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SKMTを解体する
はじめに
2023年3月28日にこの世を去った坂本龍一。彼の代表作は何かと問われれば、Yellow Magic Orchestra時の作品や映画のサウンドトラック、ソロ作品など様々な作品が浮かぶだろう。しかし、そうした音楽は彼の本来目指していた音楽だったのだろうか。彼は晩年に至るにつれて、ノイズや残響を取り込んでいるような前衛音楽、現代音楽的な作品を残している。これはポストモダンと言われる時代にミュージシャンとしての活動をスタートした坂本が真に嗜好する音楽が晩年に至るにつれて浮かび上がってきたと言えるのではないだろうか。本稿では坂本が最後に残したコンサート映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』や坂本に関する著作、坂本自身による書物などを引用しつつ、坂本龍一とはいったい何だったのかを解体していく。
ロボットとしての坂本
坂本は幼少のころから非常にアカデミックな音楽教育を受け、その培った知識を基にスタジオミュージシャンとして活動する中で、どのようなジャンルでも弾けますよというスタンスで、様々なジャンルのミュージシャンとともに活動した。高橋雄二や武満徹といった先鋭的な人々の時代が終わり、いわゆるポストモダン的な時代に突入した中で、新たな音楽の方向性が掴めなくなり、坂本のようなスタンスになったことは容易に想像できる。しかし、彼の音楽性としては幼少期に影響を受けたクラシックや現代音楽、大学で学んでいた民族音楽、電子音楽の影響が大きいと考えられる。そして、1978年にメジャーデビューアルバムとして販売された『千のナイフ』。アルバムの1曲目では坂本のヴォコーダーによる毛沢東の詩(1965年に毛沢東が井崗山を訪問したときに作成)の朗読で幕を開け、印象的な響きの和音が平行移動するイントロへとつながっているが、この曲は主にYMO期の坂本を象徴するような曲でありつつ、現代音楽をポップに落とし込んでいると言えよう。幼いころから育まれたアカデミックな体系的な知識を存分に発揮し、計算しつくされたいわゆる坂本らしい楽曲と言えよう。いわゆるピコピコとした電子音が取り入れられた非常にポップな現代音楽だろう。
そうした坂本の楽曲の特徴だけでなく、坂本は極度にミスを嫌っていた。YMOとしての三枚目のアルバムであるライブ音源を収録した『Public Pressure』では、所属音楽事務所の関係でギターのチャンネルはカットされ坂本龍一のシンセサイザーに置き換えられたのは有名な話であるが、坂本もまたアルバムにする際、自身のミスを弾き直して、ダビングしている。(1曲目の「Rydeen」の出だし)つまりは何かコンセプトがあり、非常に計算しつくされた、幼いころから育まれたアカデミックな音楽かつ、極度にミスを嫌うというのが「ロボットとしての坂本」の特徴である。
残響、ノイズ、現代音楽へ
1983年のYMOが散会後2作目のソロアルバム『エスペラント』は晩年に坂本が追及した音楽性を見出せるだろう。サンプリング音源を取り入れるなど手法としてはYMOの『テクノデリック』に似た形態ではあるが、アルバム6曲目のAdelic Penguinsを除きはっきりとしたメロディーを持たず、残響やノイズ、静寂を取り入れ、現代音楽的な作品になっている。YMOが爆発的な人気を博し、坂本の名前を売れたからこそ創れた非常に実験的な作品であり、この実験性、音楽性こそが本来坂本が目指していたものである。実際、後年に坂本自身『エスペラント』は気に入っているアルバムという趣旨の発言をしているが、この発言からは自信が目指したものの完成度、さらなるハプニング的なものへのあこがれが感じられる。エスペラント以降は映画のサウンドトラックを手掛けたり、YMOが再生したり、CMのために書き下ろしたEnergy Flow がミリオンを達成するなど多岐にわたって活躍したが、そうしたいわゆるポップ路線で売れる曲など坂本にとっては簡単な作業であり、本来目指していた作品ではないと考えられる。2000年代にはいると1993年に再生していたYMOが再び始動する。もともと坂本を除くメンバーの高橋幸宏の誘いで細野晴臣とSketch Showというユニットを結成しており、それを羨んだ坂本も参加し、HASやHASYMO、最終的にはYMOとしての活動につながった。この三人の活動は2013年ごろまで続いた。その流れから坂本もエレクトロニカやテクノポップ系統の作品を作るのかと思われたが、YMOの三人での活動が動き出した時のオリジナルアルバム『Chasm』はエレクトロニカ的な要素がある一方で2009年にリリースされた『Out of noise』では全く違った方向性になっている。このアルバムは音楽に関わる全ての要素を脱構築し、繰り返し演奏、不協和音、環境音など、現代音楽的な手法を全面的に取り入れている。結果として、音楽の三要素である旋律、和音、拍子の何れもが存在せず、楽器音、環境音、電子音が聴き分けられない程に融合している。