。さきほど一言だけ述べた「みかじめ料」もそうだが、もし政府がジェノサイドの恐れがあれば現地法に基づく納税ですら攻撃され、現地裁判所にて市民による訴訟を起こされる恐れがある。
特に、現代においてジェノサイドや「人道に対する罪」は重たく、旧ユーゴスラヴィアにおいてはこれらを理由にアメリカの介入を招き、セルビアに存在した外国企業の拠点までまとめて爆撃される事態まで起きている(どちらが人道に違反しているのかという指摘はさておき)。比較的規模の小さいサービス業や製造業は、こうした障害や問題に直面しないことも多い、したとしてもみかじめ料1万円程度など想像できる範囲で、かつ小規模で済むことも多いが、資産の移動が簡単にできる程度であることが多いため、いざ紛争が目の前に迫っているというときには移転・撤退という選択を取りやすい。
つい先程「すでに展開していれば撤退するか、そもそも進出しないという選択をする動機としては十分だ」と述べたが、最初の例のような大企業や一次産業等を営む企業であれば簡単に撤退という選択はできない。なぜなら現地に留まることに強い動機付けがあるからだ。大抵そのような企業は、天然資源(石油、天然ガス、鉱物、天然ゴムなど)や、その採掘・採取・加工に携わる企業であることが多い。こういった分野に携わる企業にとって、移転という選択肢は現実的ではない。そもそも事業内容からして資源がないところに移転して事業が行えるわけもなく、新たに探すのもまた一苦労で、政府と長期の契約を結んでいることもしばしばあるからだ。一度の生産サイクルも長く、多くの場合で大規模な投資も行われている。そして、そのリターンが紛争地域で操業を続けることのコストを上回ることも多い。早期に撤退すれば今後の自分たちの再展開すら難しくなってしまうために、事実上そういった選択肢を取れない状態となる。
企業は原則として国際人道法の保護を受け、その下で当該国等における義務を負っている。国際人道法とは、あらゆる状況下での紛争時に、国家および非国家主体に適用される、明確に定義がなされていないものだ。 紛争地において活動する企業は、当然常に武力紛争の状況下で活動しているわけだが、それでも24時間365日というわけではない。赤十字国際委員会(ICRC)は次のように述べている。
ここからも分かる通り、国際人道法においては、あくまで非戦闘員への攻撃は認められない。しかし、これが守られる背景には、また別の力学が存在している。
鉱業等に携わるの多くの企業は、政情不安に陥った際の対処方法と向けられた暴力に対応する方法を身に付けなければならないとするものは多い。実際に取られる方法としては物理的にセキュリティを強化するために私兵を雇う、警備や傭兵を雇用することがほとんどだが、逆にほとんど何もしないことを選択する企業も存在する。最も基本的な対応としては、後ほど詳しくノベルが、リベリア内戦の最中にファイアストンが行ったように、従業員とその家族に安全な避難場所を提供する方法だ。この方法は、現地の労働力の規模が大きければ大きいほど多くの人が恩恵を受ける。他例としては、社会への投資と地域の開発を通して、戦略的に事業環境を整備に取り組むものもある。住宅の建設、学校・病院・道路などの社会インフラの整備、経済を多様化するための少額融資(マイクロクレジットプログラム: 主に貧困層に向けた小規模の無担保融資)の提供などが一般的だ。これらを行うにあたって周辺状況についての情報を適切なものにするために、多くの企業は特に現地のニーズを把握し、その地域の要請や技術・知識の集積状況に関して精通していた非政府組織(NGO)と直接協力することも多い。
また、ある企業は、地域の代表者や政府関係者との三者間パートナーシップを通じて支援を行うことを基本方針としている。これは、相互に合意した目標に向かって協力することを可能にし、中央当局が基本的なサービスを提供する意思がない、あるいは提供ができないという認識を強める危険性を軽減するためのものだが、これが事業の寡占と批判され、しばしば紛争の要因ともなりかねない。 国家権力の及ばないところにある鉱山などで活動する場合、その企業が存在することは、国家の弱体化をもくろむ勢力の正当化による緊張状態を悪化させる可能性がある。つまりは、反政府組織の金づるになる可能性があるのだ。
