見出し画像

とある精神科医が見た日本美術史(日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション)

高橋龍太郎。精神科医の現代美術コレクターらしい。個人のコレクターが展覧会なんか開けるの?と思ったけど、コレクションの数は3,500点を超えるとのこと。どんだけだよ。
ということで本展覧会では、高橋龍太郎という一つの私観から、戦後から現代に至るまでの日本現代美術史を辿ろうというものだ。日本人作家の作品が一度にたくさん観れる機会もそうそうないのですごく楽しみ。

展覧会概要

名称:日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション
開催場所:東京都現代美術館(東京・江東区三好)
開催期間:2024/8/3(土) ~ 2024/11/10(日)
展覧会公式サイト:

感想

夜勤明け始発で帰宅、即ベッドイン。起きたのは昼過ぎ。
そうだ、美術館に行こう。
ということで行きたい展覧会リストからチョイスしたのが「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」。
最近、日本のアーティストの作品を見たい欲が高まってきていてちょうど良かったのです。

1. 胎内記憶

1946年生まれの高橋龍太郎が本格的に収集を始めたのが90年代半ば。この戦後50年間の思い出を懐古するように、その時代の作品たちを高橋はのちに収集した。それらを「胎内記憶」と題して最初のセクションとなっている。

このセクションは全体が撮影不可。
展示は高橋が最初に影響を受けた草間彌生作品から始まる。
カメラのブレやボケを表現として取り込んだ森山大道の写真作品や、グラフィックデザイナーとしての経歴も持つ横尾忠則のデザイン性抜群の作品たちが並びます。

2. 戦後の終わりと始まり

90年代半ばから始まった高橋のアート収集。戦後から高度経済成長からバブル崩壊、阪神大震災・オウム真理教事件などの社会を揺るがす大事件など、怒涛の流れの中で村上隆や会田誠をなどの才能がデビューしたこの時期。そんな時代を、若い世代が描き出した作品が並ぶのがこのセクション。

村上隆《ポリリズム》 1990

ピカピカに光った小さい兵士が灰色の景色に向かっていく。
その背中から戦争の哀しさを感じます。現代の戦争においては兵士という「一人の人間の存在」を感じることはなく、それはただ兵器を動かすための歯車・駒でしかないような気がします。
村上隆ってこういう作品もあるんですね。知らなかった。

天明屋尚《ネオ千手観音[那羅延堅固王]》 2003 (左)
天明屋尚《ネオ千手観音》 2003 (中)
天明屋尚《ネオ千手観音[密迹金剛力士]》 2003 (右)

アメリカで同時多発テロが発生した翌年に製作された作品。
千手観音の手には大量の武器が握られており、その理由について書かれたキャプションを見てゾッとした。「信仰と暴力が対極に見えて実は紙一重であるから」。
今まさにパレスチナでもたくさんの命が奪われている。そんなニュースを見て感じていたことがこの絵に描かれていました。

神聖な存在であるはずの観音様が、人を傷つけるための武器を持っている絶望感。人間のグロさを見た気がした。

池田学《興亡史》 2006

下絵なしで描かれた作品。やばすぎる。

近づくとその細かさに再度驚かされる。
物語性のある作品で、観ていて楽しい。

3. 新しい人類たち

精神科医でもある高橋のコレクションの深層には、「人間」というテーマが流れている。各時代、各アーティストが表現した人間の姿が並ぶ。

近藤亜樹《たべる地球》 2012

食べることは生きることで、つまり命そのもの。大きな絵と力強い筆の跡からエネルギーが伝わってくる。
物を食べて口に入って胃に運ばれてそれが溶けて血肉になる流れを感じます。

千葉正也《三ツ鏡》 2008

色がすごく好き。
手前に立ってる2体の人形?のリアリティがすごい。立体作品として目の前にいるみたいだけど絵の一部。
この怪しい森に誘われてる感。

村上早《嫉妬 −どく−》 2020

なんかこの絵はすごくわかる気がした。
黒く塗りつぶされた表情の見えない顔。足で踏まれている下半身は人間のものではない。硬く握った手。

4. 崩壊と再生

戦後の復興期に幼少期を過ごした高橋の記憶の中で、伊勢湾台風や阪神淡路大震災などの大災害は大きな出来事として刻まれています。
また東日本大震災と福島原発事故なども、東北をルーツに持つ高橋の内面に影響を与えたといいます。
これらの災害・事故に直面した人々の絶望、また再生への希望を描いた作品が並ぶセクション。

