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AI創作に「必然性」はないのか?ーー零合舎の発表を考える

AIガイドラインの検討に疲れ果てたKey君です。最近「AIと人間の線引き」で頭がいっぱいで、夜も眠れなくなってきました(笑)
今日は、あるニュースがXで話題になりました。「生成AIツールを利用した作品およびAI学習防止への弊社見解」という零合舎からの声明です。
この声明が出た背景には、Xのユーザーが投稿したテキストや画像などのコンテンツを、 同社のAIモデルや機械学習システムのトレーニングに使用するという大きな方針転換があります。

純粋人間創作的な主張

「AIの排除」と「純粋な人間の創作」という、なかなか際どい見解ですが(笑)、その中に興味深い洞察も含まれています。一緒に考えていきましょう。

零合舎はどんな出版社?

零合舎は、比較的新しい出版社です。ラウンドゼロ株式会社の出版部門として、主に百合(女性同士の関係性を描いた作品)をテーマとした文芸誌『零合』の刊行を中心に活動しています。

  • 設立:2021年2月5日

  • 資本金:990万円

  • 主な出版物:世界初の百合総合文芸誌『零合』(2023年2月14日創刊)

  • 最近の動き:「ノベルアップ+」と提携し、『零合』百合文芸コンテストを開催予定

小規模ながらも、百合文学の発展に強いこだわりを持つ出版社というのが印象的です。今回の声明も、そんな彼らならではの独自の視点が含まれていると言えるでしょう。ただし、これは業界全体の見解ではないことも押さえておく必要がありますね。

偶然性への期待と再試行の容易さ

まずこの話自体は画像と活字に分かれているので、今回は活字に関する議論に焦点を当てたいと思います。
零合舎の見解では「生成AIを用いるメリットは主に『偶然性への期待と再試行の容易さ』にある」と指摘しています。これは実に鋭い観察。一つずつ見ていきましょう。

偶然性への期待

偶然性、もっと難しい言葉でいうとセレンディピティです。
セレンディピティは偶然や思いがけない機会から価値あるものを発見したり、幸運な出来事に遭遇したりする現象を指します。例えば:

  • 何気ない会話から浮かぶセリフ

  • 聞いている歌の歌詞から浮ぶキャラクター

  • 飲んでいるワインから世界観が浮ぶ

本来、こういったセレンディピティは人間の頭の中で起こる瞬間的なプロセスです。それをAIを使うことで、より簡単に、より多く得られる...というのが一般的な理解でしょう。
でも、本当はそうでしょう?
私の場合、AIのアイデアを100%そのまま採用したことは実はほとんどありません。むしろ、AIが出したアイデアを:

  1. 一度分解する

  2. 必要な部分だけを抽出する

  3. 自分の物語に合うように再構築する

というプロセスを経ることがほとんどです。
以前の記事でも書きましたが、AIの第二の答えを超える「第三の答え」を導くことが大切なんです。

AIのアウトプットをそのまま信じるではなく、それを敵対する意見として自分なりの解釈を加えていく。ボスゾンビみたいにガトリングを体内に無理やり挿すようなことはしないのです。

再試行の容易さ

確かに、AIの最大のメリットの一つは「再試行の容易さ」です。展開が思いつかない時、数百のパターンをAIに高速生成させることができます。でも、実は諸刃の剣です。
私が経験した危険な状況:

  • 大量の選択肢に圧倒されて思考が停止する

  • すべてがAIの「第二の答え」レベルで終わってしまう

  • 作品が予定調和的になる

恐らく、零合舎がこのガイドラインで警鐘を鳴らしているのも、このような状況を危惧してのことではないでしょうか。
「再試行が容易」というのは、裏を返せば「安易な選択に逃げやすい」ということでもあります。私たちは、この思考停止の誘惑と常に戦っていく必要があるのかもしれません。

『必然性』をもって描かれた『著者固有』の作品

零合舎が掲げる「必然性」という言葉。これは、良い問題提起です。
以前の記事で、私は作家のビジョンにおける「なぜ書くか?」の重要性を指摘しました。この「なぜ書くか?」こそが、その作家の「必然性」です。

そして、私の持論である「人間とAIは敵対し、緊張関係の中で書いていく」という考えも、この必然性と深く関わっています。
ただし、零合舎の見解には若干の単純化が見られます:

  1. AIを使わない創作 = 必然的で作者固有

  2. AIを使う創作 = 偶然的で作者固有でない

このような二元論は、創作の複雑な実態を十分に捉えきれていないように感じます。
さらに気になるのが「生成AI利用の作品は原則扱わない」という表現の曖昧さです。例えばChatGPTで文法チェックをした場合は?それだけで扱わなくなるでしょうか?
どの程度のAI利用から「AI利用作品」とみなされるのか、明確な基準が示されていません。

やや絵師中心的な文脈

実は、この見解の特徴をよく見ていくと、文章よりも絵師の文脈で語られている印象を受けます。

画像と文章の本質的な違い

絵と文章には、大きな違いがあります:
画像の特徴:

  • 一度の生成で完結しやすい

  • 部分的な修正が難しい

  • 「意味のある最小単位への分解」が困難

文章の特徴:

  • 様々な段階でAIを活用できる

  • 部分的な修正が容易

  • 文、段落、章など、分解・再構成が可能

このような違いがあるにもかかわらず、画像生成AIへの懸念が文章創作にもそのまま適用されているように見えます。
AI利用を一律に「主体性の喪失」と結びつけるのは、些か乱暴ではないでしょうか。

終わりに

「純粋な人間の創作」を求める公式見解は、AIが急速に発展する今の時代において、なかなか前衛的な発言だと思います。
「必然性」という問題提起は秀逸でした。 一方で、AIを使う創作と使わない創作を二元論的に単純化してしまっている点や、「AI利用作品」の定義があいまいなまま議論を進めている点は、より丁寧な検討が必要でしょう。特に、画像創作と文章創作の本質的な違いへの配慮が不足していることは、このガイドラインの大きな課題として指摘せざるを得ません。
しかし、こういった課題があるからこそ、私たち創作者一人一人が真剣に考え、議論を深めていく必要があるのではないでしょうか。むしろ、このガイドラインが投げかけた問題提起を出発点として、より建設的な対話を始められることに、それなりに意義があるように思えます。
そして最後に、読者の皆さんに問いかけたいと思います:
あなたがAIを選ぶことが必然的だとしたら、そのことがあなたの創作における『必然性』になるでしょうか?

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