岩城荘の思い出
今年は引越しを考えているのだけど、なかなか希望する家が見つからない。
東京に来て初めて住んだのは、大学から自転車で10分ほどのところにある岩城荘という古いアパート。大学の入学手続きをするために大阪から東京にやってきて、大学の共済部に張り出されている無数の下宿情報の中から、これかなと思った紙を係の人に持っていき、そこから大家さんに繋いでもらうというスタイル、だったと記憶している。
岩城荘は六世帯ほどが入居している大学生しか住んでいない(と思われる)木造二階建てのアパート。僕が住むことになったのは一階の角部屋で、岩城荘の庭もあった。めちゃくちゃ古くて大きな地震が来たら潰れてしまいそうな怖さはあったけど、家賃が4万だったか5万だったか相場よりも安く、六畳一間だけどキッチンが広くてプラス三畳ぐらいはあって、ワンルームにしては広い造りになっていたことが気に入って即決した。まあ、本当は鉄筋のマンションが良かったかもしれないが、ただでさえ大阪から出てきて私大に通いながら一人暮らしをするのに、これ以上の贅沢は言えなかった。
月に一回、岩城さん(おばあちゃん手前ぐらいの年齢)がやってきて、直に現金で家賃を払っていた。その時に何か困ったこととか、大学で何をやってるとか、軽い世間話をした記憶がある。敷金礼金も、更新料も無し。庭に面していたため、定期的に岩城さんが水を撒きに来ていて、それは僕の部屋の水道からひいているから、と年に一回5000円くれるという謎の習慣もあった。岩城荘の他の住人と顔を合わせたことはその後四年間、一度もなかった。一階の角部屋だったというせいもあるのだろう。
キッチンが広かったことと、お金がなかったこともあって、入居当初はよく自炊をしていた。アパートの近くにスーパーがあって、そこのレジをしている女性が可愛くて通っていたのも理由の一つ。そこで豚肉とキャベツを買って炒めたり、ロールキャベツを作って食べた。休みの日には餃子を作ったりもした。今考えたらキャベツばかり食べていた。大学生活の後半は勉強と演劇に忙しくなって自炊も減り、大学近くの飲食店で済ませるようになったけれど。
岩城荘は大学から少し離れていることもあって、よくありがちな、友達が入り浸るというような家ではなかった。仲の良い友達とかがたまに来る程度。見た目はボロくて恥ずかしかったから気軽に人を呼べなかったというのもある。トイレは和式なのだが、流すときは上からぶら下がった紐を引っ張るスタイルだった。上にタンクがあるのでそういう機構になっているのだが、紐を引っ張るたびにタンクごと上から落ちてくるのではないかという恐怖に怯えていた。当時ウチに来たことのある友達は「上から紐を引っ張るトイレだったよね」と今でも言われる。
大学を無事四年で卒業することになり、岩城荘を出ていくことになった。それから下北沢に引越して社会人生活をスタートさせ、いくつか家を変わって現在に至る。数年前、ストリートビューで岩城荘を見ようとしたら、既に取り壊されて更地になっていた。取り壊されたのか地震で崩れたのかは分からない。更地を見ながら、この辺がキッチンだったかな、ロールキャベツをよく作ったな、としばし学生時代に思いを馳せた。
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