【今日で最後なのかな】
9年前の今日、私は持病のもやもや病の治療のために開頭手術を受けました。
当時は、中学1年生でもやもや病が分かってからも、まだ3ヶ月しか経っていませんでした
当時の私は、手術室どんな感じなんだろう!!という好奇心の方が勝っていましたが
当日、親、いとこ、親戚などが来てくれるなか
自分1人だけ手術室に入っていく光景は、医療ドラマで見るような光景でした
父が泣くもんだから!!笑
うち泣いてなかったのに、泣いちゃって!!笑
それに釣られて、みんなで泣いちゃって
最後に、父と母、兄と抱き合って
私は泣きながら手術室へ入りました
それを見た看護師さんは、「もう一回家族に会っていく??」と聞いてくれたのですが、私は今、会いに戻ったら手術が怖くなって
きっと手術できなくなる。と思って、幼いながらに覚悟を決め、戻りませんでした。
手術室の中は、見たこともない世界で
ちょっとワクワクしました笑
手術は、頭の骨を切ることもあって頭の形が少し変わってしまうことは、説明が無くてもなんと無く感じていました。
「バイバイうちの綺麗なときの頭!」と心の中で思って、手術台の上に乗りました。
心の中では、そのバイバイが、手術が失敗して命を落とす未来があるかもしれないから、この世からのバイバイという意味も含んでいました。
9時間後、私は目を覚ますのか
そんなの誰にも分かりません
成功率の高い手術でも、絶対はありません
麻酔が入ってからは、たぶん効きやすいタイプだったんでしょうね笑
「数数えて〜!」と言われて、数える前に寝てしまった記憶があります笑
9時間後、私は無事目を覚ますのですが
手術の体感は1秒なので
「え!?本当に終わったん!?!」と看護師さんに聞きまくり、「終わったにしては、なんも痛いとか感じない!!なんで!!」と思っていたのですが、病院の角の天井にあったカーブミラーみたいなやつで、今の自分の姿を知りました。
「え!?自分今こんな感じなん!?」
「包帯ぐるぐるじゃん。」
そりゃ、もうびっくり。笑
その後は、なんかいろんな部屋に連れて行かれて検査して、病棟に帰るんですが、私は麻酔で幻覚的なのをうっすら見てて、どこかに変な人に連れて行かれる。とか、ここがどこか分からない。みたいな状態でした。
頭を切った後なので、顔が浮腫んでて目開かないし!!笑
そのボーッとしているさなか、「みや!!」の声がすると思って目開けると、手術前に来てなかった、ばぁちゃんとおじさんが来てて
ここで初めて私は、
「あ、本当に終わったんだ。生きてた自分」と
やっと気づきました。
この日、私はナースステーションの隣にある部屋で一晩、急変に対応できるように過ごすのですが、まぁ、この一晩が地獄でした。
世が明けない。
一生、夜なのかな。
まだ2時。
眠れない。
とにかく怖い。
もう死にたい。
麻酔の影響もあってか、私は精神状態が非常に悪かった気がします。
水も飲めないし身動きも取れない、しかも、何故かずっと怖いという気持ちがあるのが怖くて仕方なくて。
もう辞めたい。もう死にたい。って繰り返していました。
そんなこと言ったって、この状況から逃げられないんですよ!!!
ひたすら耐える。それだけ。
腕には定期的に自動で計る血圧、見たことないぐらいの量の点滴の数々、口には酸素マスク、足には血栓予防のキツキツの靴下、胸には心電図
ピッピっと無機質にテンポ良くなる音
来ない朝
なんとか迎えた朝、ナースステーションから病室に運ばれる時に、窓が見えました
そこから見えた、綺麗な朝日が私は忘れられません。
「明けない夜はない」
本当にそうだと思う!!!
経験したから言える!!