竹川宣彰《遊牧(子牛)》 2012

福島原発事故の影響で被爆して野良化した牛たちは避難区域に取り残され、餓死したり殺処分になったりしたそうです。
ぱっと見はポップな作品だけど、その裏にある事実は軽くありません。

そういえば、普段牛乳を飲むときにはあんまり意識してないけど牛乳って牛の乳なんだよなぁ。当たり前だけど。
ごちゃごちゃ書いてある牛乳パックを裏返して真っ白になった表面にひょっこり現れた小さな牛たちを見て、そんなことを思いました。

弓指寛治《挽歌》 2016

弓指の母親は交通事故からくる体調不良を苦に自ら命を絶った。
これは、そんな母親に向けた弔いの絵なのだそう。
母の死に向き合い続けひたすら描いたという。
一体どのくらいの時間がかかったのか、どんなふうに気持ちが変化していったのか。

夥しい数の鳥が画面上を飛び回る。
悲しみ以上に強い怒りにも似た感情を感じるし、一方で楽しかった思い出も垣間見える気がした。

青木美歌《Her songs are floating》 2007

壊れた車にカビのような胞子が生えたりなめくじみたいな生き物が群がっている。
人間が手放した物も彼らにとっては依代で、それにすがって生きようとする命の愛おしさを感じる。

KOMAKUS《"GHOST CUBE"》 2019

音が聞こえたので何か映像作品かと思って足を踏み入れたら、暗い部屋に大きな四角い物体がポツンとあるだけ。そこからたくさんの人間の声が聞こえる。その様子があまりに不気味。
四角い物体はいくつものスピーカーが組み合わさってできた物で、その一つ一つから人の声がする。それぞれが何を言っているのかは聞き取ることができない。雑踏が箱に閉じ込められているようだった。普通の会話のようにも聞こえるし、何かを訴えかけているようにも聞こえる。

小谷元彦《サーフ・エンジェル(仮説のモニュメント2)》 2022

テレビとかで見たことある、東日本大震災の被災地で発表された作品。
ただただ美しくて、見ているだけで希望が湧いてくる。アートってすごいな。

5.「私」の再定義

絶対的主体である「私」を見つめ直し、追求する。
自分と外部との接触によって初めて生まれるもの、またそれによって見ることができる自分の一面。

岡崎乾二郎《Αἰνείας Liber Ⅰ,2,3,4,5,6,7,8,9》 2016

画家の筆の動きやその圧を記録するロボットをエンジニアの協力のもと開発。
筆を画面に置くと、ボードが動いて絵が描かれる。
まるで描かされているような体験は、「私」という存在の主体性を逆に際立たせる。

名もなき実昌《低画質地獄(  ´△`;;)》 2016

このセクションでは、表現方法や内容にコンピュータやインターネットの影響を感じる作品が多く見られた。
例えば低画質の画面の荒さや、PCがバグった画面など、これらはコンピュータ登場前の時代にはなかったものだ。
美術とは歴史の流れであり、このセクションの作品は特に現代を映し出しているように感じた。

山田康平《無題》 2024

キャンバスの上で素早く筆を動かすことで絵の具は偶発的に交わり、「形がでてくる」のだそう。
偶然性や表層意識の下の無意識の表現ぽい。自分自身も意識することのない奥の方の記憶とか、端っこの感情が画面に現れるのかな。

6. 路上に還る

ストリートアートなど現代の日本(特に東京)の路上から生まれた前衛芸術作品が並ぶ。
Chim↑Pom from Smappa!Group やSIDE COREといった有名なアートグループの作品も多くありました。

DIEGO《Always Secret OKay》 2020

キャンバスが剥がれた感じとか、路上の壁に放置された何かの貼り紙みたいで既視感がある。
現代の日本の都市の様子が、現代の画風で、現代の表現方法で、昔からあるキャンバスの上で表現されている。

まとめ

芸術というのは一般的に「わかりにくい」ものというイメージを持たれています。特に現代アートは。
長い歴史を経て芸術は多種多様に、より自由に広がっていき、結果その意味や背景を捉えるのが難しくなったのだと思います。
しかしその分、表現の幅は広がっているわけですから、こちらがピントを合わせて考えさえすれば未知の世界を体験できるのですねぇ。

鑑賞日:2024/8/21(水)
所要時間:3.5h
個人的評価:★★★★☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?