市民のためのスカイウォーク Skywalk for Citizen #7
続きです。ちなみに輪読順はこの回が初回です。
T 今日(2021.3.7)は、第7章 ヨーロッパの奇跡を取り扱います。
K 昔の資料集には、世界システム論は多分載っていないと思うけれど、
T 載っていないというか、記憶にないですね。
K それが今は、環大西洋貿易というのが載っている。
Y 世界システム論は阪大の世界史で出題されるという、フレーズだけは聞いていた。
K そうやな。とりあえずどうぞ、感想を述べてください、なのか、どうする感じ?
Y 前半部分で少しぼくの記憶違いとなった部分があったけれど、p147で、囲い込み運動ってぼくのイメージでは、産業に従事させたいから農民を追い出すみたいな感じだったけど、テキストでは農業を保護するみたいな記載があって、第一次と第二次でそんなに違いがありましたっけ。
K 第一次が羊毛生産のため、第二次が都市に集中する労働者を支えるため、食料生産を行った。資料集では比較されて載っています。
T 穀物の生産のために、賃金労働者を囲い込んだということが、そのとおり書いていますね。
K 第一次はトマス・モアのユートピアで「羊が人を食い殺す」と書かれていた方で。
T 思い出すことができました。
◆環大西洋革命の理念と経済
Y 環大西洋革命は、こういう表現はなかったけど、市民の王権打倒というイメージで良いの? 「この支配からの脱却」という表現をした方が良いかもしれないけど。
T 尾崎豊かよ。
K 卒業やな。
Y 脱却が離れた地域で同時多発的に起こったことが18世紀の特徴であると。
T わたしの理解は、環大西洋という言い方をしているけれど、大陸の方と、新大陸の方で性質が少し違うような気はしました。新大陸の方は、大陸に搾取されていることへの対抗として生じてきているけれども、ヨーロッパは市民の権利意識の高まりという、より理念的な部分、経済的な部分よりも理念的な部分で成立してきたと思っていた。いや、でもそれは一緒なのか。ヨーロッパの方も経済的な締め付けで、身分制が揺らいだことで革命が生じたと捉えれば、それらの性質が一緒だから環大西洋革命でひとくくりにしているということなのかな。
K そうやね。高校レベルで教える話で言ったら、離れた場所でたまたま同じような市民革命が起こったのは偶然ではなくて関わりがあるということを教えるようにしている。コシューシコとかラ・ファイエットを覚えている?
T ラ・ファイエットは覚えている。コシューシコは・・・名前は覚えているな。
Y ポーランドやっけ。
K そう、ポーランドの人で、アメリカ独立戦争に参加して、そのあと地元のポーランドでも、ポーランド分割の時代に、そういう搾取に対して反乱を起こしたのがコシューシコ。ラ・ファイエットはアメリカ独立戦争に参加したあと、フランスに戻ってフランス革命を率いていく。そんなふうに、環大西洋間の離れた地域の革命は、人の移動によって考え方や理念も一緒に移動しているから、関わりがある革命だと教えている。
T 基本的には戦争をやり過ぎて税制が厳しくなったというところなのかな。
K アメリカ独立戦争が起こったきっかけはそれになるけれど、なぜ環大西洋革命と括ろうとしているかというと、グローバルヒストリーとか、グローバル化の進んだ時代で、阪大で秋田先生とかが好きなテーマだけど、その特徴は貿易や人の移動だけど、人の移動や物の移動は過去の革命を捉え直す上でも関わっていることを示すため。
T 現代に引きつけた教訓にするためにか。
K グローバル化の始まりを見いだすことができますね、という。
T アメリカ独立戦争はイギリスの戦費確保のために増税したことがきっかけだし、フランス革命も増税がきっかけになっている。
K 教科書の構成でも、環大西洋革命の直前の単元が、第二次英仏百年戦争になっている。これでお互いに戦費がかさんだ結果、経済的な見方で革命を捉えるならば、イギリスは植民地で何とかしようとして植民地で革命が起き、フランスは国内で締め付けて国内で革命が起こりました、みたいな。
T そうそう、その理解はかなり分かりやすいよね。その流れで言うと、新大陸のハイチが独立した話とかは、増税というよりは、第二次英仏百年戦争の目的であった植民地の取り合いの、そっちの結末じゃないですか。戦争の手段のための増税に反発した革命というルートと、戦争の目的だった植民地の利権争いの結果として生じた革命とは、少し性質が異なる気がするけれども、それは同じコインの裏表だという感じはする。
K 経済的な背景を捉えるとそうなるけれど、環大西洋革命と括るためには、理念の共有の方が強調される。
T 理念の共有の方はOKです。人の移動や物の移動という観点は。
Y ハイチに関してはタイミングが一緒だっただけという説もありますけどね。
K 全部括ろうとすると、違う面もある。ハイチは独特ですよね。クレオール革命で括るにもなんだかヘンだし。
Y ハイチはめっちゃクイズに出てくる。
K クイズ?
