「シェア語」のふるい

M-1の公式YouTubeアカウントで去年の決勝の動画がアップロードされた。

上のヤーレンズさんの動画のコメント欄を見ると、タイムスタンプとともにどのボケが好きかを書き込んでいる人が多い。「(投げっぱなしを含めて)とにかくボケ量の多い漫才」はこういうYouTubeのコメントとの相性がとてもいいと再確認した。ナイチンゲールダンスさんやタイムマシーン3号さんがYouTube ShortsやTikTokでバズっているのも同じだ。お笑いの「現場」はいまも変わらず一回性のものであるのに対し、YouTubeでは何度も見返しては発見を共有するという楽しみ方ができる。

こちらは東京03さんのコントの動画だが、このコメント欄でも「12:34 飯塚「〇△×」ここ好き」のような、「タイムスタンプ+セリフ+感想」のコメントがたくさんある。ただ、(少なくともこの)コントの魅力はそのシチュエーションやコンセプトにあって、特定のセリフのおかしみによって支えられているものではない。はずなのに、それを指摘して共有しようとするコメントは極めて少ない。「タイムスタンプ+セリフ+感想」がYouTubeでお笑いの感想をシェアする共通語のようになっていて、それ以外の感情は、たしかにそこにあるのに、表出されずに脳の深海へと沈んでいく。

ワインやウィスキーの香りを表現する際の代表的な表現がいくつかある。「なめし皮」「トーストしたパン」「たばこの葉」「石灰岩(チョーク)」など独特なものもたくさんあるが、これらは昔から国際的な共通語として登場するものであって、現代の人が一から創造したオリジナルなテイスティングノートではないのだ。こうした表現を勉強して、その香りを探し、次第に分類できるようになることを目指す。教科書に書いてある定理を使えることじたいはクリエイティブな行為ではない。

逆に、そうした共通語から取りこぼされた「未分類の何か」は、基本的にはノイズとして棄却される。日本酒を評価するフレーズ「フルーティー」が大流行し、獺祭のような吟醸香のある日本酒が大流行した。日本酒の味わい方はもっと多種にわたるのに、自分の国の伝統的な酒の味でさえ、共通語を与えられるとそれしか認識できなくなる。

SNSでコンテンツの魅力を共有するための「シェア語」のようなものがあるとするならば、シェア語で共有できないものはそもそも鑑賞されなくなる。「パンチライン」という言葉が人口に膾炙したのは日本のヒップホップにおける重大な事件だっただろう。魅力的なパンチラインによってヒップホップに魅了された人々がたくさん生まれたが、パンチラインを探すこと以外に楽しみ方が分からない人もたくさん生まれた。

映画や漫画のタイトルを検索すると、すぐにサジェストに「考察」という言葉が出てくる。SNSでは真意を解読した人がたくさんいて、「よくわかんねえけどおもしれー!」なんてバカみたいな感想は許されないように思える。だけどそうした考察のほとんどは「シェア語」だ。断言する。「鑑賞者証明書」となる定型文をみんなが欲していて、それに沿って書くだけで理解できた側になろうとする。そして何の影響も受けずに「よくわかんねえけどおもしれー!」の気持ちを最後まで抱え、温め、孵化させられる人間は、おそらくほとんど絶滅するさだめにある。

シェア語、もっと簡単に言うなら「感想の書き方」がばっちり整備されているかどうかで、今後のコンテンツは淘汰されていくのだと思う。そして同時に、書き方の整備されていない喜びを切り捨てていくことになる。


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