働けなくなった今と、療養する覚悟。|23年の「働く」を振り返る。
何について書こうか。
なにかしら書きたいという気持ちだけが今ある。
しばらく書こうとしなかったから、どう頭の中で話を組み立てていけばいいのかが解らなくなっている。
ふわふわとした状態だけれども、このまま今の私について書いてみようと思う。
今、私は半年続けたアルバイトを心身の不調によって退職し、予定のない療養の日々を過ごしている。
退職の理由は、職場での対人関係によるストレスからくる体調不良、具体的な症状としては動悸や恐怖・不安感といったもので、医師の診断では、不安障害、パニック障害、社交不安症、こうした辺りだろうとのことだった。
退職の際に職場と大いに揉めたことで、症状が著しく悪化したのだが、ここの話については思い出したくないのでこれ以上は書かない。
現在は、職場との関わりを断つことできてから約一月半の時間が流れている。
症状自体は落ち着いているが、不意に思い出したり、かつての言葉がよぎったりすることが、まだ一日に何度がある。
なるべく考えてしまわないように、この期間、NETFLIXで中国時代劇「鳳凰の飛翔」(全70話)をひたすら見続けたり、Nintendo DSで「ドラゴンクエストIV」を全クリしたり、半日水族館に籠もったり、パソコンで街づくりゲームに没頭したりした。
どれも楽しい時間だったが、楽しさは苦しみと違って持続しないし、突然蘇ったりはしない。
毎度種をまいて育てていく必要がある。そうしているうちにも、苦しみは宿根草のように繰り返し芽吹く。
この状態がいつまで続くのかと、先の見えない不安を抱きつつ、今日もぼんやりと生きている。
振り返り。
今年の始めに、22年の働くを振り返った記事を書いた。
つい先日まで書いたことすら忘れていたが、読み返してみると、上記の退職した職場について、「適職」なのではないかと書いていた。
笑わせてくれる。
いかに落ち着く環境だろうと、興味のあるものに溢れていようと、そこは店舗であり、職場である。
古道具屋であったその場所では、日々見知らぬ人々が往来し、私を専門家と思い話しかけてくる。
売り物については何時代のものか、素材は、名称は、値段は、とあれこれ問いかけられる。
店主は仕入れに出ている時間が殆どで、店内には私しかいない、値札のついていない商品で溢れた場で、いったいどうしろというのか。
こうした状況は、22年最初の飲食接客業に通ずるものがあった。
買い取りについても同様に、アルバイトのわたしに買取の可否など判断つくはずもなく、お客を目の前で待たせた状態で、なかなか繋がらない店主に苦手な電話をかけ続けるというのが日常茶飯事だった。
また、こうした接客業務は日々オンラインで販売した商品の発送業務の合間に行っていたため、接客業務で店主への問い合わせが発生すると、集荷時間が迫る本日発送分の商品梱包が進まなくなる。
すると今度は、何故かいつも指定した時間より早くにやってくる集荷に来た配送業者に、少しだけ待ってくださいとお願いし、大慌てで梱包することになる。
私は梱包、発送業務では一度も手違いは起こさなかったが、他のアルバイトは度々商品の入れ違いや、入れ忘れ、発送忘れなどを起こしていて、休日に電話が鳴り、直近の出勤時の状況や商品の梱包状況などについて問われるという事がしばしばだった。
こうして書いただけでも、心的な負担が日常的に掛かっていたのだなと今なら思える。
実際には、今書いたことは業務の半分で、もう半分の出品業務のほうが心的な負担は大きかった。
この部分は守秘義務的なものが多いだろうから具体的には書かないが、とにかくもっと早くやれ、遅すぎる、と出勤のたびに言われていた。
はじめの頃は、そのうち覚えてきて慣れてくるだろうと思っていたし、数ヶ月経つ頃には商品によっては相当早く捌けるように成長していた。
しかし扱う商品、例えばカメラはどれも中古品、しかも壊れたジャンク品の可能性が常に存在し、その動作確認には当然知識が必要になる。素人が数ヶ月で何十、何百と種類のあるすべて状態の異なる商品の動作確認などできるわけがなく……。
といったように、各業務それぞれにストレス源が存在し、日を追うごとにストレスは蓄積されていった。
そこに追い打ちをかけたのが、店主の短気な性格であった。
これが最悪であり災厄で、今まで見てきた人間の中で上位の酷さをしていた。
休憩中には常に他のアルバイトや客の愚痴をこぼし、己の些細なミスや誰かの不手際に声を荒げ憤慨する。
22年後半の職場で体感した人間の醜さというものが、ここに凝縮して存在していた。
ある日、この店主が不機嫌な状況で、私は指示された内容を確認のために言い換えて説明した。こういう認識で大丈夫ですか、といった感じのただの確認のつもりだったのだが、これが店主の意図とはズレていたようで、謎にブチギレ。
普段撒き散らしていたストレス源の集中砲火を浴びることになった。
ここで今までの負担が限界突破し、出勤不能となった。
ここまで書いてきて、明らかに体調が悪くなってきたのでそろそろ終わりたいのだが、振り返ってみると、去年にはバラバラに存在していたストレス源が、今回の職場では高濃度に凝縮されていたのだと再認識した。
出勤三日目にあまりの胃痛で座り込んだ日、あのときに辞めているべきだったのかもしれない。
今のところ20代は仕事というものに、人間との関係というものに翻弄され、疲弊し、心身を崩壊させていく日々となっている。
去年は休職期間はあれど、無職の期間は殆ど作らなかった。
それは焦りも当然あるけれど、無職は許されないという社会の空気感、圧力から逃れるための苦肉の策であったようにも思う。
そして再び無職となった今、今度はその圧力と向かい合い、時間をかけて心身の健康を取り戻していく覚悟が必要だと、思い至ったところで、今回はこれくらいにしておきたい。
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