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リスキリングを勧められる前に、自ら変化の道に飛び込んでみる

国内で「リスキリング」という言葉が定着してきました。DX人材育成などの名目で、大手企業を中心に人材のリスキリングに取り組んでいるというニュースをよく目にします。以下の記事の調査では43%の企業がリスキリング施策をとっているとされています。実に多いですね。

その一方で、ミドルやシニアにとってリスキリングは大変ですし、リスキリングのきっかけが会社都合である場合もゼロではないと思います。たとえば、ある記事ではシニアのキャリア危機について次のようにストレートに表現しています。

キャリア自律が叫ばれているが、長年、組織の指示系統の下で仕事をしてきた人にとってキャリア自律しろと言って難しい。 しかし、いずれにしてもシニア社員が新しい専門知識やスキルを身につけなければ会社で生き残ることが難しく、いつお払い箱になるのかわからない。そんな危うい時代が到来している。

引用元:リスキリングをしないミドル・シニアはお払い箱? 会社で生き残るために今やるべきこと - 日本人材ニュースONLINE (jinzainews.net)

こうしたキャリアの危機にどう備えるべきなのか?というのがこの記事のテーマです。個人的な意見になりますが、ご容赦ください。

いつの時代にもキャリア危機はあった

さて、現代のリスキリングブームは、DXが叫ばれるようになったから起きていることなのでしょうか? もし、AIが出てこなければ今も昔と変わらない仕事ができていたのでしょうか?

私はそうではないと考えています。これは今に始まったことではなく、資本主義的な社会で常に起こり得ることだと考えています。

例えば、2000年の時点で、高橋俊介さんの「キャリアショック」という本でもこの点が明確に述べられていました。

「キャリアショック」とは、自分が描いてきたキャリアの将来像が、予期しない環境変化や状況変化により、短期間のうちに崩壊してしまうことをいい、変化の激しい時代に生きるビジネスパーソンの誰もがそのリスクを背負っている、きわめて今日的なキャリアの危機的状況をいう。
私がここに、キャリアショックというテーマを提起するのは、IT(情報技術)の世界におけるドッグイヤー(六、七年間分の変化が一年で起きる)と同様の劇的な変化が、キャリアの世界においても起きつつあるからである。

引用元:キャリアショック,高橋俊介著,東洋経済新報社,2000

もう20年以上前の話ですが、就職後に上の一節を読んで背筋が寒くなったのを覚えています。新人にして、いつまでこの仕事を続けられるのだろうかと心配することになりました。

世の中が変われば、仕事のニーズも求められる技術も変わっていきます。人生100年時代においては、企業よりも人の寿命の方が長くなることもあるわけで、企業や技術のライフサイクルが進むことは容易に想像できますね。

世知辛いことですが、こうした世の中の変化は個人ではどうにも制御することはできないのも事実です。変化に抗ったところで、政府や会社を非難したところで状況はきっと変わらないでしょう。

つまり、キャリアの危機はいつの時代も起こり得るのだと思います。

恐怖に駆られてキャリアチェンジ

私が就職した2003年ごろは、今ほど転職が一般的ではなく、また年功序列制度も崩壊していないように見えていました。国内の電機メーカーもまだ元気でしたので、「大きな会社で定年まで勤めあげる」という感覚を持っていた人も多かったと思います。

しかし、私は世間知らずということもあって、自ら恐怖の世界観を作り上げて防衛策を考えはじめました。

具体的にいうと、数年ごとにキャリアチェンジを行いながら、武器を拾っていかなければと考えていたのです。このキャリア戦術については、以前にもnoteに書いています。

これらの本を読んだとき、ある種の衝撃を受けました。
真面目にやっていてもいつか仕事がなくなるとか、アップ・オア・アウトという話題を目にして青ざめたのです。

私は周りに「サラリーマン」がほとんどいないような田舎から出てきたのでカイシャというものが分からず、こうした本の提言を素直に受け止めていました。もし成果が出せなければすぐさまクビになってしまう……と本気で思っていたのです。外資系企業に就職していないにも関わらず。

そして、数年でキャリアを変えていき、社外でも通用するような武器を身につけていくべき――このようなキャリア観が芽生え始めたのです。

こうしたこともあり、その後職種が変わるようなキャリアチェンジを突如実行したり、自分のテリトリー外の書籍を買い漁ったりしていました。そういった意味で、極めて地味なキャラクターながら、周囲から静かに浮いていったように思えます。

引用元:自律的キャリアの個人的な話(キャリア観)|武田邦敬|Kunihiro TAKEDA

結果的に、アプリSEから始まったキャリアは研究職やデータサイエンティストを経て、独立に至ることとなりました。

この自分の行動は投資対効果があったのか?と聞かれると、正直どうだかわかりません。しかし、自分自身の気持ちとして、いろいろなことに挑戦できてよかったと思いますし、今の状況も楽しんでいます。

また、経験の幅が広がって環境変化への耐性は上がっているように感じますが、それよりも自分の志向性を探索できたことの方が大切だったと感じています。常々、得意と好きの交差点で仕事をすべきだと思っているからです。

* * *

私の不器用なキャリア開発上の戦術を一言でいうと「リスキリングを勧告される前に、自分でキャリアを変える」という作戦でした。

同じようなプロジェクトを繰り返すようになったり、自分の志向性と合わずにスキルも伸びそうない状況が現れたりしたら、その場を去る選択をしてきました。

キャリアチェンジの募集に応募したこともあれば、組織の要請に上手く乗って変化していくこともありました。とはいえ、何度もキャリアチェンジをしていながら、同じ会社の中でそれらを経験できたというのは幸運だったと思います。実に懐の深い会社でした。

以上を一言でいうと、一定期間で自らリスキリングしてきたといえます。

変化を求めるシグナルは様々な形で現れていましたが、最終的には直観だったと思います。

自らリスキリングことでキャリアを防衛する

さて、「リスキリングを勧告される前に、自分でキャリアを変える」という戦術は、見方を変えるとキャリア防衛策の一つではないかと考えています。

これは自分自身の陳腐化を避けるということもありますが、自分自身のタイミングでキャリアに変化を起こすことがポイントだと考えています。
変化の手綱を握るということですね。

順調だと思っていたキャリアが社会や組織の要請である日突然崩壊するということは、とても大きなリスクだと思います。もしそれが、40代や50代で起きたらどうなるか――。順風満帆だと思っていればいるほど、そのダメージは大きいはずです。

その変化がいつ起きるかを正確に予測することは概ね無理でしょう。周囲10メートルほどで崩壊が始まってようやく気づく類のものだと思います。私も含め、往々にして人は「自分は大丈夫」と思う節があるからです。

もしかすると、政府や組織のトップが先に気づくこともあるかもしれませんが、それをストレートに現場に伝えることはまずありません。多くの人がその変化に気づいたときには、あちらこちらから壁が迫ってきて選択肢が少なくなっているものです。

であるならば、世の中も会社も自分のスキルも諸行無常だと思って、自ら変化するのが防衛策になるのではないか。変化の手綱を握り、自分の興味や関心に沿って飛び込む先を決めるのであれば、多少の想定外も素直に学べるのではないか――。

私はこのように考えています。

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最終的には独立・起業に至ったわけですが、きっとこの先も変化していくことでしょう。

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