坂本は大学に入る際「脱構築」を目指していたそうだ。細野晴臣という1978年から83年という若いころの自分がコンプレックスだった人間と再び創作を共にしたことが何か刺激になったのだろうか。だんだんと雪解けはしたそうであるが、一度抱いたコンプレックスはなかなか消えることはないだろう。しかし、そんな細野との共闘が彼を脱構築へと導いたのかもしれない。そして癌の治療の影響もあり、『アウトオブノイズ』以来8年ぶりのオリジナルアルバムが『async』である。本アルバムは「非同期な音楽を作る」目標の下に制作され、アルバムタイトルも「非同期」を意味する「asynchronization」の略称から採用している。しかし結局は全て計算のもとに「非同期」を作り出してしまったと言える。果たしてそれは「非同期」と言えるのか、坂本の目指すものであったのか、坂本のコンプレックスは解消されたのかは疑問が残る。しかし『エスペラント』、『アウトオブノイズ』、『async』の3作品では坂本の目指す方向性は追及できたと言えよう。坂本自身『async』は気に入りすぎて誰にも聞かせたくないと話している。ただどの作品も結局は坂本によって計算されたものであり、ファーストアルバムの『千のナイフ』と大きく変わりはないのである。そうしたハプニング、完全に計算から離れた音楽に対する強い憧れ一方で何かハプニング的なものへのあこがれを我々に感じさせる3作品であった。
最後に解放された坂本
2024年5月に上映が開始された『Ryuichi Sakamoto | Opus』(以下『Opus』とする)では興味深いシーンがある。癌の進行に伴いピアノの鍵盤を押すのでさえ痛みが伴っていたこともあり、本編中ある曲の中でミスタッチをする。そしてそのフレーズを何度か繰り返し弾き直し、最終的には「もう一回いこうか」とその曲をもう一度演奏するのをリクエストしている。この姿はこれまでのコンサートを振り返ってもあり得ないことである。1.ロボットとしての坂本でも述べたように、仮にミスをしたとしても、してないですよと冷静を装った顔をして、決してその場で弾き直すということはしなかった。ではなぜこの『Opus』ではこのハプニングがそのまま残ったのか。それは息子であり本作のディレクターを務めた空音央氏および妻の空紀香氏の存在が大きいと考えられる。癌により衰弱した坂本はこの両氏に一任していたため、このようなハプニングも作品に残ったのではないだろうか。今までの緻密に計算しつくされた坂本の作品から最後の最後にようやく解放された瞬間である。またYMO時代の名曲「東風-yellow magic-」も残響を意識させるようなアレンジになっている。『Ryuichi Sakamoto : Playing the Piano 2009 Japan』における「mc8(tong-poo)」においてYMO時代のディスコ風のアレンジから抜け出せないと話していた。いくらハプニング的なことにあこがれが強いとはいえ、自分の気に入らないアレンジを披露するような人間ではない。YMO、もっと言えば、彼の1stアルバム続く呪縛から解き放たれた瞬間だろう。いわゆる電子音を用いたテクノポップの先駆けとして、彼自身YMO散会後、YMOの呪縛にとらわれていたとも語っている。『Opus』では坂本の呼吸がまるで音色かのように聞こえるシーンが多々ある。音楽とはそうしたハプニング的な要素を含んで作られることを意図しているかのようであった。
そしてNHKで放送された『Last Days 坂本龍一 最期の日々』でも自身の弱っていく姿、またプライベートな姿を残している。音楽ではないが、これもまたハプニング的な要素があり、坂本の手によってというわけではないが最後の最後に「坂本龍一」がコンプレックスから解放され、ヒトになったのではないだろうか。
最後に
ポストモダンと呼ばれる時代に非常にアカデミックな教育を受け、様々なジャンルの音楽に影響を与え続けた音楽家は坂本以外に存在するだろうか。そして坂本自身は常に自分のコンプレックスと向き合い、自身の音楽を追求し続けた。残念な形ではあるが、大病を患い、衰弱していくことが起因し、彼が今まで作ってきた既存の音楽が脱構築され、坂本が本来目指したかった形で世に放たれたことは非常に価値のあることである。まるでロボットのような人間だった坂本が最後の最後にヒトになったのだ。またYMOという当初は匿名性を大事にしていたグループにもかかわらず、名前が売れてしまった上、その語の活躍によって「世界のサカモト」や「日本の宝」とまで呼ばれるようになってしまった。本人はそれを非常に嫌っていたが、それほどまでに偉大だったのだ。そんな存在を失った今日本の音楽業界はどうなっていくのだろうか…。小山田圭吾や電気グルーヴ、砂原良徳、星野源など坂本の音楽に影響を受けたアーティストに期待したい。
「Ars longa, vita brevis」という坂本が好んだ言葉がある。転じた意味で「芸術は永遠」とも解される。この言葉通り、坂本の音楽という芸術は永遠だろう。
PS.私の選んだ坂本龍一の10曲です。良ければ聞いてみてください。