それから私は、術後の経過は良かったのですが
血流が少なかったところに、手術によって血流が急に増えて起きる「失語」が酷く、それも怖かったです。
直前まで親とやり取りしてたのに、急に声が出せなくなる(言いたいことは脳に出てるけど、喋り方を忘れるみたいな感覚)という症状を1日の中で何回も起こしていて、治るまでに時間がかかりました。
そして、私は退院を目前にして
深夜に痙攣を起こしてしまいます。
ガチャガチャ!!!という音で目が覚めて、
なんだろうと思ったら、自分が震えてるんです
めっっっっっちゃ怖かった
(ちなみに、ガチャガチャという音は
ベットの柵と、それを入れる場所が当たって鳴っていた音です)
そんな入院中の楽しみは、お風呂の介助してくれる看護師さんと恋愛の話することだったり、副主治医とテニスの話をすることだったり、家族が会いに来てくれることでした。
病院食は美味しくないみたいなことよく聞きますが、私はむしろ大好きでした🍚!!
まじで美味しかった!!
夜にお菓子食べてたら、副主治医がたまたま来て、その場面を見られて「もしかして、ご飯足りない!?」って言われたのも良い思い出です💁🏻♂️笑
無事に退院して、家に帰ると
一緒に住んでいた、ばぁちゃんが外で待ってて😭😭帰る時間を言ってなかったので、たぶん相当な時間、外で待ってくれてた。
「みや、良かった😭おかえり」と私を抱きしめて泣きながら、言ってくれました
私は、またこの家に帰って来れて良かった!と心の底から思いました。
それからの日々は、傷口の瘡蓋が剥がれていくと同時に、そこの髪の毛が抜けていきます。
それもちょっと辛かった。
そして、手術中に頭をキツく固定することから、円形脱毛になりました。
それも辛かった
傷口は、今も耳からおでこにかけてあって
コンプレックスだけど、まぁ共存しよ〜と最近は思っています笑
もやもや病は、手術では完治しません
完治する術はありません。
なので年単位ですが検査入院や日帰り検査をして状態を診ます。(個人差がめちゃくちゃあります!)
手術して数年後、検査入院で脳外科の病棟に入院することがありました、あのときの看護師さんたちがまだいらっしゃって
「1号室のみやちゃん!!」って呼ばれてたのを知りました😂
私が入院してた病室が1号室だったからです笑
あのとき、病気を見つけるのが遅かったら
あのとき、手術をする勇気がなかったら
あのとき、目が覚めなかったら
私はきっと、今いません。
執刀してくれた主治医、支えてくれた看護師さん、副主治医を始め
たくさんの人が、私を支えてくれました
本当に感謝しかないです。
そして今、私は私と関わってくれている方々のことが大好きです!!!!
あのとき、頑張って良かったって今一番思います。
私は、両側もやもや病ですが、片側(左)しか症状が出なかったので、右側は手術をしていません。
発作が起きるのではないか。
脳梗塞が起きるのではないか。
不安は尽きません。
起きるか分からない不安は常にあるけど、起きない可能性の方が高いので、不安で動けず一日を過ごすのでは無く、なるべく沢山のことに挑戦して、良い人生を歩みたい!と思っています
自分の闘病の経験を通して、難病を持っている人、透析や闘病をしている人たちが、少しでも働きやすい環境を作ることが、今の私にできること、そして、自分のためにしたいことです。
私は、もやもや病の発見を症状があったのに見逃してしまっています。
自分の子どもが様子が、いつもと違う時、迷わず病院に行ってください!!!
大きな病気が隠れている可能性もあります。
手遅れになる前に、いつもと違ったら病院へ行って欲しい!!!本当に!!
朝が永遠に来ないと思っていた、あの日の自分に伝えたいことは、「手術が終わって退院したらテニスができると思ってるかもしれないけど、出来ないよ。高校も辞めるよ。周りから心無い言葉を言われるよ。病気がある自分が嫌いになるよ。でも、数年耐えれば必ず人生的にも朝が来るよ!
面白い人たちの中で生活ができるようになるよ!!」ってことです!!
これからも、色々あると思うし
明日のことなんて何もわかんないけど
楽しむ!!!!
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