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「創薬ベンチャーエコシステム強化事業」について考えてみる 2 未来

一つ前の項では経済産業省が実施している「創薬ベンチャーエコシステム強化事業」が必要とされる背景と、出回っている情報だけでは理解しにくい行間について解説した。簡単にまとめると、

  1. 日本は基礎研究力があるが、開発の仕組みを研ぎ澄ます努力が欠けていた

  2. 特に資金量が足りなかった

  3. 今になって資金だけを入れようとしてもうまく動き始めてくれない…

という状況だ。
この項では3000億円という規模や、その使いにくさを一旦忘れ、日本の創薬エコシステムのバラ色の未来、現実的な未来そして、残念な未来のシナリオを考えてみる。

未来を考える前提

日本の人口推計によると、30年後の2053年には日本の人口は1億人を割り9,924万人となる。高齢化率は高くなり生産年齢人口(を65歳までとすると)5,000万人強が健康に生活を続けることができる環境を提供することが、医療が経済を支える最も重要な課題となる。現状から見ると、総人口も生産年齢人口も2,000万人ずつ減る。
まず30年後の未来人の生活を想像してみる。大都市部でも2035年頃までには人口は減少に転じており、一部の人気都市を除くと学校の数は3分の2(0−14歳人口は1,507万人(2020年)から1,077万人(2050年))になるので、生活環境として都市部への集中が起こる。一部地方創生や移住促進で年齢構成の変革に成功した地方自治体も、教育と医療環境を提供する必要が出てくる。
就労を継続してもらうために、健康ポイントなどのインセンティブを活用して、ウェアラブル端末での管理が普及して生活習慣病などのマネジメントは加速する。糖尿病関連の疾患では人工透析センタービジネスよりも、ポータブルデバイスや代替の服薬あるいは、再生医療によって日常生活が維持できるようになる。がんはどうだろうか?バイオマーカーを主体とする若年層からの健診はコストの問題で普及は難しいが、ライフログがより現実的に活用できるようになり、現在では想像できないデジタルバイオマーカーが活用できるようになっているかもしれない。一方で希少がんや、健診から漏れてしまう一定数の人々については現在と同様の疾患は残り続ける。温暖化、グローバル化が進み、海外、特に東南アジアからの移民や物流が増加し、パンデミックだけでなく感染症対策は昭和初期の頃のように必要となる(マラリアの、デング熱の流行)。若年層でもこれまで想像していなかった疾病への対策も必要となる可能性がある。

タイムマシンで未来のヘルスケアを見てみると…

バラ色の未来

マイナンバーシステムが行き渡り、情報端末の普及により人々の生活データは全て情報インフラを通じて有効利用されるようになる。ほぼ生涯に渡るデータログの分析により、様々な疾患の発症予測が行われ、予防的な治療が一般化する。病院は健康管理センターとして定期的に訪問するクリニックと、高度医療が必要とされる特定の罹患者のみが訪問するタイプに2極化される。創薬は高度に効率化され、開発費用が激減し、N of Oneのような個別化された遺伝子治療薬も多く出回るようになる。製薬企業はブロックバスターを創出するタイプの事業構造から一変し、個別の患者マネジメントを提供する業態へと大きく変容し、米国の保険会社のように大規模なサービス提供を行う業態と、特定の疾患に特化して開発、販売を行う企業へと変貌する。大学の研究成果は常にBiotech企業やVCと共有され、適切な開発システムを経て製薬企業へアウトライセンスされる仕組みが確立する。高度人材の雇用と給与は維持されさらに、ライフサイエンスに強みを持つ研究機関周辺がより良い住環境を求める人々に人気のエリアとなる。健康寿命の延伸により、高齢者の定義が変更され、生涯で複数の専門性を持ち仕事を周遊するライフスタイルが定着し、「高齢化」が社会問題ではなく産業競争力にプラスに働くようになる。