冷戦の終結は、新しい市場と機会をももたらし、企業は、それまで投資していなかった国にも投資するようになった。一次産業によって作り出される農作物や木材、鉱物、その他の価格が上昇し、企業は政治的安定性に関係なく、原材料がある地域に投資をすすんで行うようになった。 その際、紛争が起きていたとしても利益を求めて進出するようにもなった。その結果、特に国家権力が弱い地域においては武装勢力との取引を行わなければ成り立たなくなってしまった。 この意思決定は、市場の要請に基づいて行われていると言っても良いが、大抵現地に派遣される担当者は、法的権限を持たない武装勢力との契約がもたらす結果を考慮しない。そもそもそのような訓練を受けていないのだ。 場合によっては反開発的な地域社会が抵抗することもある。この場合、地域社会が構成する自警団の支配にさらされるか、国家の武力介入に遭うかして、安全保障が機能しなくなる場合もある。これはしばしば悲劇的な結果を招くことになる。
日本の政府開発援助(ODA)の過去の例では、2009年のインドネシア人原告団による東京地裁での訴訟が新しいか。日本がインドネシアにダムを作るとなったとき、その時の話ではインドネシア政府は現地住民の移住先と職を用意し、平和的に移動してもらうという話であったが、実際はインドネシア軍が介入し、現地住民を追い出した。移住先に職はなく、結果として貧困世帯となってしまったというオチだ。これはまだマシな例で、抵抗する住民が発砲され、死傷することも少なくない。
「国家」の成立のために
多国籍企業は往々にして、「国家」を建設または正常化するために持てるリソースを注ぎ込んでいる。これは大小に関わらず、多国籍企業に共通する特徴である。そして、その様相は規模が大きくなればなるほど顕著だ。
企業はその活動拠点において、自らを制御しようとする統治機構の能力を上昇させるため、政府や官僚へ向けた活動を行うこともある(これは社内や他社に対して行われることもある)。特に多国籍企業では、平和的共存、地域社会の結束、優れた統治に関するワークショップを主催することもあるし、官僚の透明性、説明への責任、業務への責任を促進するために指導員を行政へと派遣したりしている企業もある。他にも、特定の国への投資を進める際に、政府が警察や検察、さらに場合によっては軍隊の改革を約束することを条件にしている企業もある。この場合は、Placer Dome社がパプアニューギニアで行ったように警察・軍・準軍事的組織の職員向けの教育開発を引き受けることもあれば、Total社がミャンマー政府へ強制労働を含めた公的な虐待を容認しないと伝えたように、政府の行動を非難することもある。
されど多くの場合、展開先の政府に行政や治安部隊の「職業化」をけん引することは困難で、企業が最も影響力を持つのは、生産分与契約(Productin Sharing Agreement)の話し合いの場である。誘致しようとしている大きなの関係者の全体に対して交渉力を発揮できるからだ。現地で操業を開始してしまえば、企業と政府の交渉に政府側は関心を示さなくなり、政府に対して求めた行動を確保する能力は無に等しくなってしまう。とはいえ、この段階では、企業は数億円にもなるような大規模な投資の決定はしていない場合が多い。とはいえ、この時点では企業側も国に対して何かをしようという能力も意思もないのがほとんどである。
「柔軟な」セキュリティ対策
多くの発展途上国へ展開する企業は、それ自信が実施するセキュリティ対策によって展開地域の緊張が悪化したり、地域社会から疎外されたりすることがないように努めている。安全保障と人権に関する自主原則(VPSHR)は、紛争地域において展開する企業が、従業員や資産を物理的に保護するように定めるガイドラインである。すべての署名者はこれをじゅん守すべきとされている。以下は、その中で提示される設問の例である。
・人権と安全保障に関する方針を正式に制定しているか?
・公私ともに人権と安全保障に配慮しているか?
・日常業務のどこでどのように適用するかを理解させる行動をとったか?
・会社は、利害関係者に方針を認識させるための行動をとったか?
・利害関係者と保守要員は人権に関する方針を認識しているか?
・人権に関する責任を特定の部署や個人に公式に委任しているか?
・その部署や個人はその業務に対して責任を負っているか?
・利害関係者はどの部門や個人が責任を負っているかをしっているか?
