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「心理学の情動とは?」カンサイ”経営学”サイコウvol.8

 2021年正月三が日は、「コロナ禍で巣篭もり」テレビでスポーツ観戦三昧。ニューイヤー駅伝、天皇杯サッカー決勝、箱根駅伝、大学ラグビーにライスボウル。高校サッカー、高校ラグビーはハイライト観戦。そうそう自分が学生時代目標としていたアメリカンフットボール日本選手権ライスボウルは第74回大会、全国高等学校ラグビーフットボール大会は第100回の記念大会。

 月日の経つのは本当に早いもの、歓喜、葛藤、不安、怒り、欲望、後悔様々な感情の気づき。それ以降の人生の原点となったのが第67回大会。あれから33年、「人は何に突き動かされているのか」「自分は何に突き動かされいるのか?きたのか?」「動機?」「情動?」2021年最初のブログ投稿は、「心理学、情動とは?」からスタートさせていただきます。

 ちなみにこのブログ、”経営学”をメインテーマに経営学史や経営理論をお伝えしてくつもりでスタートしています、これまでテーマにしているグループ・ダイナミクスやモティベーション理論、リーダーシップ 理論などは心理学研究の流れをくむものが多いです。自分の興味領域の組織心理やキャリアは、心理学と深い関連領域ということでまずは「心理学史」から。
 
 実験心理学の父と称さるヴィルヘルム・ヴント(Wilhelm Wundt、1832年8月16日 - 1920年8月31日)は、ドイツの生理学者、哲学者、心理学者。1879年には、世界で最初の実験心理学の研究室を運用したと言われており、この時をもって、" 新しい学問分野として心理学が成立 " したとされています。
 一方、アメリカ心理学の父と言われるのがウィリアム・ジェームズ(William James、1842年1月11日 - 1910年8月26日)は、アメリカ合衆国の哲学者、心理学者。1875年にはすでに生理心理学の講義を始めていました。ジェームスは実験家ではないものの、ドイツの実験的手法をアメリカに移入するとともに、「人間の行動は環境に対する適応の問題であり、意識は新しい環境に対する調整作用である。」(『心理学原理』(1890年))など、心の機能的意味を強調しています。

 心理学には「長い過去と,短い歴史」がある。 ヴント「意識の科学」として心理学を創始するまでは,哲学の中に長い過去が見出される。 その後,無意識のはたらきを強調するフロイト「精神分析」や,要素主義を批判した「ゲシュタル ト心理学」が,「心理学」の歴史の流れを形作る。しかし,新大陸アメリカではじまった「行動主義」 が次の大きな流れとなって,「客観的な」心理学が大いに発展した。心理学は「魂」を失うことを通じて,自然科学としての要件を備えていったのだろう。その後,コンピュータなどの科学技術の発展の後押しを受けながら「認知革命」 がはじまり,「情報処理過程としての心」が復権していく。今では心理学は「心の働きの科学」であり,ある状況でどのように認知過程がはたらき,判断や行動を導くのかを研究する。
『社会科学としての心理学』一橋大学大学院社会学研究科教授 村田光二 2017)
 

 さすが大学で講義を持つ大学教授、学問としての「心理学」を簡潔にまとめてあったので引用させていただきます。またここで言う新大陸アメリカの「行動主義」というのは、「プログマティズム」。詳しくは別の機会に論じますが、その語源は「行為」や「実行」を意味するギリシャ語の「プラグマ」にあります。この考え方は、反省や思考を重視する近代哲学に対して、その反省や思考が行為と結びつかねばならないことを強調していくもの、ちなみにジェームズは、生理学からそのキャリアをスタートして、心理学、哲学、宗教学、はては教育学に至るまで、多岐にわたる諸分野で精力的活動していて、その一つとして「プログマティズム」を世に広めた人物でもあります。

 さてさて今回のテーマは「情動とは?」にようやく入ろうかと思います。あまり聞きなれない言葉かもしれませんね。このジェームスが1894年『情動とは何か』”What is an emotion?” と題した論文を出しており、まずはその訳文から

 驚き、好奇心、歓喜、恐怖、怒り、官能的欲望、どん欲、そのほかは、そのまま、その人物が、とらわれている心的状態の名称である。身体の動揺はこれらの幾つかの情動の「表明」、「表出」、「自然の言語」であると言われ、またこれらの情動それ自体は、内側からも外側からも強く特徴づけられており、「標準的な情動」と呼んでもよいであろう <中略>
 「標準的情動」に対する我々のふつうの考え方によれば、なんらかの事実の心的知覚が「情動」と呼ばれる心的な受動 (affection)を喚起する、そしてこの後者の心的状態が身体の表出を引き起こす。 しかし私の理論では反対に、身体の変化は喚起的事実の知覚に直接引き続いて起こり、そしてそれらの身体変化が起こるときに生じるその同じ変化の感覚 (feeling) こそが、「情動」なのである 。(訳:宇津木成介2007 神戸大学近代発行会から引用) 


としています。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」いわゆる感情の末梢起源説といわれるもの、起源説の難しい話はさておき感情と身体との関連性の中、「情動」という言葉の持つ意味があると想起されます。また別の研究論文において、

「感情」「情動」について、感情には、その当人にしかわからない主観的側面と、外部から観察可能な側面があり、後者は感情に伴う自律神経系の活動の変化やその他身体的変化、あるいは感情が生じている時に示す行動を通じて客観的に捉えることができます。自然科学の対象として感情を取り上げ、客観的に捉えることができる、感情の下位概念としての「情動」を研究することになるとしています。(二木宏明(東京大学名誉教授)理研の神経回路メカニズム研究グループ情動機構研究チームの寄稿特集『情動のメカニズム探求』から引用)

「心理学」における「情動とは?」論を進めていけばいくほど、どんどん迷宮に迷い込んでいくような気になってしましますが・・・。(笑)「こころの機能的意味」「こころの動きの科学」としての心理学、この前提を踏まえてこその社会心理、組織心理。「情動」をいかに定義し、理解するかはある意味「出発点」そして「ヒト・自分の原点に遡る」取組。2021年の初仕事としてブログに書き残させていただきます。

当ブログを展開する「カンテレHRアカデミー」の本稼働のまもなくスタートさせていく予定です。こちらの方もよろしくお願いいたします。

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