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「どうしても生きてる」と「なんとなく死にたい」
「どうしても生きてる」
「なんとなく死にたい」
このふたつの言葉たちは、対義語か同義語か。
ある人が
「どうしても生きてるの対義語はなんとなく死にたいだと思う」
と伝えてくれました。
言葉を噛み砕いて飲み込んで、消化して、
「対義語だけど近い言葉ってこと?」
と反応しました。
対義語か同義語か。
私は昨日疲れてお風呂に入ることができませんでした。
朝起きてからシャワーを浴びよう、そう思って眠ったけれど、起きてみると体が重い。
なんとなく気持ちが暗いです。
今シャワーを浴びるのはきついから、もう一度眠って、起きてシャワーを浴びよう。
どうしても、生活は続きます。
なんとなく死にたいしどうしても生きてる。
なんとなく死にたいとどうしても生きてるは、同義語なんじゃないかな、と、思っています。
なんとなく死にたいです。
入試のことも進学のことも、これからの生活のこともこれからの人生のことも、考えたくない。
どうせなら先なんて考えなくていいように未来を捨てたい。
どうしても生きています。
願書は出したし働く先も決めたし、食料は高くても買うし、お腹はすくし、眠気が来たら眠るし、生活は続きます。
支援を受けることで沸き起こる、助かっているようで縛られているようなもどかしさは、私が本当に支援を受けなければ生きていけない存在なのであれば、きっと我慢しなければならない範囲の感情です。
私が悲しいと悲しんでくれる人がいて、
なんでそんなひねくれた考えになるの?なんて言いながらも支えてくれた人がいて、
一緒にいる義理はないよなって考えながらも傍にいてくれる人がいて、
私はどう応えたらいいか、正解がわからなくて、苦しいというか、わからない自分か悲しいです。
世界で1番自分が不幸だって、思ったら楽じゃないですか。
私は死ぬべき存在だって、思ったら楽じゃないですか。
買ったもののレシート全部とって、家計簿つけて、食費に使いすぎたなとか考えて値引きのシールが貼られた商品を探して自分が値引きされた気分になったりして。
大学生になるなら、受験も近いから、勉強できるように机買おうかなとか思いながら、
今月はマイナスだから来月給料入ってから買おうかなとか考えながら、
そうしたら受験は終わってるなとか考えてて、
シフトが出たと思ったら希望の半分しか入れてもらえなかったり。
悪夢で目の覚める昼寝をして、
金縛りから何度も何度もベッドから落ちる想像で抜け出そうとして、起き上がれた瞬間動悸が苦しくて過呼吸で泣きたくて、そんな睡眠が当たり前になりました。
親に夜の仕事を勧められるのが当たり前だと思って小学生から生きてきて、
私はママとの若い頃と同じように夜の世界でいつか働くんだって信じて生きてきて、
笑顔が可愛いママを見て、
涙がきらきらしてるママを見て、
「悲劇のヒロインぶるな」ってパパに怒られてるママを見て、
「これから仕返ししてやろうと思ってたのに」って大きな目から涙を零してるママを見て、
私はママみたいになるんだって、思ってました。
ママのことママとして大好きで、人として大っ嫌いで、ママが死ねって言うからどうしても私は生きているけど、生きるってなんだろうなって絶望して、ママがあなたの体調が第一だからって言うからなんとなく死にたいが日常で、今の私は生きています。
不幸自慢くらい、ここだけでいいからさせて欲しいとか思いながら今までの人生で周囲の人々にどれだけ不幸を同情に変換してもらったことか。
支援に頼って生きていくのと支援に頼らず生きていくのでは、差は月8万らしいです。
数字にすると生々しいけれど、働くことも生きることも苦手な私が月8万稼ぎたかったら、
何を手放して何を手元に残すか、何をどうお金に変えるか、何に価値を見出すか、取捨選択しながら、「生きる」方法を考えなければいけない。
不幸自慢ひとつだけしていいよって言われたら、「死にたいのに、生き方を考えてる」
そのことを不幸話として伝えて、あわよくば慰めて欲しいです。
あわよくばあわよくばあわよくば。
生き方を、教えて欲しいです。
悪夢から現実に引き戻してくれたあなたの存在に、私は救われています。