何故か1泊することになった釜山 その4
何故か想定外に1泊することになった昨年の釜山の旅の旅行記。かなり間が空いてしまいましたが、二日目の様子をまとめてみます。
(初日の行程は下記の各記事に)
https://note.mu/ktnh/n/n402bfbf9a2b7
https://note.mu/ktnh/n/n8865b22ca28a
https://note.mu/ktnh/n/ne7aa523481e5
ホテルの窓から、朝陽が射します。カーテンの向こうには、釜山の港。
本来は昨夕に、あのターミナルから船に乗って博多港へと向かっているはずだったんだぁ…と感慨深く見る、予定なら見ることのなかったはずの景色。ちょっと、トクした気分の朝。
なぁ~んて感慨に耽っている場合ではなく、午後には出国しなければいけない。あんまりのんびりしていると、どこへも行けなくなるぞ…と、支度してチェックアウトして、フロントに荷物を預けて出発。こういう時、駅のすぐ目の前の日本式ホテルは安心できます。東横インさん、お世話になりました。
さて、とりあえず駅前に出てきたけど、そこへどう行こうかな…。コースを考えながら、釜山駅前の中華街を歩きます。あ、その前に朝の栄養補給。I'm Real、韓国へ来ると飲みたくなるブランド。このキウイジュースが好きなのです。微妙な食感の種も、少し喉にひっかかるエグみも、リアルなキウイ。こういったジュースを手軽にチョイ飲みできるのは、いいよなぁ…と。
さて中華街は朝のうちは人通りもあまり無く、ささっと抜けて山手の住宅地へ。釜山は海の街であり、山の街でもあり、その「山の街」を、見たいと思っていたのです。
急坂の路地、あちこちにある階段、それらを見ながら入り組んだ路地を歩いていると、時々平衡感覚がおかしくなるような…。そういうときは出来るだけ水平な道を、少しの間歩きます。
あぁ、横断幕が街のあちこちに架かっているの、韓国っぽいよなぁ…と思いながら歩いていると、大きな肖像画が。こういうのも韓国っぽいよなぁ食堂とかにも店長さんや創業者の顔写真がデカデカと掲げられてるもんなぁ…って、これはこれで、また別の意味で韓国らしいモノでした(苦笑)。
さてキョロキョロと見て回りながらやって来たのは草梁小学校。この脇から、ストーリー、物語が始まります。
学校の横の路地。イバクキルと名が付いた通りは、物語の道という名の通り、釜山の街が「いま」に至るまでの物語が詰まった道。
その昔、この場所に、街はありませんでした。
漁村的な集落はあったのかも知れませんが、朝鮮王朝時代の街は、もっともっと北寄りの東莱にありました。今の釜山港近辺や南浦・チャガルチなどのエリアは日本・江戸幕府(対馬藩)の租界地(倭館)があり、他は小さな漁村が幾つか。それらが日本の本格的な半島・大陸への進出後に日本人居住地として市街化していきました。要は「日本人向けの場所」だったのです。
そして時が過ぎ、日本は半島から引き揚げます。日本人居住地は当然棲む人も少なくなり、また事業の引き継ぎなどもうなく行えないまま日本人が消えていくことになり、色々と混乱した時期を迎えます。
そして、朝鮮戦争が勃発。北に押されるがままに敗退する南側の軍、その戦火から逃れようとする多くの人たちが押し寄せたのが、半島の先端にある釜山の街でした。
半島全土から押し寄せてくる避難民は、棲む人も少なくなった日本人居住地に、またその先の山の急斜面に、身を寄せます。そして南北は分断され、故郷へ帰れなくなった人たちは失郷民と呼ばれ、釜山に残らざるを得なくなった人も、多くありました。
失郷民。もう「頼るところもない」人たち。でも、いま、命がある以上は、生きていくしかない。そう、生きるために…。
先ほども出した、この写真。これこそが、彼等「失郷民」はじめ「釜山で新たに生きていこう」とした人たちの、証なのです。
彼等は日本人が居なくなった空き地、そしてその上にある山麓に、棲みつくしかなかったのです。
そんな彼等の悲哀がこもった場所が、草梁イバクキル。急坂の街は、階段の街。風車まわり、ポップな看板で彩られている階段は、生きるために必死だった人たちの、苦労が染みこんだステップ。
波打つかのように上る坂道、これもまた、苦労の染みこんだ、波のよう。
そして、現れるのが、この階段。
168段あるという、長大な、階段。
生きていくため、暮らしていくため、昇り降りするしかなかった、長い階段。これを使うしか、なかった、168のステップ。
今は観光地化し、モノレールも付きました。階段から振り返ると、見事なまでの、釜山の「伸び往く」景色。
この階段を、いや他の坂も含め、生きるために昇り降りしていた人たちも、この光景を見ていたのでしょうね。必死に、暮らしながら。
168階段を上り詰めて尚、また坂が現れます。ここを登らないと、バスに乗れません。
ようやく辿り着いた、バス道。
망양로、漢字で書くと望洋路。その美しい名は、海を眺められる高台を貫く「希望の路」だからでしょうか。
望洋路は、山の街を、それこそ縫うように、つないでいく道。そして下界と結ぶ、バス道。斜面の街の交通を少しでも便利に、安全にすべく、後から敷かれた道。希望を乗せたであろうバスが、今も頻繁に行き交います。
バスは、斜面を縫うように進み、徐々に、下界へと降りてゆきます。その先は、国際市場。今でこそ近代的な市街だが、ここもまた、市民の苦労が、集まった街。
(つづく)
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