雑記・ゆったり働きたい。楽しさがかえってこない。理想の一日。難しい休養。仕事の責任。
文字を書く創作。
書くことを楽しむ。
えがく表現。
いきいきとした活動。
ゆったり働きたい。
私は、ゆったりとした自身のペースで働きたい。
個人で、もしくは少人数で、生きていくのに必要な分のお金をいただける程度の仕事をこなしたい。
そのためにはどのような仕事が向いているだろうか。
私には魅力的な文章を書く才がない、と思っている。
練習すれば、ある程度は書けるのかもしれないが、道程は険しいだろう。
フリーランスとしてやっていくとすれば、それなりに個性が必要になる。
その人だから書ける文章、味わいというものが欠かせない。
私は、そうした文章が書けるようになるまで熱意を持って取り組めるだろうか。
文章以外にも、個人で活動する方法は沢山ある。
作家さん、クリエイターというジャンルの人となって、小規模に制作してものをやり取りするような関係性が構築できたなら、人生が動き出すような気がするんだ。
楽しさがかえってこない。
いまの私は、とても弱い。
なにかに集中することや、喜びを見出すことが難しくなっている。
正直、いまは生きていることに楽しさを見出だせずにいる。
毎日起きて、支度をして、家事をこなして、空いた時間の過ごし方に困り、不安にかられ、薬を飲みつつ、夜眠る時間が来るのを待つ。
この毎日に、楽しいひとときがなかなか現れない。
散歩に出かけて太陽を浴び、風を感じたり、豆からコーヒーを淹れたり、ベランダでボーっとしたり、書いてみると良さげなことをいくつもしているのに、心は動かない。眠ってしまったのか、何も感じない。
こんな日々が何ヶ月も続いていると、もうこのままずっと続いてしまうんじゃないだろうかと不安になる。
その不安がまた私を落ち着きから遠ざける。
理想の一日。
学生時代にはおぼろげながらイメージできていた、理想の一日というものが、さっぱり浮かばなくなっていることに最近気がついた。
それと同時に、夢とか、希望といったものも、みんな一緒にいなくなってしまった。
どこに消えていったのだろう。
消費を煽る現代に嫌気が差して、避けるように生きられたら、なんて考えていたけれど、いまは消費をする余裕すら持ち合わせていない。
この現実の虚しさというか、寂しさというか。
心に余裕がなくなると、理想って浮かばなくなってしまうんだな。
難しい休養。
毎日自由にのんびり過ごしてください。
そう言われている、休養とはそういうものだ。
しかし、なかなか休むに休めない。
気持ちがずっと落ち着かない。
自由にと言われても、なんだか焦ってどうにもならない。
なにもすることが思い浮かばない。
何をしたらいいかが見えてこないし、何もしていても落ち着かない。
熱中するということが難しい。
今の精神状態になってから、難しいという言葉を書いたり話たりすることが増えた。
どうしたら休まるの。
仕事の責任。
お金を稼ぐ手段でしかないと割り切って、仕事に責任を感じずに取り組むことができたのなら、どれほど楽だっただろうか。
ここでの仕事の責任とは、作り出したものが人や社会に与える影響についての責任だ。
作業員の一人ひとりにはそんなこと関係ないのかもしれない。
営業成績とか、会社の業績とか、利用者の満足度とか、そうしたことも大事だろうけれども、私はもっと大きな視野で捉えてしまう。
その行いは、社会にとって、本当に良いことだろうかと。
そもそもいい行いをすることが正しいのかはわからないけれど、不健康になるものを売りたくはないし、すぐごみになるものを作りたくはない。
もちろん必要なものもあるけれど、モノ一つとっても、それが与える影響について、あれこれ考えてしまう。
これを考える必要って、あるのかな、ないのかな。