Y 1804年1月1日に・・・まで問題文が出たらそこで答えられる。
K クイズ研究会?
Y みんなで早押しクイズっていうクイズアプリ。
T ぼくらが高校の頃やっていたマジックアカデミーみたいなやつでしょ。
Y 今の高校生は多分やっているとおもう。
T 世界史っていうジャンルがあるの?
Y 世界史はなくて、ノンジャンル。YouTuberのクイズノックが流行っているから、高校生は見ているんじゃないかな。
K メモっとこ。ウチのクラス、クイ研の子いるから。名前は新聞部やけど、実態はクイ研という集団。
T 環大西洋革命のまとめはそんな感じですか。
K 今は教科書にも太字で出てくる用語です。
Y ぼくらの時は18世紀の英仏の永遠の争いみたいな方がクローズアップされていた。
K ファルツから。
T スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争という流れだけど、このへんハプスブルク家だからYの話を聴けるなと思っていたけれど。
Y 残念ながらぼくが扱っていたのは17世紀までの神聖ローマ帝国だったので。
K 17世紀って逆に何がある?
Y アウグスブルク帝国議会のマクシミリアンの時代から第二次ウィーン包囲の終わりまで。
K カール五世で終わり?
Y トルコの脅威が出てくる。
K オスマン凄いなみたいな目線が出てくる。
Y そう。オスマンヤバすぎて国まとまらないと死ぬくない?という。
K それで多民族だけど頑張った、みたいな論文ね。
Y 論文の第一文が「神聖ローマ帝国は啓蒙思想家ヴォルテールによって『神聖でなければローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない』と評されているが、そんなことはない。」って書いたから。
K そうなん。ヴォルテールを批判していく感じ(笑)
Y それは言い過ぎだろ、せめて国であったことだけでも認めていきましょうよっていう論文だったので。
K 死亡診断書とは言わせないみたいな。でも17世紀の神聖ローマ帝国ってもう死亡診断書書かれているやん。1648年でな。
Y 出ているけど、イギリスやフランスみたいな中央主権的国家ではなかったけれど、連邦的な国家として成立していましたよね、国ではあったよという話。教官に「よく無理矢理まとめましたね」と言われた(笑)
K 難しいことをしたな。
T 第一次ウィーン包囲が1529年、第二次ウィーン包囲が1683年。
Y そこまで。
T 16世紀から17世紀の神聖ローマ帝国ってことね。
Y 「神聖ローマ帝国の国家的機能 対トルコ政策と関連して」というタイトル。
T それでウィーン包囲か。だからウィーン包囲の話なのね。
Y 第二次ウィーン包囲でトルコを打ち破ってからもう脅威ではなくなったから、ようやく神聖ローマ帝国、オーストリアハプスブルクの国内に特化できたという時代。
K 国内は第一次の時代から宗教革命が起きてちらかっているもんな。そのあたり授業したけど捉えどころがなくて苦しかったわ。資料集の人物関係図を見せながら、宗教改革として捉えたり、フランスとの関係で捉えたり、プラスしてスレイマンも噛んでくるみたいな。このあたりやな、Yの論文の前半は。第一次ウィーン包囲がスレイマンだから。
Y スレイマンとフランソワ。どこに行ったんだろうあの参考資料は。
◆第二次英仏百年戦争と常備軍と徴税
T 最初の節、財政軍事国家というキーワードを書いていて、財源調達能力こそが国力だったのだという視点は面白かった。『英仏百年戦争』佐藤賢一という本を読んで、ジャンヌ・ダルクとか黒太子が有名だけど。
K ああ、第二次英仏百年戦争じゃなくて、15世紀の第一次の方ね。
Y クレーシーの戦い、オルレアンの攻防ね。
T 前半戦の最後くらいに、シャルル五世というフランスの王が居て。
Y 記憶ある。
K シャルル七世じゃないの?
