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何故か1泊することになった釜山 その1

それは、この連絡から始まりました。

 昨年の夏、福岡での会合に参加するため移動を検討していたところ、LCCで釜山へ飛んで夜行フェリーで福岡入りするのと新幹線の運賃・料金がほぼ変わらないことから、それなら釜山経由で…と組んでいたもの。出発前日に、行程崩壊と相成りました(苦笑)。
 トランジット的な形で午後の6時間ほどの滞在を予定していた釜山ですが、飛行機は12時前に到着、欠航となった夜行フェリーの振替は当日16時前発か翌日同時間の高速船ビートル号。当日16時前発だと、乗船手続きなどを考慮すると市街での滞在は2時間程度。さすがにそれは…ということで翌日便に振替え、急遽釜山で1泊することに…。

 ということでスタートは予定通り関空からLCCでの渡航。今回は海外系LCCなので第一ターミナルからの出発。となれば、あれを見ておかねば…

 ありましたありました、コンビニで買える炊飯器w
 搭乗ロビーにあるファミリーマートなのですが、免税品販売も行っておりペットボトルやおにぎりが並ぶ棚のすぐ前に、鎮座ましましておられます。買う人、いるんやろか(苦笑)。
 さて関空の定番ネタ拾いもそこそこに、搭乗し機内の人に。ジンエアーは初体験、大韓航空系のLCCでシートピッチはLCCの標準的なものでしたが座席は布張りで、テーブルの注意書きも一部が劣化していたので大韓のお下がり機体でしょうかね。水が無料で配布されたのは、ちょっと嬉しい。

 関空から釜山なんて、ほんとあっという間。水平飛行になって間もなく降下開始。釜山金海空港には定刻通り到着、沖止めでバス連絡になりました。不便と言えばそうなのですが、空港の地面に降り立つことが出来るので、これはこれで楽しかったりします。飛行機を間近に見られますしね。

 さて到着ロビーでウダウダしていたら1時間くらい経ってしまって、さて移動を…。

 このときの訪問では、釜山の街の歴史を垣間見ようということで、まずは釜山ではなく逆方向へ電車で向かいます。

  やって来たのは金海市。古代から人が棲み、西暦42年建国の伽耶国の中心でもあった町。その後中近世の歴史の中で日陰の存在的になり、日本統治下での釜山勃興により更に影が薄くなりますが、それでも1981年に中心部のみで市に昇格するほどの拠点性が残っていた場所。どんなところか、見てみたかったのです。

 列車は田園・農地を見ながら進みます。金海の名前は、一帯が穀倉地帯で実る穂が「まるで金色の海」という由来だそうな。金色の時期に、また来たいなぁ…。
 そして山に近づけば韓国らしい高層アパートが出現。これを見ると、あぁ現代の韓国だなぁ、韓国に、来たんだなぁ…と実感しますね。

 列車は町に入り、かなりしっかりとした市街地の上を駆け抜けます。せっかくなので、このまま、先に進んでみます。

 ザ・韓国といった光景が、そこにはありました。山、高層団地、そしてちょっと未来的な乗り物。うんうん、まさしく「今の韓国」だ。

 この鉄道は、釜山市の西部拠点である沙上と金海市を結ぶ新しい路線で、金海市内では中心市街だけでなく、その奥にある団地群や大学のある地区まで路線が延びています。古代国家の中心地であった訳ですが、わざわざ鉄道を新しく敷くほどの「都市」を、今でも擁していることが車窓からも確認できました。さて折り返して中心市街へ戻り、街を少し歩いてみましょう。

 金海市街地の中心と思われる通りを歩くと、かなりしっかりと「まち」です。ふむふむ、さすが古代から人が集まっていた場所だわ。歩くアジュンマも、華やか。というか、強烈。まぶしいw

 路傍に目をやると、これもまた韓国らしい光景。パラソルを立てて路上に並べられる品々、市が立つ広場。

あぁ、ひとが棲む街の、息吹。

(臨時市場は片づけモード。朝市だったのかな。)

 古代都市であり、そのあともずっと、都市であったのであろう、歴史を重ねた金海市から、日本統治が生んだ「新しい都市」に、移動します。では、改めて釜山市へ、急行バスで。

(つづく)

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