被災国への支援の意味
被災国への支援にはさまざまな意味がある。外交、経済、平和の観点からそれぞれ見ていこう。外交上の意義としては、その国を自らの勢力圏として取り込む意味がある。例えば冷戦期においてはアフリカの発展途上国に支援をする形で、アメリカとソビエト連邦は多額の支援金を拠出していた。冷戦の終了からその意味はなくなり、支援金が減額されたが、それでも自国にメリットのある政権を維持する目的もあり、アメリカを始めとするヨーロッパ諸国は積極的な支援活動を行っている。フランスは旧フランス植民地圏において自国と関係を維持しようという政府に対しては積極的な経済支援どころか軍事覇権まで行っている。近年は、その対象が太平洋地域にまで拡大し、「フランスの太平洋回帰」と批判されることもしばしばある。中国に至ってはアメリカよりも露骨に支援を名目とした経済植民地化の姿勢を強め、2019年にはその支援によってタンザニアからアンゴラまでを結ぶアフリカ横断鉄道が開通した。災害であれ紛争であれ、何らかの形で国が被害を受けた際に支援をすること(もしくはたとえ何もなかったとしても)は、その国の外交上の姿勢を改善するだけでなく、相手の国民感情にも通常はいい印象を与える。そして、これは経済面でもメリットが有る。経済支援を行うことで、現地住民の感情が良くなると、積極的な協力が望めるようになるからだ。
積極的な協力が見込めるということは、自国企業が現地で展開する際に、現地住民を雇い入れることも簡単になるし、さらには、現地での物資調達も用意となる。緊急時には現地住民との共同での整備も容易となる。そして、現地紛争に巻き込まれて被害を出す確率を下げ、現地のさらなる活発化につながる。活発化すれば当然自国企業の経済規模も拡大し、さらなる支援国の市場が広がる。この好循環を通常経済支援では目標としているが、アフリカにおいては政権の腐敗が強く、民間まで届かないことも多いため、近年は民間主導の経済開発が支援の代わりに広がりつつある。
さらにはこれは世界平和の実現にも大きな意義があり、経済発展は紛争地が平和で豊かな国に生まれ変わるための重要な要素であることは疑いようもない。経済が豊かになることは人権意識の長期的向上へつながる。人権意識の向上は紛争の小規模化と紛争ビジネスの縮小化へとつながる。紛争ビジネスの縮小は未来の紛争発生率を下げ、将来に渡っての安定した企業基盤へとつながる。平和なくして安定した経済活動はありえないのだ。
結論として、民間主導の経済への投資は、雇用・インフラ・技術・教育・知識の伝達・そして最終的には安定と平和をもたらすことができると考えられている。しかし、紛争直後の国への投資は、さらなる紛争を引き起こす危険性もはらんでいる。それは最初の項の最後に述べたとおりである。
武装勢力への「納税」、そして人権
企業は、自社の資産や人員を守るために、治安部隊や、場合によっては武装集団と協定を結び、自社の業務が妨げられないようにすることが多い。さらには国家または非国家主体と金銭的な取り決めを行い、「納税」を紛争当事者に行うこともある。このような行為は紛争地域で活動する企業にとって、企業の評判だけでなく、資産や従業員に対するリスクを著しく高める結果をもたらすこともある。また、現地において企業あるいは個人として訴訟されるか、国際犯罪法廷や国際刑事裁判所で起訴されるリスクもある。ICRCはこのことについて次のように述べている。
世界人権宣言において非国家主体とされているように、企業は「社会の一機関」とみなされている。 しかし、それは、経済活動という特定の目的のための社会組織であり、より一般的な目的や無制限の義務を持つものではない。 企業もまた社会的組織である。 企業は人で構成されており、人権関連法に基づく人々の生活を組織することが求められている。日本においては八方よしという使い古された企業経営者に向けた言葉が存在する。これはさまざまなステークホルダーへの配慮を怠ってはならないというものだが、似た考えがこの中には存在するといって良い。 通常、法律は紛争地域での経済活動を禁じる例はない(制裁措置がとられている場合を除く)。しかし、企業は株主へ利益をもたらすこと以外の理由で動くこともまた期待されていることを忘れてはならない。
地域社会との関係
最後に、多くの企業は、なコミュニティ・リレーションズ・プログラムをとても重視している。地域との関係強化は、両者にとって長期的な利益になるだけでなく、社会関係資本の醸成にも繋がる。先に述べたような地域の社会サービスやインフラ、雇用機会を提供するだけでは不十分で、その中で無形の財産―すなわち、信頼、尊敬、思いやりといったものを認めていくことで、コミュニケーションの壁を取り払うことができると考えている。そのために企業が行っていることは、施設見学会の開催、情報交換会やオープンデーの実施、スポーツや文化イベントの開催、敷地外の宿泊施設への従業員の受け入れ、冠婚葬祭などの地域行事などへの積極的な参加などだ。
また、多くの企業は、先住民権のある土地を利用しようという際に、公正かつ公平な権利交渉を行う必要性を認識している。近年では敵対的株式公開買い付けが行われなくなったように、対立する中で無理やり自分のものにしたところでメリットがないどころかデメリットとなりかねないという判断がそこには介在する。通常、この種類の契約には、分配金額やロイヤルティに関する条項が含まれる。同様に重要といえるのは、一部の企業のように地域への補償の必要性を認識すること、そして事業によって生じた負の影響を、迅速に明らかにし補償する必要性を認識することだ。この際、金銭的な保証だけでなく、被害を受けた構造物や文化的シンボルを再建することによって目に見える形で補償できる。これは極端なケースになるが、コミュニティ全体を移転してしまうための補償を行う場合もある。理想的には、このような移転は地元住民の明確な支持を得ているべきであり、すべての再定住は影響を受けた人々がより良い生活を送れるような方法で処理されなければならないという世界銀行の非自発的履行基準に準拠して行われるべきだろう。