T シャルル七世はもう15世紀に入るんじゃない。シャルル五世は14世紀末。
K ジャンヌ・ダルクによって戴冠を出来た人?
T じゃない。違う人物。
Y じゃあ記憶違いだ。
T 戦闘行為自体に関わっている人というよりかは、1364-80、ヴァロワ朝の、ジャン二世の子どもですね。世界史の教科書ではあまり顧みられていない人物かも知れないけれど。
K 顧みてないな。
T ジャン二世が戦闘狂みたいな人で、単身イギリス部隊に乗り込んで捕虜になってしまった。
Y 愚かな。
T だからジャン二世のことを「最後の中世人」と呼んだりする。
K そういう騎士道みたいな。
T シャルル五世のことを「最初の近世人」と呼ぶ。身代金を払わないといけなくなって、身代金のためという名目で課税するんですね。それまでは絶対王政じゃなくて、議会(三部会)が課税・徴税権を持っていたけれど、君主の助命・奪還のためには王が課税・徴税権を持っておくことが重要だろうということで、課税・徴税権を取り返したと。
それによって常備軍を持つようになった。というのも第一次百年戦争期は傭兵団が主な戦力だったけれども、小規模な戦闘行為をやったり休憩したりを繰り返していると、休憩期において盗賊化してしまい、秩序が乱れてしまうので、それで常備軍が論理的に必要になって来て、常備軍を支えるために税制が必要となる。それをジャン二世の捕虜事件をきっかけに王が得るようになったと整理できる。
けれども、百年戦争がいったん中断した時期に、かりそめとは言え平和が生じたのならば、そんな重税は要らないのではないかということで反対一揆が起きるようになってきた。それで税制が廃止になったという話がある。
だから第二次英仏百年戦争期は戦争が常態化していて、常備軍の必要が生じてきたから徴税が求められるというロジックで政策が進んでいったけれども、そこで第一次と第二次で何が違ったかというと、そこで国民国家という概念が導入されて、第一次ではまだ国民国家という考えが希薄だったので、戦争もしていないのになんで領主様にカネを払わないといけないのだという意味で一揆になったけれど、第二次の方は植民地利害と密接に関連して、国家として統合して貿易的な利害を保障してもらうことが重要だったからこそ、常備軍を保ってそのために徴税することまでが市民たちにとって合意できる政策になっていったのかなと思っていました。
まとめると、実は第一次英仏百年戦争期においても徴税と常備軍という試みはされていたけれども、そこに国民国家というロジックが足りていなかったがゆえに頓挫したという、シャルル五世は早すぎた近世人だったのだ、という話なのかなと。
K それは面白いな。
Y それを聞いて思い出したんだけど、卒業論文を書くに当たって、国家の統合の要素の一つとして常備軍というのを入れたんですよ。常備軍のために皇帝がトルコ税を導入して各諸侯から徴税した。それによって皇帝と各諸侯の一体感が醸成されたというのを一つのファクターとして入れたので、徴税、常備軍、国家統合というのは一つのまとまりとして考えられると、聞きながら思いました。
T よかった。わたしの視点は合っていた。
K 視点は概ね。ただ国民国家という概念は少し早い気がする。国民国家の意識はフランス革命を経て。
T ナポレオンの侵略を経て国民国家という概念が生まれた、ということか。
K だから国民と言うより、ブルジョワジーが納得できたということなのかな。
T 課税・徴税権がなぜ納得されたのかという理由として、国民国家に全てを帰着させると言うよりは、貿易を保護するという国家の機能が求められるようになったこと、そうよね、基本的に重商主義というのは、貿易を保護するって話だもんね。「植民地からの搾取という構造を維持し強化する」という目的に適っていたから、国家によるそういう政策をブルジョワジーたちが支持したということか。
