愛し方が似た同郷のSUGAとV(大邱を通った日記)
7人のうちの2人組。どれもみんな好きで、以前このふたりについても綴った。
2人は趣味も纏う空気も会話もどこか噛み合わないのに、どこか同じ匂いがする感じがして。
私はそれを勝手に、故郷の匂いだと思っている。
大邱のにおいは懐かしい
もう日が経つ、先日釜山に行ったときに、KTXにて大邱を初めて通った。
AgustDの原点でもある故郷をこの目で眺めることを楽しみにしていた。にも関わらず、成田の早朝便を経てカムジャタンをきっちり食べて乗る、KTXの乗り心地…もとい寝心地は最高すぎた。新幹線よりゆったり傾いた座席、ガタンゴトン鳴る絶妙な速度、差し込む夕日だけの薄暗い車内。まあつまり、行きは釜山まで爆睡だった。笑
そんなこんなで帰り道は、翌15時過ぎ。相変わらずセピア色が似合う暖かい車内ではあったけれど…大邱は釜山寄りなので、帰りの方が近い。必死で起き、日が傾く頃に通る楽しみにしていた大邱は、ユンギのいう通りの田舎で…でも想像を超えるものだったから驚いた。
先日の釜山コンでも、「釜山は3年ぶりだけど、大邱ではコンサートしたことないのにな…」とユンギがぼそっと呟いていたのを思い出す。あのニヒルな笑いってそういうことなのね。スタジアムやドームはおろか、ホールすらないのではないか?(帰国後調べ、大邱広域市は広くスタジアムもホールもありました)
停車でしか見ることは叶わなかったけれど、一応新幹線にあたるKTXが停まる停車駅なのに、山の合間で幹線道路の工事をしているのが見えた。しかもアスファルトをひく、みたいな土埃混じりの基礎工事。ハイスピードの車がバンバン凹凸の残る道路を抜けていることが逆に存在感のなさを浮き彫りにしているようだった。
初めて目にする場所だけど、山深い田舎はどこも似ているからか、それ以外の理由なのか、どこか知っているような気もした。
KTXの車内では、大邱が観光地として力を入れはじめたからか、フリーペーパーで特集記事も組まれていた。でも内容は魅力満載とは言いづらく、大都会ソウル、港都市の釜山とはかけ離れた静けさを推した場所だった。(大邱のみなさますみません)
そんな静かな場所で、ゆったりとした時間とひとり歯向かってきただろうSUGAと、祖父母とのんびりと良くも悪くもしっかり囲われて育ったVが浮かんだ。どちらも当時から非凡の意味で異質な存在だったかもと思うけれど…根柢の人の愛し方みたいなものはやっぱり故郷が染みついている気がして。
大邱で私はたしかに、なつかしさの匂いを嗅いのだ。
生き物みたいに生暖かくて、ちょっと古臭くって、澱んでいる。心の芯が安心するのにどこか寂しい、そんな匂い。同じ匂いが、大邱で育ったふたりの兄弟からはする気がする。
ふたりから伝わる愛情って
音楽が好きでたまらないから少し距離をとるようにしているSUGA。
人懐っこくて愛され屋、仕切りたがりなのに注目されると緊張しちゃうV。
ふたりは決して以心伝心でもないし、兄弟のなかでもたくさん話をするシーンを見かけるわけでもない。でも、噛み合わない時に手を繋がなくても、ふたりからはいつも安心感を伴う大きな愛を感じ取れる気がする。
なにより、彼らの大切なものへの接し方は、少しずつ似ている。とにかくでっかくて、スマートだったりクールだったりしない。
都会の大人の贈り物のように、小さくてシンプルだけど密度の高い冷たいリングとは違う。田舎の子供の贈り物のように、大きくてふかふかで温かくてごてごてしたぬいぐるみみたいな。
そんな感じ。
ふたりともカッコつけるのは特別に上手だし、さらりと羽織ったブランド物だって、時間をかけてするお洒落だって、とってもかっこいいんだ。ソウルにだって、パリにだって馴染んじゃうのに。
なのに、ちょっと恥ずかしいくらい不器用なところがあって、だからこそより愛おしい愛だと思っている。
そして彼らはそんな愛を貰う側に立ったって、しっかり全部抱きしめてくれる人だと思う。ユンギさんは目を細めて綺麗に並んだ歯をしっかりみせてくれるし、テヒョンくんはちょっぴり上を向いて、口をいっぱいにしかくく開けて笑ってくれるんだ、きっと。
そんなところがまた、ふたりとも大好きで、わたしは懐かしさの匂いをいっぱいに吸って、またソウルへの長い道のりのなか眠りに落ちたのだった。
ソウルでの故郷の匂い
故郷は原点だから、ずっとついていく匂いだと思う。映画パラサイトではこの”匂い”はキーワードとして何度も示され、貧富の差を示す特徴的なものになっていた。
時々彼らの人気の一因としても登場する、”ソウル出身者がほぼいない点”にも繋げてしまう。彼らを物語としてみると、金の匙を持っては生まれなかった者たちが上り詰めるサクセスストーリーとして王道なのだ。
では上り詰めた、その先にあるものは何か?幸せとは?ここ数年の彼らの歌にはしばしばそれらが登場していて、彼らの努力と苦しみは知るに余りある。そしてその苦しみに寄り添うには、数えられた人にしか与えられなさすぎる。もちろん彼らはいつだって共に行こうと隣にいてくれて、7人で一緒に歩んでいるからもう心配はしていないけれど。
じゃあ、生まれが異なる彼らがソウルで感じる故郷って、防弾少年団の原点って、懐かしさってどんな匂いかな。憎らしくて愛おしくてちょっと苦くて優しい匂い、それが彼らの長兄がつくるわかめスープのような優しい匂いだったらいいな、と願うのはちょっぴり欲を出しすぎかな。
青い鳥がお家に最初からいたように、登り詰めた先にあるものも皆の過ごした宿舎のように、綺麗でなくても懐かしい匂いのする、すきま風が吹いてもあたたかい場所でありますように。