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京都の深夜喫茶を懐かしみつつ、やりたかったことを少し思い出した日。
こんにちは、ことよみです。
4月に入って、ようやく春を感じる気温になってきたと思ったら、めちゃくちゃ暑くなったり、夜に冷え込んだりと、安定しない日々が続いていますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私はここ数日、調子が落ち着いてきていて、薬が効いてきたのか、いい感じです。
今日は何について書くとか考えていないんですが、書く習慣を復活させるリバビリのつもりで考えながら書いていこうと思います。
先日、なんとなくYouTubeを見ていたら、大学時代に訪れたことのある喫茶店が紹介されているのを見つけました。
その喫茶店は、日が暮れてからオープンし、日の出前にクローズするという、いわゆる深夜喫茶という場所で、細いビルの階段を登ったところにあります。
狭い店内にはソファや畳の席、昭和の空気を集めて濃縮したようなポスターや雑貨に囲まれ、壁には本が並んでいる、そんな隠れ家的なお店です。
そのお店には2回ほど訪れました。
いずれの機会も、真夜中のちょっと不思議な体験として、ぼんやりと記憶しています。
このはっきりと覚えていない感じがまた、いい感じです。
電球色の仄暗くも暖かい光の中、時折通り過ぎる自動車のヘッドライトを横目に、ネルドリップの深い染み入るような珈琲を飲んだ気がします。
そうして振り返りつつ、映像で久々にそのお店を見ていた時に、ああ、こういうお店、喫茶店がやりたいと考えていたな、とかつての気持ちを少し思い出しました。
当時は行きつけの喫茶店もあり、何かうまくいかないことがあると、その都度足を運んでいました。
そんなわけで、喫茶店には思い入れがありました。
ただ、よくよく改めて考えてみると、私は喫茶店がやりたいわけではなかった気がしています。
お店を開くことよりも、喫茶店のような落ち着いた空間に身を置いて、そこでゆったりと友人や自分自身と対話をすることの方に興味がありました。
なので私は、そうした環境に憧れていたのだと思います。
当時からいつも、落ち着きたいと言っていた気がします。
誰かと遊ぶ時も、うちへ招き、珈琲や軽食を出し、あとはひたすらに話をする。そうした付き合い方でした。そうした関係性が落ち着いていて好きだったのだと思います。
そのような付き合い方が好きだからこそ、喫茶店は向いているかもしれないと考えたわけです。
しかし、実際にお店をするとなると、経営や運営についてあらゆることを考えねばならず、安定するまでは落ち着きとは程遠いものになることは容易に想像できます。さらに、接客が苦手な性格なので、そもそも飲食店には向いていないという問題もあります。
なので結局のところ、現時点では喫茶店という環境には憧れがあるけれど、自分でやるのは落ち着けなさそうでハードルが高いなと感じている、といったところでしょうか。
やりたいことをやるというのは難しいことだよなと思います。
今難しい、向いていないかもしれないと書いたところですが、いつかは喫茶店を開きたいと考えたりもしています。
どっちやねんという感じですね、自分で今書いていてもどっちなのか、わからなくなってきています。
当時は喫茶店がやりたいと言っていたけれど、実際にはそうした環境に憧れていただけだったのかもしれないと今は考えている。
その上で、向いていないかもしれないと思いつつも、やっぱりやりたいような気もする。そんな感じです。
感情というのは複雑です。なかなか言葉で書き記すことができません。
こうした言語化の能力も、もう少し磨いていきたいところです。
もっと本を読むべきですかね。
書きたいことがわからなくなってきたので、この辺りで終わろうと思います。
お読みいただきありがとうございます。
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