K そうやな。国民とひとくくりにするのは、歴史ではよく怒られる。
T 論述問題の添削をされているようだ。
K 第一次英仏百年戦争のときに重税で一揆を起こしたのは農民やんな。ジャックリーの乱のことでしょ。
T そうそう、ジャックリー。
K だから農民は結局第二次英仏百年戦争期においても徴税には納得していないと思うけどな。けどブルジョワジーが納得したから上手いこといったという感じか。
T 第二次英仏百年戦争期における税制は、農民たちの直接税と、ブルジョワジーたちは消費活動において間接税を納めると思うけれど、どちらが主体だったのか。
K それはイギリス、フランスどっちの話? 税制はちょっと違うかも。イギリスはあんまりヒエラルキーな社会じゃないけどフランスはめっちゃヒエラルキーだから、ブルジョワジーと農民を区別した方が良い。三部会もフランス革命期には止めているし。イギリスは議会が止まっていなくて、税をどうするかは市民が参加する議会が決めているから、税に対して怒っているのは、議会に代表を送っていない植民地の人たちが怒っている。けれども、フランスは議会じゃなくて国王が徴税しようとして、それが商人や市民階級が納得しているときはよかったけれども、納得できなくなったときに革命が起きたということになると思う。
T 徴税権が議会にあるか王権にあるかによって、正統性が少し異なるということね。
◆国王たちのお菓子とシュレジエンの石炭
Y フランスはイメージで言うとイギリスに近くて、国全体から近代化していったのかなと思っていたけど、それを聞いていると国王が主導的に税制を変えて行っているのは、啓蒙専制君主に近いのかな。
K そこまで言うと乱暴かも知れない。テキストには科学革命のことを書いていたけど、当時両方の国で流行っていた哲学的なことも、17~18世紀の文化とからめて教えていて、イギリスは経験論で、フランスは大陸の合理論やんか。だからフランスの方が啓蒙思想寄りではある。
これは倫理の教科書だけど、まず経験論と合理論を思い出していただいて、文化も名前を覚えておしまいではもったいないから、背景を言うようにはしている。イギリスは一足先に名誉革命をすませているからフランスよりも一歩進んでいて、ジェントルマンのような市民階級が17~18世紀に発達している中で、現実を見て便利なものを追及することを重視していた。イギリスのそういう姿勢が科学革命に繋がって、産業革命に繋がっている。
一方で大陸のフランスでは一歩遅れて、相変わらずユグノー戦争とか宗教戦争を依然としてやっていて、そんな中で理想や理念を追及されていって、最終的にフランス革命で、宗教対立ではなく国民国家を作っていこうという流れに辿り着いた。イギリスとフランスは根本的にそういう違いがあるから、第二次英仏百年戦争の後の流れも異なっているということかな。
T フランスのルイ14,15,16世あたりの絶対王政の君主のことを啓蒙専制君主と呼べるかどうかという観点はどうですか。
K 呼べるかどうか、啓蒙はしていないのかな。似ているけど。プロイセン、オーストリアやロシアも市民階級が育っていないから上からの近代化になったという意味では。
T でもなんとなく言えないような気はする。でもそれをどう説明するのか。
K 無理矢理説明するなら、世界システム論でヨーロッパは、西ヨーロッパと東ヨーロッパで分けられて、西ヨーロッパ地域は大航海時代以降、海に出やすかったから環大西洋貿易で利益を上げやすかったけれど、東ヨーロッパは地理的にそれが難しかったので、結局貿易や工業化に力を入れる西ヨーロッパに対して、それに従属して食料を供給する側に落ち着いていく。そんな中でフランスと東ヨーロッパ諸国には大きな差があったという説明になるのかな。
Y プロイセンのジャガイモってことね。
T フランスは啓蒙されるまでもなく市民階級が育っていたということ?
