1人反省会って多分傲慢だ
最近ぼんやりと考えていたこと。
上手く言語化ができず、「これはなんなのだ」とずっと霧がかった頭の中の視界が、
今日になって
「ああ、こういうことだ」と一気に開けた。
「1人反省会」という言葉がある。
わたしもよくやるので、この言葉を最初に使った人の気持ちがよくわかる。分かりすぎてちょっとつらい。
今日やってしまった余計なこと、言わなければよかったこと、言い方を間違えてしまったこと。
その時の相手の反応までセットで何度も脳内で再生し、鮮やかな記憶(そしてそれはおそらく大抵の場合は、盛られている)として今日にこびりつく。
でも、もしも相手の反応が違ったら。
マイナスな反応ではなく、なんか明るい反応だったら、
言わなければよかったことも、言い方を間違えてしまったことも、やってしまった余計なことも、
言ってよかったこと、やってよかったことまではならずとも、1人反省会が開催されることはないはずだ。
相手の反応で、自分の言動の良し悪しが決まるのなら、この世界は難しすぎる。
100人いたら100通り近い反応があって、感情があるのだから。
相手の反応は、自分の行動の答え合わせには全然適さない。
なんだかそう考えたら、1人反省会の時間って結構無駄じゃない?と思えてくる。
1人反省会、といいつつも1人じゃないのだ。
後悔の裏には、相手がいて、その相手も一定ではない。
その日の気分や、その時の疲労度、抱えている問題。相手の中のいろーーーーんな要因が複雑に絡み合っているから、同じ人物でも毎日同じではない。
そんなことを「1人」で勝手に抱えて落ち込むのは、1人反省会ではない。
「相手に合わせた最適解が出せなかった自分を責める会」だ。
こう言い換えると、いかにわたしは複雑すぎることを考えようとしていたのだ、とバカバカしくなってくる。
相手の事情を考慮せずに、1人で反省だなんてきっと傲慢だ。
「不快にさせたかなあ、こう言えばよかった」と反省して落ち込むことは相手のことを考えているようで、あまり考えていない。
相手のことを本当に考えるなら、相手には自分の想像できない範囲があることをなるべく想像して、
だから自分も落ち込まないことだし、
その出来事を今日にこびりつかせないことであるような気もする。
自分の行動を振り返ることってなかなか難しいから、相手の反応を答え合わせにしてしまいがちだけど、
そうじゃないもので自分の行動を振り返れたらよいのだろうなと、つくづく思う。
わたしは全然できていない。
友人が、会社でとても仕事ができる先輩に、
「あなたってすごく頑張ってるよね。本当はもっとガツガツ仕事したいタイプでしょ?笑」と訊かれて、
「え、そんなことないですよ!わたしなんて、パワハラされたら一瞬でやめようと思ってますもん!笑」と冗談混じりに返したら、
その先輩は爆笑していたそう。
こんなとき相手の反応を答えにしたら「なんか面白いこと言ったわ」ときっと反省の「は」の字も出てこないだろうが、
友人は家に帰ってから「失礼なことを言った」とかなり落ち込んだらしい。
笑い話として聞いていたが、「そういうところすごいなぁ」と思った。
きっと相手の反応を答えにせず、自分で行動を振り返るってこういうことだ、と思った。
ここまでは多分わたしにはまだできなそうなので、とりあえずまずは、1人反省会をやめようと思う。