これらの活動の潜在的なリスクとして挙げられることは、コミュニティ・リレーションズ、誤って民族間、宗教間、部族間の競争や闘争を助長してしまうことにある。これは、その企業が存在することによって一部の地域やある民族グループに強い恩恵がある場合に起こりやすい。この場合、貧富の差が生じるか、あるいは固定化されるなどして、分断を助長したり、拡大させたりする可能性がある。
さらには鉱山開発などによって就業機会が無条件に拡大してしまったり、周囲に都市が生まれてしまうと、他地域からの移住を呼び寄せることにもなる。地方から都市への移住は、地域の人口バランスを崩すだけでなく、敵意と緊張感をもたらし、治安の悪化へつながってしまう。その際たる例と呼べる都市の例は、南アフリカのケープタウンやヴェネズエラのカラカス、インドのニューデリーなどだろうか。またはヨーロッパ全体でそれを再確認しているようにも見える。
このような悪影響を回避するため、企業によっては、社会投資の中で地全体に対するアプローチを行い、集団の垣根を越えた雇用を重視たり、元の居住地を離れることに魅力を感じないような代替的な成長源や事業を作り出している。
―リスクを減らすために
このような企業行動の目的は、単なる慈善活動ではなく(それはそれで重要であるが)、リスクを許容できるレベルまで低減させることだ。
企業活動を脅かすほどにまで発展する紛争には、大抵社会的・政治的に深い根が張っていることは誰もが認識している。そして、多国籍企業は通常、そこに切り込みを入れることを好まない。多くの経営者や幹部は、もはや民間企業ができる能力の限界を超えていると考え、現地政府が最終的には改善すべきことであると考えている。さらには、国際機関、NGOがこれを改善してくれると目をそらすことも多い。さらには、紛争のなくすための取り組みの価値は定量化して測定することが難しく、そもそも自分たちの企業や事業の利益に結びつかないと考える可能性もある。現状として、政治的な安定と企業の収益の関係を結びつけるようなハードデータは存在せず、先程の通り利益と損益の分析もできないために、そう考えるのも仕方のないことだろう。
そもそも、企業にとって最良とは言わずとも許容できる事業環境とはなんだろうか。それは、平和で有ることよりも、今後を予測でき、未来の方針を立てられるような環境のことである。企業によって、紛争回避のための努力はあまり好ましい話ではない(時に、平和でなくともいつどこで紛争が起きるかの予測が立てられる方が、利益を生み出せることもまた確かである)。要は、リスクを管理可能な範囲にまで落とし込むことで十分だと考え、自らの事業活動が恒久平和を作り出すことを期待していない。
しかし、時にそれを言い訳として、「長期的なリスク管理」を行うために反政府勢力に賄賂を支払う話は多く存在する。このような行為は、反政府勢力の懐を潤し、長期的には反政府勢力の力をつよくしてしまう。とはいえ、支払わなければ収益を大きく低減させられるか、事業が壊滅する恐れもある。定量化はできないかもしれないが、恒久平和に向けた長期的な地域社会への貢献と和平プロセスへの尽力は、事業規模が大きければ大きいほど、長期的には利益となる可能性が高い。そもそも、紛争地域に留まることを決めた企業は、紛争を減らすための行動を取らなければ、声の大きなNGOによって名前を上げて恥をかかされることになる。
また、現在世界銀行の多国間投資保証機関や大手保険会社が提供する保険商品には「政治リスク保険」が存在するが、これを利用しようというのであれば、社会的措置のための活動の証明が必要になっているし、持続可能な開発目標の提言によって巨大資本に限らずベンチャー・キャピタルまでもが持続可能な開発目標にそぐう活動を行っているかを取引条件としている。さらに、特にアメリカを始めとする多くの多国籍企業は、基本的な自由の尊厳を確保するという点でも、地域全体の発展のための進歩を促すという点でも、展開先の地域社会にプラスの影響を与えていることを、株主に対して目に見える形で示すことが求められている。アメリカにおける判例としては、人権侵害への加担の定義が拡大し、企業が知っていた、そして利益を得ていた政府・地域・民間による虐待や奴隷的苦役に対して積極的な対策を講じなかった場合、それだけで法的制裁をうけることも考えられる。代表的なものとしては、2002年にユノカル社に対して提起された差止命令が存在する。これは、ユノカル社が主要株主として関わっていた、ガスパイプラインを警備していたビルマ兵による人権侵害はユノカル社が責任の一端を担っているとして、外国人不法行為請求法(Alien Tort Claims Act)に基づいて提起された訴訟が米国連邦控訴裁判所によって支持されたものである。ちなみに、同法は200年前に海賊対策のために制定された法律だ。日本もこの基準で世界から非難を受けることになることは想像に難くない。結局、この例では2004年12月に原告に返還と損害賠償を支払うことで和解した。