「何もしない」時間の必要性
寝ている時間以外、四六時中なんらかの行動をしていないと気が済まない人と、そうでない人がいる。
業務時間外も含めて常にてきぱきしている上司と話したとき、「プライベートでも何かしてないと落ち着かない」「ソファに座ってぼーっとしている時間なんて耐えられない」と言っていたのを聞き、根本的な感覚が違うことに驚いた。
わたしは、眠る寸前くらいのまどろんだ状態でベッドに横たわっていたり、公園のベンチに座ってぼんやり風景を眺めたりといった「何もしない時間」が大好きなタイプだ。
平日の夜、仕事後にぎっちりと予定が入っていたり、休日にも複数の予定が詰まっているような状況は、それがいくら楽しみで待ち遠しいものでも、そのわくわくとは別に、落ち着かなさやストレスを感じてしまう。
今よりも周りを気にして生きていたときは、予定がたくさん入っている=人生が充実しているという錯覚にとらわれ、負荷を無視してスケジュールを詰め込んでいた。
そういう生活が自分には合っていないと自覚してからは、「ちょっとしんどいな」という心の信号に素直に従うことを心がけている。
一方で、「何もしない時間」を必要とせず、常に動き回っていたいという性質の人に対しては、どうしても行動量で勝てないという劣等感がある。
時間だけは全員に平等で1日24時間しかないから、起きている時間を常に何らかの活動にあてている人に比べたら、それは当然だろう。
性質を無理やり変えるんじゃなくて、自分に合った方法でパフォーマンスを上げることが、目下の課題だ。
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