タルトンネに、行った日。
高層建築が建ち並ぶソウルの街、世界的になったK-popのアイドルたち、輝く灯りに彩られた夜。韓国の今のイメージは、そんな感じじゃないでしょうか。
そこに至るまでには、様々な努力もあってのこと。特に「漢江の奇跡」と呼ばれる、1970~80年代の急速な経済成長があり、88年のソウルオリンピックで、「近代的な韓国の姿」を晴れて世界に向けて発信した、という流れがありました。
そんな韓国の高度成長の裏には、様々な歪もあります。
労働力は大量に必要であり朝鮮戦争で北から避難してきた人たちや地方から労働者としてやってきた人たちがソウルや釜山などの大都市でバラックのような家で暮らし、そんな中で何とか暮らしていた人たちが再開発で町を追われる。そんなこんなが都市インフラの整備が追い付かない中で急速に起こり、それらの人たちが多く住んでいた山林や未利用地などを簡易整備した狭小住宅街、不法占拠で建てられたバラック街。その多くが山麓や丘陵の急傾斜地にあったので、月(タル)に近い場所にある町(集落・トンネ)ということで、タルトンネと呼ばれていました。
月の町、その美しい響きとは裏腹に、生きていくために必死で働き、貧困に耐え、韓国の高度成長を、まさに裏側で支えた人たちの「生きることに精一杯なまち」、それがタルトンネの姿でした。
そんな月の町、今でも一部が残っており、中でも規模が大きいのが通称白砂(ペクサ)マウルと呼ばれる場所です。中渓洞104番地、104の発音は、ペクサ。白砂と同じ音です。だから、月に近い山のまち(マウル)なのに、白砂マウル。
2014年の春、花が咲く白砂の「まち」に、行ってみました。
あの日、ソウルは春の霞に覆われててたっけな…
まずは、バスに乗って「月のふもと」へ。
バスは、往きます。ソウルの、いまの街のなかを。
バスは、往きます。ソウルの、ごく普通の街のなかを。
バスを乗り継ぎ、月のふもとへ、着きました。
では、月のまちへ、登りましょうか。
月の町への入口は、わりとよくある「ちょっと雑多な旧市街の端っこ」といった印象。人通りも結構あり、いわゆる貧民窟という印象はなく、意外。
でも、足を進めるにつれ…
だんだんと、現れます。月のまちの、姿が。
コンクリートブロックとトタン板で作られた、バラック群。奥へと進むにつれ、道も細く、傾斜もきつく…。
フェルトの屋根、壁の家も、現れます。
建材も断熱材もない中で、厳しい冬を乗り越えるため、フェルトで建てたバラック。厳しい暮らしが、垣間見えます。
月への道は、分かれて、登って…
月に、だんだんと近づきます。バラックに掲げられている看板には「教会」と。その先に現れるのは…
涸れ沢の谷筋を、僅かに開墾した畑。そして、その先には、春が零れ落ちてきていました。
滝の如く、降り注ぐ黄色。
山から滴る、ケナリ。
ケナリ。日本名はレンギョウ。
韓国の春は、ケナリの黄色から始まります。街にも、村にも、野原にも、春を告げる黄色が、やってきます。
そして、この月の町にも、春が、来ました。
黄色と共に、ほんのりとした桜色も。
月の町は、花に彩られ、壁画に彩られ、はなやかな様相に。
この壁画は、いわゆる「貧民窟」として住環境が整わない中で、少しでも明るく暮らしてもらえたら…という趣旨で始まった市民活動。韓国各地の同様なエリアで実施されていますが、ここ白砂マウルでも展開されています。
壁画で彩られ、観光地としての側面も生まれているタルトンネ。 しかし、そこは、貧困に喘ぎ、生きるために必死になっていた人の街。 寒風が吹き、全てを凍らせる冬を凌ぐのは、トタン板とフェルトの布地。 時代に翻弄されながらも、暮らし、生き抜いてきた人たちの街、です。
トタンはためき、練炭が転がる街。
昔は、こんな親爺さんとかが、トンネを仕切っていたんでしょうか。
月のまちに、ひびく 「アイゴー」 。
それは、作業を終えた安堵の吐息か。 それとも、心の慟哭か。
春の陽が射すトンネに、アジュンマの声が響く。
春の日の、アイゴーの声。
この街に、今も「暮らし」があることを、知らしめる声。
その声が、少しでも、幸せでありますように。
中渓洞白砂マウル
ソウル特別市蘆原区中渓洞
https://goo.gl/maps/QVvUoY5jbt22
地下鉄7号線下渓駅(ハゲヨッ)下車・バスのりかえ約20分
支線バス1141番で중계본동종점(チュンゲチョンドンボンチャム)終点下車
もしくは1131・1221番で노원우체국(ノウォンウチョグッ)終点下車
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