98㎏から75㎏を目指すバンドマンの復活日記 その3 2日目の地獄
ダイエットスタート時で挫折するあるある
ダイエットは初めてではない。
今までたくさん失敗をしてきたし、その失敗のほとんどはスタートして1週間以内に挫折している。
まず、運動をしてトータルカロリーを減らす方法しか知らないので、ダイエットと言えば運動するということなんだけども、大体起こってしまうのが、走ったしちょっと食べよっかな~~、で結果カロリーオーバー。
このパターンが一番多い。
そして、3日であきらめてしまうパターンが初日から頑張りすぎて全身筋肉痛でしんどくなり、とん挫。というパターンだ。
で、まさに、今回のダイエットもおそらくピークで苦しいのは最初の1週間に違いないし、とにかく、甘えてちょっと食べようかなっていうのだけはカットするように心に決めた。
問題は、筋肉痛だ。
運動不足は瞬時に限界を超える
初日は「やるぞ」テンションが、そら、もう、マックスにある。
初めてギターをもった高校時代「Gコード」をポローンとならせたときみたいに何も邪念なく、擦り減らず、ただただ無敵のような状態。
それがダイエット初日。
恐怖は、2日目の全身筋肉痛だ。
ドラゴンボールの悟空がベジータ戦の最後ぼろぼろになって「鼻くそをほじる力も残っちゃねえや」と言っていた、あの感じだ(知らない人すみません)。
44歳のおっさん、運動不足10年のキャリア。
スカウターで戦闘能力をはかると、どれほどの数値がでることだろうか。「戦闘力…たったの5か…ゴミめ…」
そんな声が頭に響いた(ドラゴンボール例えばかりですみません)。
※関係ないけど、ダイエット始める前のゆるい動画
特に太ももはとんでもない状態になり、階段を上り下りするのに、一段一段転びそうになる。
社員も家族もこの時のボクの決意を知らないので、苦痛にもだえる姿をみて、とても冷たい反応があったような気がするが、記憶もぎりぎりなくらい、必死で1日を過ごす。
ここで鬼の後輩植田健一は、絶対に休んだりしないようにプレッシャーをかけてきた。
もし、今回ボクが痩せなかったとき、彼のストイックなキャラクターイメージにも傷がついてしまうのだ。
忙しい中、面白がって引き受けてくれたが、その気持ちにこたえるためにもここで折れている場合ではない。
本当に自分を鼓舞して、その日の夜、おうおうおうおう言いながら3キロのジョギングに出かけるのであった。
誰か救急車を呼んでくれ
3キロ走るってのは、学生時代、ちょちょいのちょいでできたわけで、もはやウォーミングアップの距離。
20年以上前の記憶が、この距離のことをなめてかかっている。
初日、あれだけ苦労したのに、喉元すぎるとなんとやらで、
「なんだっけ?3キロ?やったろうじゃん」
「やったろうじゃん」という関東弁(?)は、このダイエット企画において毎回危険な言葉なのだ。
意気揚々と会社を飛び出し、ジョギングスタート。
40分後、、
「ゼハー!ウハー!うげげげ!」
妖怪肉団子が汗でびしょ濡れになってゴール地点の会社1階に倒れ込んできた。
マラソンの起源は、紀元前5世紀アテナイなどの古代ギリシアの都市国家群と、アケメネス朝ペルシアとの間に起きた「マラトンの戦い」にあり、そのときの伝令が約40キロを走った後、絶命。
絶命。
誰か救急車を呼んでくれ~。
妖怪肉団子は、薄れゆく意識の中、1987年のアントニオ猪木対マサ斎藤の巌流島の戦いで観た「泡を吹いて絶体絶命の猪木」が脳裏に浮かんでいた。
「あの試合、どっちが勝ったんだっけな」
誰もいない深夜の会社でぽつり、おぼろげな記憶のプロレスの結果を思った。
致命傷ですんでよかったな。
動けだしたのは1時間後、まだまだダイエットは始まったばかり。
地獄へようこそ。