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傷ついたことを認める勇気(ジョングクと3Dと差別とわたしのはなし)



私が信じたBTS

わたしが信じた彼らや、それによって変わった価値観は何度か言葉にすることを試みたけれど、伝えきれない思いがあるなと思う。

今日は、出会ったことで変わった私自身のことを大切にするために、ここに綴る。

BTSに出会うまでの私は、どちらかというと韓国のことはすきではなく、でも主張するほどなにもなく、なにか言うには憚られる、そんな国だった。

差別は遠い国か、遠い昔、もしくは幼い子供たちの狭い世界で起こりうることであり、それに関与すること自体が未熟な証だと言い張って、過去からは距離を取り、現在は自分の周りだけをみて、未来には目を瞑ってきた。

でも。
私は彼らを知るにつれて、世界平和を願い、罪悪感を背負い、そして取り残されるだれかのいない世界を本気で願うようになった。
それは、大好きな彼らがもし、変わってしまっても変わりたくない私の一面になった。

たった一言にしたくない


今回の3Dの歌詞や、コラボ、その他諸々の不穏な気配は…たった一言飲み込めば、目をつぶれば片付けられることなんだと思う。繊細すぎるよ…と下手くそな半笑いでごまかせば終わること。
傷ついていないフリをして流すことには充分すぎるほど慣れたし、忘れることも随分上手になった。

でも確かに、私は曲を聴き、ワクワクする気持ちで歌詞を読んで息が詰まったし、MVを観終えてしばらく固まった。カッコよさとダンスパフォーマンスにおーー!って歓声をあげたその声のまま、えっ。と、目を逸らしたのだ。若い女の子だから、アジア人だから、「私が縛られていた受け入れなければならないあたりまえのかたち」がそこに示されていたからだと思う。生まれや、育ちや、法律…わたしがわたしだと思っていた当たり前の形こそ、私を型に嵌めていたって、彼らがぶち壊してくれたのにな。

でももちろんそれは煽り倒すラップの歌詞の一部で、一瞬で、今の私ならきっと、確かに、すぐに忘れられるような一瞬の間のことなのだ。

それでも、彼らのわずかな歌詞に、ほんの少しの一言に、溢れるほどの勇気を貰った経験を“たったそれだけ”に私はしたくなくて。

改めてそれを強く思ったのは、彼らとコラボし、そしてジンとコラボしたColdplayのライブでの、クリスの導入コメントを目にしたからだ。

https://x.com/2023kurousa/status/1721590883991314433?s=46&t=oJe_ehKR-BCMWMuyRpG51Q

すべてのことは繋がっていて、ここで声をあげることや、私がわたしを鈍くつくりかえないこと、子供が死ななければならない現実や、ジンくんをはじめとするBTSの彼らが就いている兵役は繋がっていて、それは目を逸らしたり口を閉ざすべき事柄ではないんだと、改めて気づいた気がする。
私が傷ついたという事実にも、口を閉ざさなくていいんだってことも。

わたしが好きになった彼らには、ともにクリスのような、ジョン、ガイ、ウィル…Coldplayのような大人がいてくれて、それが私をまた救った事を思い出した。

寂しさも負の感情であることには違いない

とはいえ、ここ最近の私は、韓国語の勉強をする程度で、正直バンタンのコンテンツを過去ほどは見ていないのだった。毎日1話見ていたタルバンも身を潜めている。

なんだかんだ、過去の、7人でわちゃわちゃしている楽しい彼らをみると、今は少しまだ寂しい。
まあつまり、寂しさが強くてつい気持ちがマイナスの方に流されている部分は大いにあるだろうと思う。

新しい情報を旧Twitterから日々収集していると、界隈の空気というのは如実に存在するな。と思う。SNSは負の感情を増幅しやすいコンテンツであるとは常々思うけれど、それ以上だとも思った。

特に感じたのは、釜山のコンサート前や、ユンギのイルコン前。ファンは一枚岩ではないこと、特に大きいファンダムでは多様な人たちがいること、わかっているはずなのに、受け入れられないことがあまりにも多かった。
なんで私は?羨ましい、妬ましい、心配、寂しい、知りたい、知りたくない、嫌いになりそう…

でもコンサートが始まってしまえば全部吹っ飛ぶのだ。それ以上の経験を、感動を、愛を彼らがくれるから。だれも置いてけぼりにしないから。

そう考えてみると、彼らがまた7人で集まる日まで、ずっと誰もが一抹の不安を抱えて過ごしている。それはもちろん、彼ら自身も同じことで。
ジョングクがウィバスライブやインタビューで、「ああメンバーに会いたいな」というたびに胸が苦しくなるのも、きっと同じ気持ちにわたしがなるからだ。 

でも黄金マンネには6人もヒョンがいるもんね

 だからこそ、事実と感情、それぞれからアプローチすることは忘れてはいけないなと思った。モヤモヤする、なんとなく悲しい…って気持ちのせいで彼らから離れたくないよ。
さみしさを勝手に増幅させてつらくなって、誰かを糾弾する仲間意識で薄れさせるのは嫌だ。それでも、今回誰かを置いてけぼりにすることで盛り上げる曲があっていいとは思えなかった。
そう思えたのも、“怒りや悲しみを閉じ込めコントロールできるのが大人”だと思い込む私を解放してくれた、きちんと泣き笑い、怒り、喜ぶ彼らのおかげなんだよな。

これからのために

私がわたし自身を、彼らが誰かを置いてけぼりにしない世界のために、今日の私は歌詞に憤り、怒ろうと思った。ポップスターへの道を着実に歩み、選べるにも関わらず、必ずグループのため、ファンのために活動をまっすぐに続けてくれるジョングクが大好きだ。そして7人全員が、防弾少年団が大好きで、これからも愛し続けるために。HYBEやその周りの見えない多くの方々も含めて皆どうか、これで終わりになりませんように。

ヒョンの前ではいつだって赤ちゃんだったジョングクは、ソロになると急にでっかい背中になっていて、人より水分量の多い瞳にキラキラ映る眩いライトに魅せられたよ。きっと私たちが思いたい、思う以上に彼らは知っていて、わかっていて、大きいから、どうか彼らだけが背負うものになりませんように。彼らが個人個人でも人間としていられますように。祈ることしかできないときばかりだけれど、無駄ではないことを私は知っている。関わるすべての人たちと共に向き合って乗り越えて、そしてまた戻ってきてくれる日をただ待ち願います。

https://x.com/coldplay/status/1721907572788396351?s=46&t=oJe_ehKR-BCMWMuyRpG51Q

3Dという曲と歌詞、音楽に関してだけを語るなら、ラップの産まれた文化背景や、よく議題に挙がるけれど答えは出ていないワーグナーの音楽(ナチス、ヒトラーとの関係や、本人の人間性、曲の革新性)についてのように考えるほど難しいなと近日感じている。聞かなければいいってものでもないと思うし、価値観はそれぞれ、という言葉にもできる。
それでも音楽が、言語や世界を超えて誰かに寄り添い、愛を、安らぎや幸せを届けるためのものでありますように。


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