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あっち側とこっち側

私は社会には線があると思っている

難病がある・ない
障害がある・ない
福祉の知識がある・ない…といった具合に、なにかと線があって
必ず、みんなどっちかに属する

私が、思うのはあっちとこっちの温度差

専門用語が通じる世界

私は、社会福祉学科にいるので福祉の知識が一応、【ある】に属する。

社会福祉学科では
「SW」・「PSW」・「MSW」・「社協」・「地域包括支援センター」など
さまざまな職の名前や施設の名前が授業でも、友達間でも飛び交う

ある意味、これは私の学科での共通言語であるということを
忘れてはいけないと、最近とても思う

社会福祉学科から、一歩出ると
社会福祉士という職を知らない・知っているが何をしている職か知らない

社協という施設を知らない
聞いたことがあるが、なんのためにあるかは知らない

私たちが、日常的に使う共通言語は
一歩その世界からでると何も通じなくなる

学科は守られた世界

私は、ソーシャルビジネスに興味があって、今は病気と共に生きる方が過ごしやすい社会はどうしたら生まれるのかというのを主に取り組んでいる

そして、私は大学でも学科柄、社会課題を日々習っている

・孤独死
・不登校
・社会的孤立
・繋がりの希薄化
・少子高齢化
・人口減少...

学科の友達とは色々な話をする
生活保護を習ったときには、生活保護の話
不登校を習ったときは、不登校の話など

いろいろ話すのだが、私は周りがそれに対して
批判的・否定的なことを言っているのを見たことが無い

ここからは推測だけど
私の周りは、「悪い・良い」という選択をしていないのだと思う

不登校が悪い!!
生活保護を受けている人は悪い!!

そういう見方をしていないように感じる
常に中立的な意見や考えを言う人が多い

これは本当に素敵だと感じる

そんな、どっちとも決めない世界で大学生活を謳歌している私は
学科から一歩出ると何も通用しないことを痛感している

社会は、「良い・悪い」の二択しかない

不登校関連で動いていたとき
「僕は、不登校に賛成です!!ミヤさんも自身の経験からそうなんじゃないですか?」と言われたことがある

私は、学校に行きたいなら行けばいいし
行きたくないなら行かなくても良いというスタンスだったので

この人は何を言っているのだろう。と感じた

学科では、当たり前のように常に中立な考えや意見を言ってくれる人が多かったので、この決めつけられた質問に答えることができなかった

決めつけで起きること

社会福祉学科にいる私は、授業でいろんなサービス・公的制度を習う

なんとなく自分の頭の中で、困ったときはここに頼ろう!!
こういうサービスを使おう!!となる

でも、その知識が当たり前化してしまって

「なんで、この人はこの制度を知らないの??」と思ってしまって
「調べたら分かる」とか言ってしまいそうになるのだと思う

よく考えると、私も「調べ方が分からない」という時期があった
自分も通ってきたはずなのに、それを忘れている

決めつけは、私の当たり前であって
それが、相手の当たり前ではないと常々思う

わからない前提で話す練習

なんとなく似たような界隈にいると「通じる」と勘違いしてしまう

去年参加していたビジネスコンテストのプレゼンの講義の際
「相手は何もしらない前提で話す」と習った

私はすごく納得した
私は理解している、でも、目の前の線を越えるとそうではない

コンテストの審査委員は、たったいま出会って
北里美弥という大学生がプレゼンをして何かを伝えている!!という感じかもしれない

特に、私が着目している「難病」という分野の困りごとは、社会的に知られていない。
線の向こうの人に自分の想いを伝えることは難しい
でも、その線は下からくぐっても良いし、上からまたいでも良い

こっちの一方通行にならないように

どうしても、理解してもらいたいという気持ちが勝って、情報が一方通行になっている気がする

きっと私もそうなっているときがある

私が思うのは、どちらかが踏み寄って、どちらかの線の中で手を繋ぐのではなく
あっちとこっちが歩み寄り、線の真上で手を繋げるような世界になれば良いなぁと思う

これからの私

活動は勿論、続けて行きます!!
でも、いままで発表してきたビジネスプランを叶えていくというより
それを軸として、いろんな方面から難病をみる時間を作ろうと思っています。
一個のものに限定せず、今は柔軟にいろんなことを学んで知って、自分の叶えたい世界を叶えたい!!






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