現実的な未来

医療情報のインフラは一定の共通化は図られるものの、個人レベルでの同意とデータマネジメントサービスも普及する2層構造となる。データのやり取りには依然として個人の同意が必要となるが、データマネジメントのリテラシーが、社会生活を営む上で必要な個人のスキルとなる。製薬業界は劇的な業態変更を求められるため、いわゆる革新的医薬品の創薬とブロックバスターに依存したビジネスで雇用されてきた人員はリストラを余儀なくされる。IT人材がヘルスケア業界でも主役となり、健診で取得される生体データとデジタルのデータの相関についての知見や取り扱いの概念が劇的に成長する。ブロックバスターを創出するタイプの事業モデルは10分の一程度に減退し(それでも年間2−30程度はブロックバスターになる)、変わって患者層別化のための診断技術が治療選択肢として重要となる。新薬で病態改善することに加えて、既存医薬品が生体に与える影響、細胞内シグナルを管理する仕組みなどを駆使し、新薬だけでなく生体を取り巻く環境のマネジメントが可能となる。これは自動運転や物流などを通じた都市のマネジメントと同様の概念であり、分野を超えた概念を創出し、利活用できる哲学、数学に長けた人材がヘルスケア業界でも重宝されるようになる。

残念な未来

情報共有システムは個人情報保護の壁に阻まれさらに、欧州を中心とした大手IT企業の独占禁止の流れを受けて、様々なサービスが細分化され使い勝手が悪くなる。病院はサイバーアタックを回避するためにオンラインシステムの活用はごく限られた範囲で維持することとなり、各国は独自のシステムで国内事業者の保護と情報漏洩に対するセキュリティを強化する。IT企業の不況のあおりを受けて創薬開発へのベンチャー投資は冷え込み、新薬創出数は激減する。大手製薬メーカーは2010年問題は乗り越えたが、ブロックバスターに変わる高付加価値製品の創出やビジネスモデルの転換に失敗し、ヘルスケア業界は過去の栄光になる。ジェネリックメーカーが一時期は勢いを増すが、一部の希少疾患では供給コストの負荷に耐えきれず製造中止が相次ぐ。少子高齢化の影響が日本だけでなく中国や東アジアを中心に拡大し、自国市場に閉じた米国が一人勝ちの状況となり、高度人材の米国移民の歯止めが効かなくなる。国内の病院は高齢者の対応で疲弊し、生産年齢のための生活習慣病などのケアのみならず、小児、周産期医療が衰退して産業競争力が減退し、少子化が更に加速する。社会インフラを支える労働者の減少のあおりを受けて公共交通サービスが劇的に現象し、物価も高騰する。

医療の未来のブラックスワンは?

注目すべき変化の予兆

いずれも筆者の知識の中での妄想であり、読者のみなさんには異論も多くあると思う。強調したいのは、創薬産業は健康管理という社会のニーズにより深く関わるようになり、逆に社会からの要請も大きくなるという点だ。鉄道会社、電力会社などと同様に行政の介入を受けるし、今後は独占禁止法の対象となるかもしれない。ちなみに、ノーベル賞級の研究で素晴らしい成果が出て一気に特定の疾患が減る、と言うシナリオは書いていない。そういった現象は存在するとは思えるが、30年というスパンでは数回起こる事はあっても、産業構造には既に織り込まれている。1993年から2023年までのノーベル賞を考えてみると、人類全体に直接影響があったのは地球温暖化問題と、新型コロナウイルスワクチンだと言えるが、それ以外は人類の経済活動を徐々に加速することはあってもその影響が産業構造に変化を与えるには時間を要する。それよりも、TCP/IPのように情報革命をもたらしたきっかけや、同時多発テロやパンデミックのようにグローバリゼーションや人々の価値観に大きな影響を与えた事件などがヘルスケア産業に与える影響は「予測不能な事態」と言う枠で一定の社会構造変化をもたらすと認識しておく必要がある。