K それもあるかな。君主が啓蒙しなくても貴族がサロンを開いていたりした。でもフランスと東ヨーロッパを分けるとすれば世界システム論で説明する方が分かりやすいかな。
T 東ヨーロッパは西ヨーロッパの食料庫になった。
K ポーランドは小麦を作っていますという。
Y 国王たちのお菓子だね。
T それはまたちょっと違うのでは(笑)食い物という意味では比喩的だけど。
K いや、繋がっているよ。そんな状況だから切り取られる訳で。
T そういうことか。穀倉地帯を得るために領土を取り合う。
K あとは炭田とかも。
T シュレジエンね。
K シュレジエンはオーストリアとプロイセンの間やけど。
Y オーストリアの大事なところ。
K ヘタリアな。
T 英仏第二次百年戦争ではシュレジエンが結構絡んでいますよね。
K 取り合っている。オーストリア継承戦争で取られて、七年戦争でやっぱり取れなかったという。結局オーストリアは喪った。
Y 外交革命。フランスとオーストリアが手を組む。フランスとオーストリアというか。
K ブルボン家とハプスブルク家が手を組む。
T 領土的な争いも、高校生の頃は何で取り合っているのか分かっていなかったけれど、シュレジエンには炭鉱があったというのを今回改めて確認できました。
K なぜシュレジエンが大切かというのをちょうどこの前地理の先生と喋っていて、シュレジエンは石炭だとなっているけど、石炭って18世紀当時本当に需要があったのかというのを。
T 確かに、それ疑問ですよね。
K そう、産業革命が本格化する以前なのに、なぜ各国がシュレジエンに注目しているのか。落ち着いたのが、石炭は古代から「燃える石」とかで認識はされていて、それ以前のヨーロッパは木炭がエネルギー源の主流だったけれど、この頃に木がなくなる。木がなくなって木炭が使えなくなったから、石炭を使うようになったという変化、エネルギー革命が、何故起こったのか。
T それテキストに書いていた。「増大する人口の食糧確保と、海洋帝国維持のための海軍艦船・商船の建造、さらに木炭による鉄の生産のため」ってやつか。
K そう、書いていたね。そんなんが背景で木炭から石炭になっていって、石炭を私たちはどうしても火力発電とか工場を動かすものとして捉えがちだけれども、そこまで使わないにしても、木炭の代替品として石炭を使い出していたから、石炭が採れるところが重要だったと。そしてそれがいよいよ産業革命に使われることになったら、さらに重要度が増したという感じ。
T 産業革命後の石炭の使われ方と、それ以前の製鉄における使われ方を、そんなに明確に分ける必要あるのかな。
K 分ける必要はないけど、量は。
T そうか、量の話として考えれば良いのか。でも結局燃料にしているという意味では一緒やんな。
K 一緒だけど、生活のための燃料、日常使いか、産業使いかみたいな感じ。
T 石炭は日常使いがメインということ? でも18世紀初めの時点でコークス製鉄法が開発されて、鉄の生産で木炭から石炭への燃料の転換が行われている。英仏第二次百年戦争はまさにこの時期ですよね。スペイン継承戦争が1701年だから。
ここの記述を読んでいて凄いなと思ったのは、めちゃめちゃ早いじゃないですか。日本の場合は木炭から石炭に移行したのはもう20世紀に入ってから、八幡製鉄所のタイミングじゃないですか。
K そうやな。
T 200年遅れている訳で。ヨーロッパではこの時点で鉄生産において石炭への転換が行われていたというのは凄く早いなと思って、その背景として森林の枯渇が言われているけれども、森林の枯渇って実は日本でも生じていて、『日本史の謎は「地形」で解ける』竹村公太郎という本で、関西地方の森林の枯渇がひどかったから、都を東京に移したという話がある。
K 何で枯渇したんかな。災害?
T 日本は建築物が木造だからヨーロッパよりもより森林の枯渇が生じる。
Y 都を移したというのは、東京遷都のこと?
T 江戸幕府開府のタイミング。関東は平野のように思うけれども、秩父からの木材の豊富な供給があったからそちらが都に選ばれたという。だから森林の枯渇だけが石炭への移行を促すのかと言われると、必ずしもそうではない気はした。ただヨーロッパでは実際にそれが生じているので、かなり早いなという気はした。
K ホンマやな。早いな。
T 鉄自体が結構早くに技術革命しているよね。産業革命以前に、コークス製鉄法が開発されている。
K わたしは産業革命というと綿織物のイメージが強いから。
Y そうやね。紡績。
K 綿織物しか頭になかったから、製鉄のタイミングを言われると、ホンマやな、じゃあ別にシュレジエンの必要性を産業革命以前と以後で分ける必要はないのか、という気持ちになった。今。
T 海軍艦船・商船の建造に鉄が使われるようになっていたということ?
