見出し画像

強烈な母性と暴力と(ルイーズ・ブルジョワ展)

六本木ヒルズの象徴といえば……

《ママン》 1999

都会のど真ん中にそびえ立つ巨大な蜘蛛。
初めてこれを見た時に「なんだこれは」と思って調べたのが最初でした。あれから数年経ち、ついにルイーズ・ブルジョワの個展開催。

展覧会概要

名称:ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ
開催場所:森美術館(東京・六本木)
開催期間:2024/9/25(水) ~ 2025/1/19(日)
展覧会公式サイト:

作品リスト:

感想

第1章 私を見捨てないで

ブルジョワの作品では「母性」が重要なキーワードになっています。
母性というのは暖かく優しい反面、強くもある。例えば野生の世界でも子供を守るときの母親は、天敵である肉食動物にも獰猛に襲いかかることもあります。
特に、ブルジョワは父親と良い関係を築くことができなかったらしく、そんな彼女にとって母親という存在はそれはそれは大きいものだったことでしょう。だからこそ、一生を通じて「見捨てられること」の恐怖に苦しんだといいます。
彼女が幼少期から依代にしていた「母性」が持つ複雑で多様な面を、様々な形で表現した作品が並ぶのが最初のセクション。

《かまえる蜘蛛》 2003

さっそく蜘蛛がお出迎え。
ヒルズ前に設置されたものよりだいぶ躍動感があります。
脚一本一本に意思を感じるくらい。

部屋の壁には、若き日のブルジョワが観客の前で歌うパフォーマンス映像が投影されている。

《良い母》 2003

1人の人間というよりは「母親」という生き物として、その役割がフィーチャーされたような作品。
タイトルは《良い母》となっているけど少し考えてしまう。

《無題》 2005(左)
《女》 2005(中央)
《女》 2005(右)

こちらも、女性の身体が持つ美しさや機能性を強調したかのような彫刻作品。

艶やかな丸み。
草間彌生の作品にも似たニュアンスのものがありますよね。

《カップル》 2004

博物館にあるミイラのように見えて不気味。
でもこの2人にとってはきっと甘い時間なわけで、そこで時が止まっている美しい瞬間とも捉えられる。
2体はちゃんと縫い付けてあって、2人でひとつです。

《授乳》 2007

この前母親になった友達が言っていた「母乳って血液でできてるんだよ」という話を思い出した。
妊娠期間中も含めて、母親は赤ちゃんに血肉と愛を注いで育てているんだなあ。

理解はしたくないが、そっとあやしてほしいだけ。

会場の壁あちこちに、ブルジョワの言葉が。

《無題》 1948

画家によってよく出てくるモチーフがあります。ブルジョワといえば蜘蛛のイメージが強いですが、初期の絵には「家」のモチーフがよく出てきます。
その中でもこの絵が特に良かった。152.4×76.2cmの縦長作品。
不思議な世界の風景みたいでした。

《わたしの青空》 1989-2003

窓の絵とか作品が好き。
リアルな窓枠と抽象的な風景。

壁に埋め込まれた形で展示されていて、本物の窓のように設置されている。

《ヒステリーのアーチ》 1993

金ピカで首のない男性が吊るされている。
題材となっているのは「ヒステリー」ですが、長らく女性特有の病気と考えられていたのだそう(作品キャプションより)。知らなんだ。

影も面白いです。

第2章 地獄から帰ってきたところ

ここまで展覧会を見て回って、会場全体がやたら暗くて不穏な雰囲気であることに気付きます。
それは作品の孕む不気味さや会場の照明の仄暗さ、そして何を観ていても最初の部屋で流れている映像のブルジョワの不安定な歌声が遠くに聞こえてくるからです。
その不穏な雰囲気は第2章からまた違った方向に向いていきます。

ブルジョワに大きな影響を与えたのは「母性」ともう一つ、父親の存在がありました。
支配的な父親に対して抱いた負の感情を根元に、ブルジョワの攻撃的な面が表現された作品が並びます。

《罪人2番》 1998

部屋に入るとドデカい壁がそびえ立っています。

裏に回って中を覗くと、

ぽつんと置かれた小さな椅子と、鏡。
鏡は自分を見つめるための道具。反省部屋みたいです。
冷たくて怖い。
子供のときに親に怒られたときの感覚を思い出した。親の存在って子供にとって大きいからそこから突き放されたと感じたら心細くなりますよね。

《どうしてそんなに遠くまで逃げたの》 1999

多分この人は遠くまで逃げた結果こうなった。哀れだと思った。

《父の破壊》 1974

真ん中の壇にあるのは肉片のようなオブジェ。父親を解体して食すというグロテスクな幼少期の幻想を発想源としているとのこと。

かなりエグくて、ブルジョワが抱えるトラウマの深さが伝わってきます。
子供の頃というのは繊細な心を持っていますから、些細な出来事ですら大きな傷になり得ます。そして人格形成の途中でもあるから、それが跡になっていつまでも残ってしまう。
この作品が展示されている部屋の隅で、おばあちゃんになったブルジョワが父とのエピソードを語るインタビュー映像が流れており、もう何十年も前のことのはずなのに言葉に詰まって涙ぐんでいました。
そのくらいブルジョワにとってはショッキングなことだったわけで、それと向き合うためには、それに負けないくらいの攻撃性を持って立ち向かう必要があったんだと思います。

《シュレッダー》 1983

今にも轢かれて裁断されそうなマネキンは足だけで、逃げることもできない。

この作品を見たときの感覚に覚えがありました。
静かなのに、今にも爆音が鳴るような。次の瞬間、取り返しのつかないことが起こってしまうような。
そういう感覚になることがたまにあります。
めちゃくちゃ個人的な話でしたが、そんな漠然とした感情(?)を表現されたような気がしてとても気になった作品でした。

ブルジョワは怒りや苛立ちをこの作品で表現しているらしく、つまりどちらかというと彼女はシュレッダー側の視点なのだと思うのですが、自分はマネキンの方に感情移入してしまいます。

「攻撃」しないと、生きている気がしない。
《絵画:白に赤》 1945

これは綺麗な花。

第3章 青空の修復

ブルジョワの作品は彼女の内面を色濃く映し出しています。というよりそのまま含んでいるような感じです。
それだけ彼女にとって芸術活動と感情は密接に関連している。
つまり制作するというのは単に攻撃性の捌け口というだけではなく、感情の修復にも繋がる行為であるということです。

芸術は正気を保証する。

《意識と無意識》 2008

右側が「意識」、左側が「無意識」を表している。

《雲と洞窟》 1982-1989

綺麗な青。ずっと見てられる系。

横から見るとこうなってます。
物理的な奥行きが作品としての奥行きにもなっている。

まとめ

作者の感情や気持ちが乗った作品はたくさんありますが、特にブルジョワの作品はその生々しさが濃く、重たい。
正直、ブルジョワの作品に垣間見える暴力性はあまり好きではなかったです。しかしそれだけのパワーがあるからこそ多くの人を魅了する作品が生まれるのだとも思いました。

鑑賞日:2024/10/31(木)
所要時間:1.5h
個人的評価:★★★★☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?