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言葉で武装しない人
わたしが思う強い人。言葉で武装しない人。
わたしがよく、言葉で武装をしてしまうからそう思うのだと思う。
武装する、と自分で書いておいて、
この感覚を人に説明できる自信があまりない。
言葉と思考は切り離せないから、
わたしはしんどくなってしまうといつも言葉に頼りきりになってしまう。
無理に、前向きにしてしまうのだ、いつも。
誰にも向けない自分だけが見るノートであっても、
パスコードをかけた絶対に人に見られたくないような日記であっても、
最後は前向きにしてしまうのだ。
落ち込みきることが怖いし、
しんどい時間が多いのは辛いし、
だから前向きに締めくくってしまう。
自分のその前向きさがいつも受け入れられない。
ああ自分、また言葉で武装しているな、と
もう1人の自分が冷ややかな目で見る。
かといって、いつまでもうじうじしていたいわけでもない。
感情を感情のままに、
そのまま受け入れている人、すてきだなと思う。
良いとされている感情も、悪いとされている感情も、平等に扱う人。
全力で楽しんで、全力で喜んで、全力で怒って、全力で悲しむ人。
喜怒哀楽の「怒」と「哀」もきっと、
平等に扱ってもらったら喜ぶのだろうなとも思う。
「怒」が喜ぶとか意味不明であるが。
言葉は、
武装するためにあるのではなく、自分を表現するためにあるのだよな、と思う。
自分を守るためではきっとない。