ハゲと愚行権

私はハゲである。20代の半ばのある日の朝に鏡を見たら、いつのまにかおでこの上にあると思っていた毛がすっからかんになっていた。もともと坊主頭で刈り込んでいたのであまり気づかなかったが、寝て起きて夢から覚めると人生がハゲ編に突入していて『マブラヴ』みたいだった。

ハゲを直す薬ができたというニュースが定期的に流れる。先日もAGA(「男性型脱毛症」と呼ばれる)を人為的に発症させたマウスにある物質を塗ったらそれが治ったという話を聞いた。もしもその薬が手ごろな値段で手に入るようになったら、私は自分の頭皮にそれを塗るのだろうか?正直ハゲでもいいと思っているし、風呂上がりの手入れを考えてもハゲの生活は悪くない。

「愚行権」という言葉がある。他者から見ると愚かで、賢明でないとされる行為だったとしても、それが他者の権利を侵害しない範囲でそれを行う権利があるとするものだ。分かりやすい例でいうと「家で酒を飲む」なんかがそれにあたる。アルコールの摂取は身体に悪影響を及ぼす。車を運転すれば犯罪だし、他人に迷惑をかける可能性もあるが、家で一人で飲んで幸せを感じる分にはその権利を認めるというものだ。

これは功利主義と密接に結びついた話題で、すなわち社会全体(他者)の効用を損ねないのであれば、愚かで「善くない」とされることも認めざるを得ないのではないか、という結論を導く。例えば薬物や安楽死も、それが自分の意思に基づいてなされ人に迷惑をかけないのであれば、どうやってそれをしないことを強制できようか、ということになる。

たとえば飲むだけで直ちに視力が回復するカプセルがあるとしよう。世の中の人はみなそれを服用していて、メガネやコンタクトレンズを着用することはなくなっている。しかし私はメガネフェチで、他人が着用することも自分が着用することも大好きである。このとき、私があえて視力改善カプセルを飲まずにメガネをかけ続けることは「愚行権」の範疇であろうか?

いや、話を盛る芸人の悪い癖が出ている気がするな。これは愚行権の話というには大げさすぎる。条件をもっと緩くしよう。つまり、「本人の意思によって容易に"解決"可能であり、かつ解決が推奨されている問題」について、それをあえて解決しないということはどこまで社会的に許容されるか?くらいの話だ。今タバコがまさにその窮地にある。禁煙は社会的に推奨され、病院でできる。しかし禁煙をしない人がいる。その結果、禁煙スペースは減らされたばこ税は上がり続けている。タトゥーも同じである。タトゥーは髪の色や肌の色、出身地や性別のように選択できないものではない。今はレーザーで消せるものなのにわざわざ残しているということは、それ相応の報いを受ける覚悟があるということですね?

もしハゲの特効薬ができたら同じことが起きるのではないだろうか?あなたは特効薬があるのに、ハゲを自らの意思で「選択」しているのですよね?ならばハゲであることの社会的評価を受ける覚悟ができているのですよね?となるのは目に見えているな。俺はそれでもハゲでいられるだろうか?

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