話を医療に戻すと、これらの環境の中で目を離せないのが、医療情報の活用インフラの状況と、医療システムの変革だ。今回は日本の国民皆保険制度の崩壊シナリオや、欧米の保健システムの大規模な変革には触れていないが、既に米国では医療費の高騰やオバマケアなど複数要因による平均需要の短縮が問題となっているし、日本では比較的好意的に受け止められている北欧の医療システムも当事者からは高額な税制への不満が聞こえている。一つだけ確かなのは、現状で満足している地域は一つもなく、必ず変わっていくということだ。事業上で感度分析をするにもパラメーターがあまりにも多いため、Netflixが劇的に業態変化を実現したように、あらゆる変化に耐えうる事業構造を持ち得るかどうかは継続的な事業運営の上で非常に大きな鍵であろうと思われる。

過去から現時点を確認しておく

もう少し針を戻して医療システムの特質について認識を合わせておきたい。バブルが崩壊していた1993年、そしてさらにその前に行動経済成長のただ中にあった1963年からの変化を振り返ってみよう。戦後政策の大きな柱の一つとして、国民皆保険制度を成し遂げた日本社会は、終身雇用制度と大企業を頂点としたケイレツの産業構造を構築した。衛生環境が劇的に改善したことで感染症による死亡が減ったが、脳卒中は手の施しようがなく、心筋梗塞も増えてきた。80年代になるとがんが死亡原因の第一位になり、さらに子供から社会人に至るまで社会的ストレスによるメンタルヘルスの課題も増大してきた。製薬企業は、戦後すぐは完全に輸入商社だったところから徐々に体力をつけ、海外企業との合弁事業を通じて先進的な製薬企業としての発展を遂げた。80年代には独自の研究機能を持ち新薬の創出能力を獲得した。同時に規制当局は欧米に比肩する3局の一つとしての立場を確立し、日本から海外へと医薬品をライセンスアウトできる体制が出来上がった。
我々が見ようとしている未来はこの延長線上にあり、決して一足飛びにバラ色や残念な未来に変化することはない。しかし、確実に変化する。

今から取りうる対策

そこでより具体的な変化の予兆のポイントを挙げておく。
1)製薬企業が積極的に医療情報教育に投資する:医療情報については専門性は高いものの、情報のオーナーシップは個々人の側にもあるのでむしろ「やるか、やらないか」という能動的な状況にある。実は歴史はそれなりにあるのだが、多くの一般市民にとっては「デジタルで管理される健康情報」はイメージ的に新しい概念であり、どうしてもネット上の声の大きい意見に左右されがちになる。この時に重要なのは「情報リテラシー」だ。以下に受益者である一般人に適切な医療情報を提供できるか?が鍵になる。今は情報産業の方からのアプローチで医療情報に関する教育が行われているが、上述の3シナリオいずれでも製薬企業は業態転換を図られると述べた。その先では最終顧客である患者が医療情報の取り扱いについての一定の知識がない場合、その購買活動についての傾向や打ち手が打てない。製薬企業はもっと医療情報教育に積極的に関わる必要がある。

2)細分化するニーズに対応した新薬開発と、新薬・既存薬の「使い方」開発:グローバルファーマも外面的にはプレシジョン・メディシンや、個別化医療の方向性は否定していないが、実際の収入の屋台骨はブロックバスターだし、開発の実態として患者層別化は希少疾患のためのツールというのが現状だ。過去30年間は、分子標的医薬の患者層別化のために、病理診断が発達し遺伝子パネル検査まで急速に診断技術が発達した。しかし、この診断技術の進歩は新薬創出が困難になりつつある今でも止まっておらず、治療方法の有無に関わらず臨床症状の定義ができるような技術が非常に増えてきた。これはAIの導入により加速しつつあり、画像診断、Liquid Biopsyだけでなく、体外分泌、表情測定、眼球の観察など、ありとあらゆる生体情報と疾患状況が結びつつある中、薬剤による治療介入という方法が過去のような打ち出の小槌という状況から変わりつつあり、新薬への期待というのは大きく変わって来た。がん治療の現場では既に遺伝子パネル検査の情報を元に分子標的医薬の複数投与が拡がっており、そこでは製薬企業が管理したい範囲を超えた薬剤の投与と効果効能と安全性情報が得られつつある。臨床現場が製薬企業の意図した方向と異なる医薬品の使用方法を獲得しつつあるということだ。

