何者かになりたい自分へ、
大学生の就職活動をテーマにした、朝井リョウ氏の「何者」という小説がある。
わたしは何を思ったか、就活時期にこれを読んでしまい、まんまと心を抉られた一人だ。
何者かになりたい。
誰しも、多少はそういう思いを抱いたことがあるんじゃないか。
特にいまは、SNSを通して世間の人たちの様子がありありと分かる時代だ。
大学時代、何かのイベントで出会ってFacebookを交換した人や、久しく会っていない地元の同級生の動向まで、手のひらの上で知ることができる。
「何者か」になって活躍している、またはなろうと努力している姿を発信する同年代の知り合いたちを見て、自分を「何者でもない」と感じているわたしは焦りを募らせる。
新卒時の就活から5年近くが経過したいまでも、むしろ、自分も周りもある程度の社会人経験を積んだいまだからこそ、その焦燥感は強くなっている。
果たして、「何者かになりたい」という思いの正体はなんなのだろうか。
自己実現欲求だとか、承認欲求と呼ばれる欲望が、それに近い気がする。
望むモノや能力を手に入れたい、他者に認められたいという欲は、きっと多くの人間の根本にあって、そう簡単に切り離せるものではないだろう。
これらの気持ちは、うまくコントロールすれば自分を前進させてくれる。
一方で、暴走して飲み込まれてしまうことだって十分にあり得る、いわば劇薬のようなものに思える。
どう生きるかという問いに正解はないけれど、この感情を吹っ切って流れるままに過ごすには、100年ともいわれる人生はいささか長すぎる。
今のところは、何者かに憧れる気持ちをうまくエネルギーに変え、走ってみたいと思っている。