K そうなん? わたしはこれに木材が使われるようになっていたという話かと。
T そうか、こっちは木材を使っていたのか。じゃあ鉄は何に使っていたの? 18世紀初めに鉄の生産をして。
K 何に使うんやろ。
Y 鉄はヒッタイトから使われていますから。
T それで言うと鉄自体の素材としての歴史は古い。
K 鉄がどうユーラシアを渡ったかみたいな話はちょっと前のNHKでやっていたな。アイアン・ロード。
T 当時は一般的には農機具とか鍋とかの生活什器には使っていたけど、産業化は別にしていなかったという次元で理解しておけば良いのかな。
K 鉄が貢献したと聞くとやっぱり農業の発達というイメージはあるな。中世の農業が鉄のおかげで進んだとか。船はまだ木だと思う。蒸気機関が出来てきたら鉄も要ると思うけど。
Y 中世ならまだ騎士の鎧、騎士のプライドのための需要も分かるけど。
T あー、武具、防具か。
K あ、それかも。武具だったら鉄砲、大砲も出来てきているから。しかもそれをアフリカに輸出して、代わりに奴隷を連れてくる貿易をしているから。鉄は要るな。結局やっぱり三角貿易やな。
T 結局そこに帰着する。貿易製品として鉄があったのではないかと。
K それな気がしてきた。アフリカに送ったら売れると思う。
T 鉄生産のための石炭需要は今の貿易の観点で理解しつつ、p148は「大消費地ロンドン」って書いてあるから、当初言っていたように日常使いという石炭消費路も当然並行してあるということか。
◆気候変動史、科学史への視点
Y 森林の枯渇と聞いてヨーロッパだとまずシュバルツバルトが思い浮かんだけど、あれは酸性雨だから。
K シュバルツバルトを採り尽くしたら凄いな。
T 時代はいつ?
Y 酸性雨と言われ出した最初が20世紀で、実際は酸性雨じゃなくてただ単にアルプスからの寒い風だったという。酸性雨では枯れないらしい。
K そうなんや。
T アルプスからの風で枯れるんだったら、それもっと前の時代から枯れているんじゃないの(笑)
Y アルプスからかどうか忘れたけど、寒冷な風のせいだったという。
K それなら、17世紀の危機はあかんかったんちゃうん。17世紀も寒かったから。
T 17世紀も寒かったのか。14世紀といい、気候変動すると危機になるんだな。
K 最近は資料集に気候変動のグラフも載っていて。
T あー、そういう話になるよね。17世紀凄いな。すごく寒い。
Y 横軸の温度が分からないけど。
T 相対性でしょ。真ん中がゼロ。
K 寒さを伝えるならば、17世紀はテムズ川や、ヨーロッパの大河もけっこう凍っていた。河川交通というと運河を船で行くという感じがするけれど、北欧で切り出した木材を橇に乗せて運ぶとかそんな状況もあって、「橇の道」という言葉が去年のセンター試験に登場した。
T テキストでも運河という言葉は出てくるけれども、それは必ずしも水運とは限らなくて、橇かも知れないということか。
K 18世紀はもう溶けているのかな。
Y テキストが書かれたときはまだ凍っていたみたいな話は言われていたのか。
K わたしが大学生だったときに、革命は気候と関係しているみたいなことは藤川先生は言っていた。多分昔から学説はあったけど、市民レベル、高校世界史の教科書にも載るようになったのは最近だと思う。
T 最近『奇書の世界史』三崎律日を読みまして。YouTuberがこういうテーマで動画をアップしているのを書籍化したらしいんだけど。
K 何それ。どんな奇書?