「臨床現場の実態」を製薬企業が把握するのは、実は大変。

この状況を製薬企業は指を加えてみているのだろうか?国内では透明性ガイドラインによる情報統制や、市販後の安全性調査と開発業務の切り分けのために、この手の臨床現場での情報の取り扱いが進まないことが多い。しかし、そういった自ら作ったルールに縛られて前に進めない状況を超えて、複数の医薬品の投与や臨床試験で想定していなかった投与方法の存在を、AIを活用して開発業務へフィードバックするシステムの開発が期待できる。そしてこの手の臨床現場の情報と臨床開発のループの行き着く先には、これまで経済的な費用対効果のために困難だった「ドラッグ・リポジショニング」が一般化するという可能性が広がっている。

3)ファイナンスの動機の変化に対応する:既に人生100年時代となっている今、健康に対する価値観は高まっている。かつて独裁者が不老長寿の薬を求めていた歴史とは全く異なり、今では少子高齢化に対する労働生産性の維持と、経済を支える消費人口の維持という意味でかつて無いほど健康が経済に与える影響は大きくなってきている。公共政策としてのワクチン事業には過去20年ほど疑問符がついていたが、パンデミックは改めてその価値を正当化してしまった。モデルナはがんワクチンの開発を止めることは無いだろうし、今後、製薬業界は命の危険から人々を救うというミッション(ある意味、高額医療は「命の値段」だった実態)から、健康に仕事を続け幸せな人生を過ごすためのサービス業へと変化する事が予想される。パンデミックを経て、少なくとも篤志家による寄付は医薬品が社会に与える影響を強く意識するようになっており、老化(Aging)研究へのIT起業家たちの期待は顕著な例だ。製薬企業の機関投資家への説明は「市場性」がメインであることは変わらないが、その市場における価値は”Life Threatening Disease"のち療法開発から、アンチエイジングや、健康マネジメントシステムに変わる可能性も見ておく必要がある。(※これについては大手各社の動向を確認する必要がるが、既にトップ数社はGoogle, Amazonを競合とみなした戦略を打ち出している)。

一般市民の情報リテラシー向上が、製薬業界の未来を作る?かもしれない

現状とのギャップ

これらの変化と、その対策を実施する上で忘れてならないのは、「製薬工業」としての医薬品の生産能力が根本にあるということだ。そして、そこにいる人材は上述のようなドラスティックな業態変換には向かないし、そんな必要もない。ある意味では生産能力を持つ商社として特化すれば、実はそれほど大きな変革は必要ないかもしれない。しかし、前項で指摘したように①Biotechという業態を確立して革新的な製品開発ができる体制を整えることと、②臨床現場と臨床開発(企画)をつなぐことのできるインフラの確立だ。そしてさらに③医療情報の理解につながる一般市民のリテラシー向上と、それを支える医療IT人材の育成には製薬業界がかなり積極的に取り組むべき理由がある。

まとめ

今回の議論は、外資系製薬企業関係者との話ではごく自然にでてくるような内容だが、日本の製薬企業関係者との議論ではその重要性はわかるが、自分事として話に乗ってくることは実はあまりない。そもそもグローバルファーマは従来の製薬業界からの採用よりも高度なIT人材の雇用を加速しており、逆にGoogle, Amazonもヘルスケア業界への橋頭堡は既に築いている。次項ではこれらの議論を受け、現在から未来への道筋について触れる。

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