T 魔女に与える鉄槌とか。台湾誌とか。
K あ、ヴォイニッチ、出た。
Y ガチだった。
T わりとライトに書いてあるんだけど。やっぱり魔女が流行ったことの理由というのが、14世紀の危機というか、小氷期、ヨーロッパを中心に世界的に寒冷な気候が続いたことや、ペストの流行とか、そういった要因で「人々は病に倒れ、寒さに弱い小麦や葡萄などの作物が次々と枯れていく中でその様はまさに終末と呼ぶに相応しく、先行きの見えない不安が蔓延していました」とあって、そうだったんだろうなと。だから気候が社会不安に与える影響というのは大きかっただろうなと思っていました。
この本は他にも色々書いてあって、『台湾誌』という奇書がこの時代の刊行で、「おれは台湾からやってきた人間なんだ」っていう設定で台湾の博物記というか、社会情勢とか植物相とかを書いて、イギリスで出版して、一大センセーショナルを巻き起こしたペテンがあるんだけど。
K ペテンかい。でもこの時期、博物学とか植物学というのが非常に。
T そう。博物学の流行と、グローバル化によって色々な土地に行くようになったという二つのトレンドに乗っかった台湾誌という書物が成立したと。その本がロンドンの上流階級で話題になってエキゾチックな関心が示され、市民たちがみんな騙されるんだけど、やがてニュートンにそれがバレて。当時ニュートンは王立科学アカデミーとかをやっていたけれど、「これホンマ? 台湾の地下の部屋に一日に何時間くらい太陽が差し込むのか」みたいな”正解のある”質問をされて、答えられなくてペテンがバレるという話だったらしいんですけど、台湾誌という本が成立したのはこの時代らしい感じがした。
Y なるほどね。
K それすごい結びついているよね、いま読んでいる章と。この頃のイギリスでは、自分たちが世界に進出したことによって書かれるようになったタイプの小説がいっぱい出ていて、『ロビンソン・クルーソー』とか『ガリバー旅行記』とか。ガリバーには日本が登場して、世界史の中ではこの頃ヨーロッパ人が日本をどのように認識していたのかのよい材料ですという紹介をしている。鎖国していることとか、ガリバーが「踏み絵は勘弁してください」と言ったシーンがあるとか。踏み絵をやらされる国だったという認識だった。
T 確かに、ヨーロッパ人からしたら自分たちの文化がどうやって受容されているかは気になるよね。
K そういう日本との関わりを最近は教えるようになった。ただ単に同時代の人物を紹介するだけじゃなくて、日本人がヨーロッパをどう思っていたとか、ヨーロッパが日本をどう思っていたとかで、大黒屋光太夫とかガリバーとかの話を教科書にも載せている。
T それはテキストの序章にも書いていますね。「日本史は世界史と独立に存在する訳ではない。」という熱い気持ちが。
K それが歴史総合という科目で実現します。1~2年後に。
T 世界史AとBが統合されるの?
K 世界史Aと日本史Aが統合される。歴史総合という形で近現代史中心の。
Y なんで17世紀からしかやらないのかはずっと謎だった。
K 大航海時代以降がグローバル化の始まりとされているからかな。そのへん重視の。
T だから第一回にこの章を選んだのは正解だったと言うことですね(笑)一番分かりやすい章だったかも知れない。
K 捉え方の変化が分かる章だった。
T 雑駁な話だけど、インドキャラコは私たちにとってとても印象深い製品で、村治先生が世界史の最初の中間試験でインドキャラコを答えさせる問題を出して、正答率がすごく低かった。
K あった。
T そのときの村治先生の弁明はすごく思い出に残っているな。大ブーイングだったみたいな。
K 重要な語句だったということやな。
Y 何書いた?って言い合って、正解発表でキャラコって言われてハア?ってなった。
K 村治先生は多分インド好きやったよな。インドの独立のところやたら詳しく授業してはった。「チャパティを焼いて村々に配れ」みたいなタイトル。インドの大反乱の時の。
T そのとき単にハマってたんじゃないの(笑)
K そう、ハマってたと思う。チャパティを焼いて革命について伝え合った。
Y 懐かしい。その表現は覚えている。
K 今年の阪大の入試問題も確認してみて。「麒麟が来る」やで。
T 日本史じゃなくて世界史で?
K 世界史の問題で動物のキリンが出てきた。明の永楽帝の時にキリンが来るやんか。分かる?
Y 分かる。首が入りきらないから船の上の甲板部分を切って無理矢理輸送した。
T あー、鄭和とかそのへんの。
K そうそう。鄭和が東アフリカまで行って、友好の証にキリンがアフリカから運ばれてくることになるけれども、その意義を述べよ。
T その意義は、鄭和の話をすればいいわけ?
K 鄭和がそんなところまで行ったとか、瑞兆の証の動物が中国皇帝に献上されて権威を高めたとか、二面かかないとあかん。
Y そうなんや。すげえ、それ。
T アフリカ側は書かなくて良いの。この当時はモノモタパ王国とか滅んでるの。
K キルア・モンバサ・マリンディとか、東アフリカの港市国家について触れて、そうした地域から献上されたということも。
T そこまで書かないとあかん。
K ムスリム商人によってそのあたりに既にネットワークが構築されていて、そこに外部の人が乗っかったという話。
T ムスリム商人についても指摘。試験対策やってるみたい。
K ここから市民のための世界史を、後の章を取り扱っていくなら、ムスリム商人のネットワークについては登場すると思います。
【終】